第5話 王宮は修羅場と化す
第5話 王宮は修羅場と化す
王宮の混乱が着実に広がる中、その夜も予定通り大夜会は開催されることになっていた。
本来なら中止すべきだと進言する職員もいた。
だがレヴァンは聞かなかった。
「外交問題だの決裁だの、暗い話ばかりだ」
そう言って肩をすくめる。
「こんな時だからこそ、貴族たちを安心させる必要がある」
もっともらしい言葉だった。
しかし実際は違う。
レヴァン自身が楽しい夜会を中止したくなかっただけである。
その隣でフィオラも大きく頷いていた。
「そうですわ!」
彼女は真紅のドレスを身にまとっていた。
胸元にはルビーの首飾り。
髪には薔薇の飾り。
鏡の前で何度も姿を確認しながら上機嫌に笑う。
「私、夜会って大好きですもの」
職員たちは泣きそうな顔になった。
夜会そのものは問題ではない。
問題は席次だった。
貴族社会において席次とは戦場である。
誰が上座か。
誰の隣に座るか。
誰を遠ざけるか。
その調整だけで数週間かかることも珍しくない。
そしてその調整を十年間担当していたのがアルシアだった。
引き継ぎ書第五巻。
貴族間調整編。
その中には数百家に及ぶ貴族同士の関係が細かく記録されていた。
友好関係。
対立関係。
婚姻問題。
財産争い。
愛人問題。
決闘歴。
そして絶対に近付けてはいけない組み合わせ。
だが。
その本は存在しない。
紫色の炎の中へ消えた。
「席次表をお持ちしました」
若い書記官が震える手で紙を差し出す。
フィオラはちらりと眺めた。
「難しいですわね」
「はい」
「こんなの誰が決められるんですの?」
職員たちは心の中で叫んだ。
アルシア様です。
しかし口には出せない。
「でしたら」
フィオラはにっこり笑った。
「適当に仲良くお喋りできそうな方同士を近くにしましょう」
職員たちは絶望した。
その言葉が何を意味するのか理解していたからだ。
そして数時間後。
王宮大広間。
豪華なシャンデリアが煌めく中、夜会は始まった。
香ばしい鴨のロースト。
香草を使った魚料理。
蜂蜜のタルト。
果実酒。
色鮮やかな料理が並ぶ。
貴族たちも最初は上機嫌だった。
最初は。
最初だけは。
問題が発生したのは開宴から十分後だった。
「……貴様」
低い声が響く。
誰もが振り返った。
西部の名門であるグランベル伯爵が立ち上がっている。
その正面にはランツェ侯爵。
二人は三日前に決闘騒ぎを起こしたばかりだった。
しかも原因は領地境界線問題。
現在進行形で揉めている。
「よく私の前に座れたな」
「それはこちらの台詞だ」
空気が凍る。
職員たちが青ざめる。
アルシアなら絶対に同じ会場へ入れなかった組み合わせだった。
「決着はまだついていない」
「今ここで続きをするか?」
椅子が鳴る。
二人とも立ち上がった。
周囲の貴族が慌てて止めに入る。
しかし地獄はまだ始まったばかりだった。
反対側のテーブル。
一人の女性が突然グラスを落とした。
甲高い音が響く。
「あなた……」
震える声。
その視線の先には壮年の貴族男性がいた。
「なぜここにいるの」
元夫だった。
しかも現在進行形で泥沼離婚調停中。
財産分与問題で互いを訴えている最中だった。
「これは偶然だ」
男は顔を引きつらせる。
「偶然ですって!?」
「落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょう!」
怒鳴り声が響く。
周囲の貴族がまた振り返る。
そしてその隣の席。
さらに恐ろしい事態が起きていた。
一人の若い女性が青ざめている。
その正面には貴婦人。
そして隣には同じ男性。
つまり。
本妻。
愛人。
夫。
三人が同じテーブルに配置されていた。
しかも隣同士。
「あなたが」
本妻が微笑む。
全く目が笑っていない。
「いつも主人がお世話になっておりますのね」
愛人の顔色が消える。
「ち、違います」
「違わないでしょう?」
夫が冷や汗を流した。
「待て」
「黙ってください」
妻の声は静かだった。
だから余計に怖い。
周囲の空気まで凍り付く。
職員たちは遠い目をしていた。
もはや止める気力もない。
そしてついに。
事件は起きた。
「ふざけるな!」
グランベル伯爵がグラスを投げたのである。
ワインが飛び散る。
ランツェ侯爵も立ち上がった。
「上等だ!」
今度は皿が飛んだ。
悲鳴。
怒号。
逃げ惑う貴族たち。
豪華な夜会は一瞬で戦場へ変わった。
「止めろ!」
「誰か止めろ!」
「騎士団を呼べ!」
叫び声が飛び交う。
そして。
何故か本妻が愛人へワインをぶちまけた。
「きゃあああ!」
愛人も負けない。
デザートを投げ返した。
蜂蜜タルトが飛ぶ。
貴族が転ぶ。
誰かが悲鳴を上げる。
完全な地獄だった。
その光景を見ながら。
フィオラは呆然としていた。
「ど、どうして……」
レヴァンも青い顔になる。
「そんな馬鹿な」
職員たちは思う。
馬鹿なのは席次である。
もっとも。
それを決めたのは目の前の二人だ。
深夜。
ようやく騒動が収束した頃。
大広間は見る影もなかった。
割れたグラス。
潰れた料理。
汚れた絨毯。
そして激怒して帰った貴族たち。
王国の有力貴族同士の関係は完全に悪化していた。
若い書記官が呟く。
「終わった……」
年配の秘書官も頷く。
「ああ」
彼は天井を見上げた。
「アルシア様なら、この席次だけで三週間は調整していた」
誰も反論しなかった。
その価値を今さら理解したからである。
そして時計が深夜を告げる。
王宮の混乱はさらに広がっていく。
三日目はもう目の前だった。




