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灰雪のベルクレア  作者: 村井 世那
前日譚
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第九話 脱走

 

 その夜、僕は眠れなかった。考えていたんだ。

 ウェインが、あの姿に変えられた理由を。

 けれどいくら考えても、その答えが見つからない。


 そういえばウェインの父親も、あいつが三歳の時に騎士団に連れて行かれたと言っていたっけな。


 もしかすると、ウェインの父親も同じように


        ――いや、まさかな。


 鉄格子の向こうにいたはずのウェインは、見回りの兵に連れて行かれもういない。

 残っているのは、床の上に散らばったわずかな砂鉄と、再会の記憶だけだった。


 『久しぶりだな』


 たったそれだけの言葉が、僕の頭の中で何度も響いている。あの夜、僕も一緒に走れていたら結果は変わっていたのかもしれない。そういう後悔だけが残る。


 ウェインが逃げた。

 でも憎みきれなかった。


 ウェインがあの姿になってしまったのを見て、胸のどこかが冷え切ってしまったからだ。


 自分が捕まらなければ...

 ウェインが逃げなければ....

 二人とも最初から盗みなんかしていなければ.....


 考えたところで何も戻らない。

 むしろ、時間がどんどん過ぎていくばかり。


 僕は床に落ちていた砂鉄を見つめた。

 ほんの少しだけ残されたそれは、灯りの乏しい牢の中で鈍く光っていた。その微かな光が、まだ僕たちに希望はあるのだと...そう思わせてくれるようだった。


 そうだ...まだ終わっていない。

 こんな所で終われないんだよ...。


 妹に返せていないものだってある。それに、自分の罪にもまだ向き合えていない。何より『機骸』になった相棒を、このまま地下で朽ちさせていいのかという問いが、心の奥に沈んでいるんだ。


「.....」


 そして僕は、ゆっくりと右手を握った。

 黒の指無し手袋の下で、隠しているものが眠らずにいるみたいだった。まるで、切り離されたトカゲの尻尾が死にきれず跳ねるように、手の甲の奥で何かが微かに疼いていたのだ。


 ベルクレアの冬は長い。

 それに、雪は何もかもを覆い隠す。けれど、冬が過ぎれば雪は溶け、隠されていたものがあらわになる。


 夜も同じだ。

 暗くて見えないだけで、朝を迎えれば隠されていたものが全てあらわになる。逃げるなら今しかないんだ。この夜が終わる前に、なんとしてでもここから抜け出す。


 鉄格子の向こうは暗い。正直いって不気味すぎるほどに。それでも、暗いからこそ人はその先を想像する。


 僕は覚悟を決め、そして小さく息を吐く。


「……待ってろよ、ウェイン」


 返事はない。

 だが、その言葉だけで少し、胸の奥に熱が戻った気がした。


 そうして、僕の逃亡劇が幕を開けることとなった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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