第51話 『バンカムの香り』
しばらくムシュキたちの後ろを歩いていると、前方から声が飛んでくる。
「おーいクルエルよ。久しぶりじゃのお! 淹れたてのバンカム、飲んでかんかね?」
その声の主は、店先に立つ白髪の年配男だった。
片手に湯気の立つ木杯を持って、笑顔でこちらへ手を振っている。
男の隣にある建物の窓からは、香ばしくて少し焦げたような良い匂いが漂ってくる。
「お久しぶりです! カヴァさん。今日は忙しいので、また今度お願いします」
クルエルは歩きながら片手を上げて、そう言った。
「そうかい。なら、次を楽しみに待っておるぞ」
カヴァと呼ばれた男はそう言葉を返し、乾いた笑みを浮かべながら店の中へと入っていった。
おそらくカヴァという男は、クルエルにバンカムという飲み物を飲んでもらいたかったのだろう。
去り際のあの表情から、それが伝わってくる。
(...バンカム)
ベルクレアでその名を耳にしたことはあったが、僕は一度も飲んだことがない。
「どんな飲み物なんだ? バンカムって」
僕がそう尋ねると、クルエルは少しだけ頬を緩ませながら答えてくれた。
「バンカムは、庶民には少し手が届かない飲み物でな。煎った木の実を細かく砕いて、湯で煮出す黒褐色の飲み物のことだ。味はかなり苦いが、飲めば眠気が覚めて、頭が冴えるんだ」
「黒褐色...」
それを聞いて、僕は思わず眉を寄せた。
「いくら頭が冴えるつっても、そんな色の飲み物を飲む奴なんているのか?」
僕がそう言うと、隣を歩くティエラが、呆れたように肩をすくめた。
「はぁ...あなたバカねぇ。眠気が覚めるとか、頭が冴えるとか、そういう効果があるのなら味なんて気にしない人もいるわよ。特に長旅をする冒険者や、昨夜の待ち伏せしていた騎士たちなんかはね」
「.....」
何か言ってやろうと思ったが、うまい言葉が出てこなかった。
ティエラの言っていることも分かる気がしたから。
「ティエラの言うとおりだ。冒険者や騎士、門番なんかは、味を楽しむためだけに買っているわけじゃない。その味に価値を見出しているというより、それを飲むことで得られる効果に価値を見出しているんだ」
クルエルのその言葉に、ティエラは笑みを浮かべて軽く頷いた。
「ほら、私の言ったとおりでしょ?」とでも言わんばかりに。
なんだか、少し悔しい気持ちになる。
そんな僕たちを見て、クルエルがふと思い出したように問いかけてくる。
「お前たちは、バンカムの原料となる木の実がどこで採れるか知っているか?」
見たことも飲んだこともない僕が、知っているわけないじゃないか。
そんなことを思いながらも、僕は正解の分からないクルエルの質問を、もっともらしい言葉でいなした。
「まぁ庶民には少し手が届かないってなると、それだけ入手困難で危険な場所にあるってことだよなぁ。てことは・・・「ダンジョンね」
僕の言葉に蓋をするように、ティエラがいきなり口を挟んできた。
前から思っていたが、彼女は人の話を遮ることに何の抵抗もないらしい。
やはり物静かなアリーシャとは、性格がまるで違うな。
「正解だ。二人とも。バンカムの実は、《採取型》のダンジョンで手に入るんだ」
「採取型って、マップでいう緑の印のやつか」
「あぁそうだ。以前も話したが、薬草や木の実、樹液なんかを得るためのダンジョンだ。お前たちがもう少し強くなったら、そういう場所にも行ってみると・・・「家、着きました!」
今度はクルエルの説明を掻き消すように、ムシュキの声が前から飛んできた。
ムシュキに言われ、僕たちはその場で足を止めた。
そこは、通りの端にある小さな家だった。
石造りの壁に木の扉。
窓辺には少し萎れた花が飾られていた。
その萎れた花に意味なんかないのかもしれないが、見ていてあまり良い気分はしなかった。
彼らの家は、武具の街の中では目立たない家かもしれない。
けれどそこは、二人にとって帰るべき大切な場所なのだ。
「僕たちのために、ここまでして頂いてありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
そう言ってムシュキが深く頭を下げると、ジェナもそれに続いて頭を下げた。
それを見て、クルエルは小さく頷く。
「お前たちが無事に帰れたなら、それでいい」
とたん、彼らの家の中から『バタバタッ』と誰かが駆け寄ってくる音が聞こえた。
扉の向こうから漏れてくるその音を背に、僕たちはムシュキ、ジェナに別れを告げ、次なる目的地へと向かって歩き出した。
あの後、二人がどんな言葉を掛けられたのかは分からない。
怒られたのか。
泣かれたのか。
それとも、無事を喜ばれたのか...
――けれど。
二人にはまだ帰る場所があって良かったと、僕は思う。
二人を待ってくれる人がいる。
二人を怒ってくれる人がいる。
二人を抱きしめてくれる人がいる。
僕とは違って、二人は罪も犯していない。
彼らはまだ、人生のやり直しが効く段階にいるんだ。
僕は二人の兄貴がどんな人だったのかは知らないけれど、あの二人には、その兄貴の分まで強く生きてほしいと、心の中でそう願った。
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