第7話 三日目の崩壊
第7話 三日目の崩壊
三日目の朝は、王都に住む人々にとって忘れられない朝となった。
最初に異変に気付いたのは市場の商人たちだった。
「おい、何だこれは」
香辛料商を営む中年の男が税務所の通知書を握り締める。
紙には新しい税率が記されていた。
いや、新しいというより本来の税率だった。
これまで適用されていた特例措置が消えている。
数字を見た男は目を疑った。
「三倍……?」
隣の魚商も青ざめる。
「冗談だろ」
「冗談じゃない」
税務官も頭を抱えていた。
彼らも昨日知ったばかりなのだ。
税制特例の自動更新が失効したことを。
本来なら一か月前に王太子妃府で決裁されるはずだった案件。
そしてその決裁を毎年忘れず処理していたのがアルシアだった。
しかし今年は違う。
担当者がいない。
引き継ぎ書第二巻もない。
結果として特例は失効した。
王都全域で税率が一斉に跳ね上がったのである。
昼前には市場中が騒然となっていた。
「払えるか!」
「店を畳めというのか!」
「昨日までの三倍だぞ!」
怒号が飛び交う。
商人たちの顔は怒りと不安で歪んでいた。
だが本当の地獄はまだ始まったばかりだった。
王都から少し離れた港湾都市ラングレイ。
王国最大の貿易港である。
海から吹く潮風の中、港では朝から混乱が起きていた。
「なぜ荷揚げできない!」
外国商船の船長が怒鳴る。
「許可証が下りない!」
港湾管理官も半泣きだった。
「こちらも困っているんだ!」
通常なら数分で終わる手続きだった。
しかし今は違う。
港湾運用予算の承認が止まっている。
人員配置もできない。
許可証も発行できない。
荷物も降ろせない。
船は港に足止めされた。
「一日でいくら損をすると思っている!」
怒鳴り声が響く。
外国商人たちも激怒していた。
積み荷の果物は腐る。
魚は傷む。
取引先との契約は崩れる。
損失は天文学的な額になる。
港湾管理官は震えながら答えた。
「王太子妃府の決裁待ちです」
「なら今すぐ呼べ!」
「呼んでいます!」
「何日待たせる!」
「私も知りたい!」
もはや現場は限界だった。
そして昼過ぎ。
王宮ではようやく異変の大きさに気付き始めていた。
「殿下!」
執務室へ飛び込んできたのは財務局長だった。
髪は乱れ、顔色は土気色になっている。
レヴァンは不機嫌そうに顔を上げた。
「何だ」
「税制特例が失効しました!」
「それがどうした」
財務局長は絶望的な顔になる。
「王都中の税率が三倍になりました!」
「は?」
「商人たちが暴動寸前です!」
レヴァンはぽかんとした。
その隣でフィオラも目を瞬く。
「税率って勝手に変わるんですの?」
「勝手ではありません!」
財務局長は叫んだ。
「毎年更新するんです!」
「誰が?」
「アルシア様が!」
静寂。
レヴァンの顔が僅かに引きつった。
だがまだ理解していない。
その時だった。
別の職員が飛び込んでくる。
「港湾都市が大混乱です!」
「今度は何だ!」
「外国船が動けません!」
「何故だ!」
「港湾予算が止まっています!」
レヴァンは頭を抱えた。
次から次へと問題が出てくる。
しかも全てが聞いたこともない実務ばかりだった。
「アルシアは一体何をやっていたんだ……」
その呟きは誰にも聞こえなかった。
しかし答えは簡単だった。
全部やっていたのである。
午後になると状況はさらに悪化した。
商人たちが王都へ集まり始めた。
税率三倍。
港湾停止。
物流麻痺。
彼らにとっては死活問題だった。
そこへ市場の平民たちも加わる。
「税金を戻せ!」
「商売できない!」
「食料が入ってこない!」
怒りはどんどん膨れ上がっていった。
そして夕方。
王宮の見張り塔から悲鳴が上がった。
「報告!」
騎士が駆け込む。
「何事だ!」
騎士団長が振り返る。
「王宮正門前に群衆が!」
「何人だ!」
騎士は震えていた。
「数千人です!」
空気が凍る。
王宮の窓から見下ろせば、人、人、人。
広場が埋め尽くされている。
商人。
職人。
船員。
農民。
怒れる民衆だった。
「無能な王太子妃を降ろせ!」
「税金を戻せ!」
「商売を返せ!」
怒号が轟く。
まるで地鳴りだった。
レヴァンとフィオラは窓辺に立ったまま動けなかった。
「うそ……」
フィオラの声が震える。
彼女は今まで民衆から愛されていると思っていた。
孤児院へ行った。
パンを配った。
笑顔を振りまいた。
だから好かれていると信じていた。
しかし今、窓の外にいる人々の顔には憎悪しかない。
「どうして……」
涙が滲む。
「私、良かれと思って……」
その時だった。
老秘書官が静かに言った。
「良かれと思うだけでは国は回りません」
誰も反論できなかった。
レヴァンも。
フィオラも。
そして初めて理解する。
アルシアが十年間やっていたことを。
夜中まで働き続けた理由を。
眠る時間を削った理由を。
王宮が華やかに見えていたのは、その裏で誰かが泥まみれになって支えていたからだったのだ。
フィオラの肩が震える。
レヴァンの顔から血の気が引いていく。
窓の外では怒号が止まらない。
そして二人はようやく理解した。
これはただの失敗ではない。
国が壊れ始めているのだと。
その瞬間。
フィオラは震える声で呟いた。
「お姉様を……」
誰もが振り返る。
彼女は泣きそうな顔で言った。
「お姉様を呼ばなきゃ……」
その言葉が出るまでに、たった三日しかかからなかった。




