第十話 決意の夜
ウェインが連れて行かれたあとも、鉄の足音だけがしばらく地下牢に残っていた。
――がしゃり、がしゃり。
本当に重たい足音だった。あんな姿でよく歩けているな。僕だったら、一歩踏み出すだけで三十秒はかかる気がする。いや、それ以上かもしれないが......。
その音は、遠ざかるにつれて水滴の音に溶けていき、やがて何事もなかったかのように、闇の底へ沈む。
そんな僕は、鉄格子の前に立ったまま動けずにいた。別に足がすくんだわけじゃない。ただウェインの姿が見えなくなるまで、そこに立ち尽くしていただけだ。
床の上には、まだ砂鉄で書かれた文字の名残があり、乱れ崩れ、それでもかろうじて『すまない』の最後の一線だけが残っている。
砂鉄で文字を書くのに、どれほど神経を使うのか、僕には想像もつかない。たぶんウェインは、僕が思っているよりもずっと繊細なやつなんだろう。
そもそも僕は、あんなふうに機骸化された人物をみるのは初めてだった。ベルクレアで十五年間も育ってきたというのに、街の中では一度として見たことがない。街の連中は、王宮地下で機骸実験が行われていることを、ほんとうに知っているのだろうか。
ふと疑問に思ってしまった。
もしかしたら、知ったやつは全員殺されるのか...そう考えた途端、ぞっとした。けれど、そんなことを考えていてもしょうがないのだ。それで助かるなら、僕だっていくらでも考えている。
とにかく今は、逃げることだけに集中しよう。
でも僕からしたら、あれは罰じゃない。
もう人に与えていいものではないんだ。
それだけは、鈍感な僕にでもちゃんと分かることだった。
僕はゆっくりとしゃがみ込み、床に残った砂鉄を指先でなぞった。
(冷たい...金属の冷たさ)
不思議とそれは、昔のウェインの気配みたいにも思えた。
「......ここから出る」
僕は誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
あまりでかい声でそんな事を言えば、近くの看守に気付かれるかもしれない。
「治せるかどうかは分かんない。本当は、治す手立てなんてないんじゃないかと思ってる。だけど...」
僕は言葉を切って、右手を握った。そして――
「お前の身体と失われた喉を、元に戻す方法を必ず探してみせる」
返事はない。当然だ。
小声での決意表明なんて、近くにいる看守にさえ聞こえないんだから。それでも、その言葉を口にしたことで、胸の奥の何かがようやくひとつに固まった気がした。
逃げて外へ出る。そして探すんだ。
それで、必ずこの『場所』に戻る。
直後、夜の九つ鐘が低く鳴った。
それと同時に僕は顔を上げた。
時刻を告げるその音が、今夜だけは処刑台の鐘ではなく、『始まりの合図』に聞こえた気がした。
「すうぅぅぅーーはぁぁぁー......」
静かに息を吐き、カシミヤに覆われた右手を開く。
すると掌の上に、淡い銀色の粒子が集まりはじめる。雪明かりを失った銀みたいな、冷えた光。やがて淡い銀色の粒子は、三枚の紙と細い筆記具、洋封筒に姿を変えた。
そして僕は、石床に膝をつく。本当なら、書きやすいように台を置いても良かったのだが、そんなことをしたら看守に気付かれてしまう。それだけは絶対にダメだ。
いつもなら盗みに使う力を
――今夜は別のために使う!
自分がここからいなくなる前に、どうしても残さなければならない言葉があったから。
叔母にもアリーシャにも、いつ会えるのか分からない......そもそも会えないかもしれない。
だから今こうして、手紙で僕の気持ちを残しておきたい。そう思ったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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