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灰雪のベルクレア  作者: 村井 世那
前日譚
9/32

第八話 機骸の少年

プロローグと重複する部分もあるため

第九話も続けて公開します。

よければ、ぜひ。

 

 あれからどれくらい経ったのか、よく分からない。

 

 ある夜、地下牢の奥で重い足音が響いた。


    ――がしゃり、がしゃり。


 人の歩幅に似ていて、人のものではない音。

 聞き慣れないその音に、ふと我に返り、僕は顔を上げた。すると暗い廊下の向こうから、ひとつの影が現れる。


 全身は黒鉄で覆われており、喉元には何かを無理やり切り離したような酷い痕。その黒鉄の継ぎ目や隙間には、白い線が嵌め込まれるように走り、血管のように全身へと張り巡らされていた。


 呼吸の音ひとつ聞こえない。

 人間の形を残しているだけの何か...そう思った。

 

 だが、その瞳だけはちゃんと生きていた。

 

 そいつは、鉄格子の前で歩くのを止め、かすかに震える指先を持ち上げた。すると黒い砂のようなものが、床にこぼれ落ちた


        ――『砂鉄』だ。


 床に散った砂鉄は、まるで意志を持つかのように這い、ゆっくりと文字を描きはじめる。


 僕はそれを見間違いであってほしいと願いながら、じっと見つめていた。一文字一文字が書かれるたびに胸が締め付けられる。


 やがて、床にひとつの言葉が浮かんだ。


『久しぶりだな』


 僕は視線をそいつの顔にゆっくり戻しながら、疑うように尋ねた。


「......ウェイン、なのか?」


 しかし、そいつは答えない......というより、答えられない。なぜなら、喉を潰されていたからだ。


 だが、その瞳だけが言っていた。

 間違いなく、自分だと。

 お前の盗人相棒だった、あのウェインだと。


 僕はその場で立ち上がり、ふらつきながら鉄格子に近づく。

 

 なんでこんなことになった......クソっ。

 そんな事を考えながらも、僕はかすれた声で言った。

   

  「なんだよ...その姿......」


 ウェインは何も言えない。


 本当は、僕に対して言いたいことがたくさんあるのかもしれないのに。けれど砂鉄では、それを全て表現するのは無理なんだ。


 ただその後で、彼はもう一度砂鉄を動かした。

 文字は不格好で、ところどころ崩れている。

 だけど...それでも意味は理解できた。


『きがいだ、すまない』


 その文字を見た瞬間、怒りも悲しみも何もかもが、僕の喉奥で全て詰まったような気がした。


 許せないと思った


        ――なのに。


 目の前にいるウェインは、もうあの頃のウェインではなかった。逃げ延びた末に、人でなくされたんだ。


 それなのに、首もとのあの青い線だけは、金属の継ぎ目に沈みながらも微かに光を帯びていた。


 僕はしばらく、何も言えなかった。

 やがて、ようやく絞り出すように口を開く。


「......久しぶりだな」


 その言葉に、ウェインの瞳がわずかに細くなった。

 

 それが笑ったように見えて、僕はたまらなく嫌な気持ちになった。嫌で苦しくて、それなのに...少しだけ安心した。


     ――まだ、終わっていない。


全部が壊れたわけじゃない。少なくとも自分は、まだこいつの名前を呼べる。反応してくれている。


 地下牢の冷たい空気の中で、僕らはしばらく無言で向かい合っていた。

 ベルクレアの夜景を眺めながら、二人で座っていた時のように――

 

 僕たちの間に気まずさなんて感じなかった。


 しばらくして、遠くで鐘の音が鳴る。

 夜を告げる低い鐘。

 この沈黙の中に響く鐘の音は、少し不気味だ。

 理由は分からないが、僕には少しだけそう感じた。


 「.....」


 今日は長い夜になりそうだ。そんな長い夜ほど、人にはたくさん考える時間が与えられる。


 後悔した日のことに、まだ手放せないモノのこと。

 

 そして、ここから『逃げ出す夜』のことを――

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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