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エピローグ 王宮最高の休日

エピローグ 王宮最高の休日


 春の終わりを告げる風が、王宮の庭園を優しく吹き抜けていた。


 白薔薇の花壇から甘い香りが漂い、噴水の水音が静かに響く。


 王宮は以前の混乱が嘘のように落ち着きを取り戻していた。


 港湾は正常に機能している。


 税制も安定した。


 外交問題も解決した。


 あれほど荒れていた貴族社会も少しずつ修復されつつある。


 もちろん、一朝一夕ではない。


 だが王国は確実に立ち直っていた。


 その中心にいるのは、国家最高実務総監アルシア・ヴァル・ノクスである。


 そして今日。


 彼女は執務室にいなかった。


「本当に休むんですね」


 王宮の中庭。


 白いガゼボの下で、セヴェリオが苦笑した。


 向かいに座るアルシアは淡い青色のワンピースドレスを着ている。


 普段のような堅苦しい正装ではない。


 髪もゆるくまとめられていて、どこか年相応の女性らしい雰囲気があった。


 テーブルには昼食が並んでいる。


 焼き立てのキッシュ。


 野菜たっぷりのスープ。


 香草で焼いた鶏肉。


 苺のタルト。


 そして湯気の立つ紅茶。


 どれも王宮料理長が腕によりをかけた料理だった。


 アルシアは紅茶の香りを楽しみながら微笑む。


「休みます」


「本当に?」


「本当に」


「書類は?」


「見ません」


「決裁は?」


「しません」


「奇跡ですね」


 セヴェリオは感心したように頷いた。


 アルシアはくすりと笑う。


「国王陛下の勅命ですもの」


 数か月前。


 アルシアは気付けば以前と同じ働き方を始めていた。


 朝から晩まで執務。


 昼食は机で済ませる。


 休日返上。


 睡眠不足。


 それを見た国王が激怒したのである。


「馬鹿者!」


 王宮中に響く怒声だった。


「余は国を立て直せと言ったのであって、自分を壊せとは言っておらん!」


 その結果。


 アルシアには強制休日制度が導入された。


 月に最低四日。


 絶対休養。


 仕事禁止。


 違反した場合は書類没収。


 実務総監に対する扱いではない。


 だが王宮職員たちは大喜びだった。


 なぜなら。


 アルシアが倒れると全員が困るからだ。


「前より顔色が良いですね」


 セヴェリオが言う。


「そうかしら」


「ええ」


 実際その通りだった。


 肌の艶も良い。


 隈もない。


 以前のような張り詰めた雰囲気も薄れている。


 アルシア自身も感じていた。


 人生で初めて、自分を大事にすることを覚え始めているのだと。


「ところで」


 セヴェリオが鶏肉を切りながら尋ねる。


「フィオラ様から手紙が届いていました」


 アルシアは思わず吹き出した。


「修道院から?」


「ええ」


「何て?」


 セヴェリオは懐から手紙を取り出した。


 可愛らしい花柄の便箋だった。


「読んでも?」


「ぜひ」


 セヴェリオは読み上げる。


「お姉様。私は今、帳簿の付け方を勉強しています」


 アルシアは目を丸くした。


「へえ」


「そして毎朝四時起床です」


「頑張ってるのね」


「さらに畑仕事もしています」


「意外」


「それから」


 セヴェリオは一度咳払いした。


「引き継ぎ書を燃やしたことを毎日後悔しています」


 アルシアはしばらく黙った。


 そして小さく笑う。


「そう」


「ええ」


「元気そうで良かったわ」


 恨んでいないわけではない。


 だがもう終わった話でもあった。


 フィオラは自分の失敗と向き合っている。


 それなら十分だ。


 その時、庭の向こうから元気な声が聞こえた。


「アルシア様ー!」


 駆けてきたのは若い書記官だった。


 以前は泣きそうな顔ばかりしていた青年である。


 今はすっかり健康そうだった。


「どうしました?」


「大変です!」


 アルシアとセヴェリオは顔を見合わせる。


 嫌な予感がした。


「何か問題?」


「いえ!」


 青年は満面の笑みだった。


「港湾収入が過去最高を更新しました!」


 一瞬沈黙。


 そして。


「良い知らせじゃない」


 アルシアは呆れたように笑った。


「だから急がなくて良いのに」


「すみません!」


 青年は頭を掻いた。


 だが嬉しそうだった。


 王宮の職員たちは以前より明るくなっていた。


 無理もない。


 今はきちんと休みがある。


 給与も遅れない。


 仕事も整理された。


 誰か一人に全てを押し付ける仕組みもなくなった。


 アルシアが最初に改革したのはそこだった。


 王国だけでなく。


 王宮そのものも立て直したのである。


 青年が去った後、セヴェリオは静かに微笑んだ。


「変わりましたね」


「何が?」


「王宮です」


 アルシアは庭を見渡した。


 花が咲いている。


 職員たちが笑っている。


 以前はなかった光景だった。


「そうね」


 彼女は頷いた。


「少しだけ」


「少しどころではありません」


 セヴェリオは紅茶を飲む。


「王国そのものが変わりました」


 アルシアは返事をしなかった。


 代わりに苺のタルトを一口食べる。


 甘酸っぱい香りが広がる。


 美味しい。


 本当に美味しい。


 昔ならこんな風に味わう余裕はなかった。


 その時だった。


「ところで」


 セヴェリオが何気なく言う。


「結婚式ですが」


 アルシアが固まる。


「何?」


「来月です」


「知ってるわ」


「招待客名簿を確認していただけますか」


 アルシアは目を細めた。


 セヴェリオは楽しそうだった。


「席次もあります」


「……」


「もちろん引き継ぎ書付きで」


 数秒後。


 中庭に笑い声が響いた。


 春の風が花びらを運ぶ。


 王国は今日も平和だった。


 そしてアルシアは思う。


 仕事も大事。


 責任も大事。


 けれど。


 焼き立てのタルトを味わう時間も、同じくらい大事なのだと。


 もう二度と、自分の人生を仕事だけで埋め尽くしたりはしない。


 そう決意しながら、彼女は青空を見上げた。


 どこまでも晴れ渡る空の下で、新しい人生はまだ始まったばかりだった。



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― 新着の感想 ―
引き継ぎ書を燃やすなんて会社員の立場からしたらあり得ん。 古い歴史はいらないと言うのなら王族がいらなくなってしまうのだけど王子様。
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