第41話 『寄るべき場所へ』
「イザヤ、いつまで寝てるの!」
耳元に飛び込んできた声で、僕は寝台の上で跳ねるように目を覚ます。
目を開けた瞬間、ぼやけた視界いっぱいにティエラの顔があった。彼女は朝から信じられないくらい元気で、こっちはまだ頭の半分が毛布の中に沈んでいるというのに、彼女の声だけはやけにはっきりしていた。
たしか小さい頃、アリーシャにもよく起こされていたっけな。こんな感じで。
「うるさいなぁ。もう少しだけ寝させてくれよ...」
「何よぉ。起こしてあげたのに」
「あぁ、分かったよ。起きればいいんだろ」
僕は重い瞼を擦りながら、寝台の上で上体を起こした。
客間には朝の薄い光が差し込んでおり、窓の外では、村の誰かがもう動き始めているのか、遠くで桶の水が揺れるような音が耳に伝わってくる。
僕の横では、クルエルがまだ寝ているのか、とも思ったが、そこにクルエルの姿はなかった。
僕は再びティエラに視線を向け、そして尋ねる。
「あれ? クルエルは何処に?」
「あの人なら、村長さんと応接間で話をしているわ。直に終わるらしくて、起こしてこいって言われたのよ」
「そういうことか。なるほどな」
壁に掛けられた時計は、朝の六時頃を指していた。
「.....」
まだ六時じゃないか。
クルエルは何を考えているんだ。
「いくらなんでも、早すぎないか?」
「知らないわよ。私だって、起こしてこいって言われただけなんだから」
そう言葉を発しながら、ティエラは肩をすくめた。
僕は寝台から降り、軽く髪を整えてから客間を出た。
廊下には、木の家らしい乾いた匂いが漂っており、昨晩の暖炉の熱がわずかに残っているのか、壁際だけがほんのり温かかった。
そして扉の前へ立ち、『トントンッ』と軽くノックをすると「入れ」という言葉が奥から返ってきた。
そう言われるがままに、僕が扉を押し開くと、中には、カルロ村長とクルエルが向かい合うように座っており、机の上には湯気の薄れた茶器が置かれていた。
どうやら、僕が起きるよりずっと前から話していたらしい。こんだけ朝早くから話し合わないといけないほど、重要な話なのだろうか。
いや、どうせ他愛のない昔話に再び花を咲かせているのだろう...と考えた直後、カルロ村長は僕を見て、穏やかに目を細めた。
「少年よ。あの後、ぐっすり眠れたか?」
「はい。村長に話を聞いてもらったからか、よく眠れました」
「そりゃあ、よかったのう」
村長は口元を緩めながら、ゆっくり頷いた。
そして、満更でもないといった様子で、満足げに膝を叩き始める。
「また何かあれば、いつでも訪ねてきなさい」
「はい。ありがとうございます」
そう言葉を返すと、今度はクルエルが僕に言葉を掛けてくる。
「それはそうと、イザヤ。すぐにここを出発する。寄るべき場所ができたんだ。とっとと着替えてこい」
(そんな急に告げられてもなぁ...)
なんてことを思ったが、大人には大人の事情があるのだろう。
「分かったよ」
そして僕は、応接間を出て客間へ戻った。
寝巻き代わりにしていた服を脱ぎ、旅の服に着替える。それから、ベルクレアの牢で創ったダークグレーのフーデッドコートを羽織り、今度はティエラと一緒に応接間へと足を運んだ。
「クルエル。出発の準備できたぞ」
「私も行けるわ」
「よしっ! じゃあ出発するぞ」
そうして僕たちは、カルロ村長に見送られながら玄関へと向かった。
***
――玄関扉の前。
「村長、ありがとうございました。また何かあれば、よろしくお願いします」
そう言って、クルエルが頭を下げる。
そして僕とティエラも、それに倣って頭を下げた。
「ありがとうございました」
「お世話になりました」
カルロ村長は、少し寂しそうにも見える笑みを浮かべ、「また、皆で来なさい」と言ってくれた。
その言葉が、不思議と嬉しかった。
そんな約束ができるほど、僕たちの旅が安全なものじゃないという事は百も承知だ。
――それでも。
そう言ってくれる場所があることは、僕たちにとってかけがえのない救いになる。
自分たちを歓迎してくれる場所が、この【世界】のどこかに少なからず存在しているのだと。
そう思うだけで、安心して旅ができる気がした。
そうして僕たちは、先ほどクルエルの語っていた『寄るべき場所』へと向けて、セロ村を後にした。
***
村を離れてから、しばらく歩いた。
朝の空は白く霞み、地面にはまだ夜の冷たさが残っている。
「はぁぁぁ...さむっ!」
横でティエラが、そんな声を零した。
見れば、彼女は両腕を抱えるようにして摩っていた。
彼女の白を基調にした服は、見た目こそ綺麗だが、どう考えても朝の冷気には薄すぎる。
それに布が薄ければ、白だろうが黒だろうが寒いものは寒い。僕は、彼女が寒そうにしている姿を見て、放っておけなくなった。
「ティエラ。コートいるか?」
「うん。ありがとうっ!」
ずいぶんと早い返事。
おそらく、僕がそう言うのを待っていたのだろう。
僕は苦笑しながら右手を軽く上げ、掌を開いた。
とたん、右手を覆うカシミヤの指無し手袋の縫い目の下が、真紅色に滲む
――次の瞬間。
掌の上に淡い銀色の粒子が、見えない糸に引き寄せられるように集まり始める。
粒子は揺れながら重なり、やがて一枚のロングコートへと姿を変えた。
「ほら。これ羽織れよ」
「.....」
ティエラはコートを見たまま、すぐには受け取らなかった。なにか不満があるかのように、僕の方を『ジッ』と睨んできたのだ。
「......んどうした、ティエラ。早く羽織らないと風邪引くぞ?」
そう促すと、彼女は渋々といった様子でコートを受け取った。
「...はい、どうも」
その声には、なんだか少しだけ棘があった。
鈍感な僕には、その理由が分からなかった
――けれど。
コートを広げた瞬間、彼女の表情が嘘のように変わった。
「なに、これ...!?」
彼女は端から端まで視線を走らせ、目を大きく見開いた。
「どうしたのよ、このコート」
「お前に似合いそうなデザインにしたんだ」
そう言うと、ティエラはまたコートの全体を見渡した。
コーンフラワーブルーを基調にした、北方風のロングコート。細身の形だが、動きにくくならないように裾には余裕を持たせてある。そして、歩けば布が後ろへ流れるように、軽さも意識した。
袖口、裾、胸元には銀糸の刺繍を入れ、雪の結晶や北方の植物を思わせる細い模様を
――ただし!
派手すぎないように抑えている。なぜだか、ティエラにはそういう静かな華やかさの方が似合う気がしたから。
だって彼女は、雲の上に住んでいるような人間。
どうせなら、ちゃんと気品のある格好でいてほしかった。
ティエラはしばらく眺めたあと、片腕ずつ袖を通した。
「あったかい」
彼女は小さくそう呟いた。
それから少しだけ目を伏せ、「ありがとう」と感謝を僕に伝えてくれた。
「それならよかった。もっと寒くなったら、腰のベルトを締めろよ。冷気が入りにくくなるから」
「...うん」
...てっきり僕は、いつもの調子で「そんなこと、知ってるわよ!」なんて言葉を返してくるかと思ったが、今の彼女は、人が変わったのかと錯覚してしまうくらいに、とても大人しかった。
その様子が、なんだかアリーシャに服を着せている時みたいで、僕は少しだけ、胸の奥が柔らかくなるのを感じた。
(いつも、この調子だといいんだがなぁ...)
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