第40話 『北極星』
「......っは!」
浅く息を吸い込んで、僕は目を覚ました。
僕の視界には、暗い天井。
最初は、自分がどこにいるのか分からなかった
――けれど。
鼻先をかすめる薪の残り香と、木造の壁から伝わる静かな温もりで、少しずつ思い出す。
セロ村のカルロ村長宅で、一晩休ませてもらっているのだと。
僕は寝台の上でゆっくりと上体を起こした。
そして隣の寝台に目を向けると、ティエラが毛布を胸元まで引き上げて眠っている。
そのさらに奥では、クルエルが仰向けのまま、寝息一つ乱さず横になっている。
二人とも、起きる気配は全くない。
そんな僕は、しばらく黙って座っていた。
別に悪夢を見たわけでも、初めての寝台で寝苦しかった......というわけでもない。
ただ単純に、眠りが浅かったのだ。
その理由は分からないが、疲れているはずなのに、眠りの底まで僕の頭は沈みきれなかったらしい。
そしてふと壁へ目を向けると、古びた時計の針が深夜二時を指していた。
部屋の中は静まり返っており、赤く熱された炭火だけが灰の下でかすかに息をしている。
このまま寝台に、体を横たえても良かったのだが、なぜか再び眠れる気がしなかった。
僕はそっと毛布を退け、音を立てないよう靴を履く。
そして、ティエラもクルエルも起こさないよう、息まで潜めて客間を出た。廊下を抜け、村長宅の木扉をゆっくり押し開くと、家の中の温もりに慣れていた体が、思わず小さく震え出した。
「さむっ...!」
ややあってからセロ村を見下ろすと、家々の中の灯りは姿を消しており、さっきまで焚き火を囲んで笑っていた人たちの姿も既に見えなくなっていた。
僕は、村長宅の近くで静かに腰を下ろし、何も考えることなく空を見上げる。
そんな僕の目に映る夜空には、数え切れないほどの星が散っていた。
セロ村から見上げる空は、ベルクレアのそびえ立つ城壁や、家々の屋根に囲まれた狭い空とは、まるで違う見え方をしている
――だが。
その星々の中に一つだけ。
周りの星とは違う澄んだ輝きを放ち、ほとんど動かずにまっすぐ北を示す星があった。
『北極星』
それを見た瞬間、僕の胸の奥に眠っていた遠い記憶が、鮮やかな色彩を取り戻した気がした。
そう。あれは、僕がまだ五歳だった頃のことだ。
***
その夜、僕は悪夢を見て泣いていた。
正直何が怖かったのかは、もうハッキリと覚えていない。ただ、目を覚ました僕の手を、父さんが黙って握ってくれていたことだけは鮮明に覚えている。
当時、父さんは何も聞かなかった。
ただ「外へ行こう!」と言って、小さな僕を家の外へ連れ出してくれたんだ。
夜風に吹かれながら白い息を吐き、僕は父さんの上着の裾を『ガッ』と掴んでいた。
そんな父さんは空を見上げ、やがて一つの星を指さした。
「イザヤ。あの星が見えるか?」
「......うん」
「あれはな、『北極星』というんだ。どれだけ暗い夜でも、あの星は空の同じ場所にあって、迷った者に進むべき方角を教えてくれるそうだ」
父さんの声は、いつもより少しだけ静かだった。
深夜二時、皆が寝静まっている時間帯なのだから、今思えば当然っちゃ当然の話なんだが。
「お前には、あの星のようになってほしいと思って、その名をつけた」
僕は意味がわからず、ポカンとした顔で父さんを見上げていた。
「星みたいに?」
「あぁ」
そして父さんは、ほんの少しだけ笑った。
「暗闇の中で『道』を見失った誰かに、進むべき方角を、そっと照らせる者になってほしいんだ」
子どもの僕には、その言葉の意味がよく分からなかった。
「お父さん。なんで僕なの?」
「.....」
その場の沈黙を埋めるように夜風が吹き、庭先の木の枝がわずかに揺れた。
やがて父さんは、『北極星』を見つめたまま静かに口を開いた。
「......お前が生まれる、一年前のことだ」
そこまで言って、父さんは言葉を止めた。
今の僕に、この話をしていいものかどうか、ひどく迷っているような顔をしていたのだ。
「すまない。この話は、お前にはまだ早い」
「えぇー」
「お前がもっと大きくなったら、必ず話してやる。男と男の約束だ!」
父さんはそう言って、僕の頭に『ポンッ』と軽く手を置いた。
「でもまぁ本当なら、自分の名前に込められた意味を、お前自身に見つけてもらいたいんだがな」
***
「.....」
僕は夜空を見上げたまま、しばらく動けなかった。
視線の先では、父さんと一緒に見つめた『北極星』が同じように光っているというのに。
(僕の隣には、もう父さんが......)
そう考えた途端、不意に涙で視界が滲んだ。
心の奥に取り残されていた思い出という名の蝋燭が『ポタッ、ポタッ』と溶け出すように、温かい雫が次々と頬を伝っていく。
――『男と男の約束だ!』
結局、その約束を果たさないまま、父さんは家から居なくなってしまった。
なぜ僕が、『北極星』のようになって欲しいのか?
そして父さんは、僕にどうして欲しかったのか?
「.....」
(暗闇の中で『道』を見失った誰かに、進むべき方角をそっと照らせる者になれ...か)
考えた直後、真っ先にウェインのことが浮かんだ。
機骸に変えられ、声まで奪われた親友。
アイツは今も、あの地下牢にいるのだろうか。それとも、僕が知らないうちに別の場所へ移されてしまったのだろうか。
僕は、アイツを助けると決めた。喉を治し、身体を元に戻す方法を探し出すと。
けれど、本当にそんなことができるのか。現状何を探せばいいのかさえ、未だ分からないというのに。
「.....」
星を見上げているだけで、進むべき『道』が見えるのなら、どれほど楽だっただろうか。
失われた、アイツの人生という名の『道』を、僕なんかが照らしてあげられるのだろうか。
「......はぁぁー」
僕は、夜空に向けて一つ大きなため息を零した。
(僕は何て、アホなことを考えているんだ)
『照らしてあげられるだろうか』じゃないだろ。
アイツを元の姿に戻す。その方法を探すために、僕は旅立ったというのに。
今さら不安になってどうするんだ。
そんなことを考えていると、背後から『ギギィ...』と木扉が軋む音が静かな夜に響いた。
僕が咄嗟に振り返ると、扉の向こうからカルロ村長が、寝間着の上に厚手の羽織をかけ、片手で顎をゆっくり撫でながらこちらへ歩いてくる。
「何をしておる、少年」
夜更けに外へ出ていた僕を、ただ不思議に思っているような、そんな声をしていた。
「村長」
僕は一度腰を上げ、少しだけ姿勢を正す。
「実は、眠れなくって」
「そうか」
カルロ村長は僕の隣まで来ると、少し離れた場所に腰を下ろした。そして僕も、その場で再び腰を下ろした。
村長は夜空を一度見上げ、それから僕へ視線を移す。
「何か、悩み事でもあるんかね?」
「.....」
僕が返事に迷っていると、村長は穏やかに続けた。
「ワシで良ければ、お前さんの話を聞かせてはくれんか?」
その声があまりに自然で、僕は気づけば口を開いていた。
「実は...」
喉の奥で一度言葉がつかえた。
たぶん吹き付ける夜風が、口の中のわずかな湿り気を容赦なく奪い去ったからだ。
「親友がいるんです。でも、ソイツが『機骸』っていう姿に変えられてしまって」
「.....うむ」
「身体を黒鉄みたいなものに覆われて、喉まで失って。それで俺は、ソイツの身体と喉を元に戻す方法を探すために、外の世界へ出てきたんです」
そう言葉にしてみると、改めて無茶苦茶なことを自分が言っているのだと理解した。
すでに足を踏み入れているこの『道』が、途方もなく困難な茨の道だということは痛いほど分かっている。
だからこそ、今は少しでも前へ進むための小さな『光』が欲しかった。
「どんな些細なことでも構いません。カルロ村長、何か知っていることはありませんか?」
「機骸、機骸、機骸、機骸、機骸...」
村長は顔色を変え、夜空を見上げながら、その忌まわしい単語を確かめるように繰り返していた。
(間違いない。村長は、何かを知っているんだ!)
手掛かりすらなかった絶望的な状況から、たった一つ。
僕は暗闇の中で、機骸にされたアイツを元に戻すための、一筋の『光』を見つけたような気がした
――けれど。
村長の口から告げられた言葉は、僕の膨れ上がった期待に容赦なく針を突き刺すような、あまりにも残酷な答えだった。
「すまんな、少年。ワシは『機骸』などという言葉に心当たりがない」
とたん、胸の奥がほんの少しだけ沈んだ。
「そうですか」
それでも、僕は嬉しかった。
出会ったばかりの僕のような旅人のために、親身になって、我がことのように頭を悩ませてくれたのだから。
「ありがとうございます」
「力になれず、すまんのう」
「いいえ。そんなことありません」
僕が短くそう告げた直後、夜の静けさに溶けていくような、柔らかい沈黙が訪れた。
やがて村長は、星を見上げたまま『ボソッ』と呟く。
「少年も、辛い『道』を歩いておるんじゃなぁ」
「.....」
「だがな。あまり深く思い詰めてはならんぞ」
「.....」
「大事なものを取り戻したいなら、まず自分が歩き続けられねばならん。どれほど先の見えない暗闇であろうと、決して諦めずに歩みを止めさえしなければ、いつか必ず、お前さんが求める『答え』へと辿り着く時が来るはずじゃ」
そう言って、村長は膝に手をつき、ゆっくり立ち上がる。
「夜風に当たりすぎると冷えるぞ。気持ちが落ち着いたら、また家へ入ってきなさい」
「はい。分かりました」
僕の返事に村長は小さく頷き、再び家の中へ戻っていった。扉が閉まり、僕の隣はまた静かになる。
それからしばらくして、指先の感覚が少し鈍くなってきた頃に、僕も立ち上がった。
そして冷えた土を払って、村長宅の扉へと歩き始めた。
客間へ戻ると、ティエラもクルエルも、先ほどと変わらず眠っていた。ティエラは少しだけ寝返りを打ち、クルエルは相変わらず静かな寝息を立てている。僕は音を立てないように寝台へ戻り、毛布を肩まで引き上げた。
気分が少しだけ晴れたおかげで、今度は少し、眠れそうな気がしたのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
図々しいお願いで恐縮ですが、評価やブックマークで応援いただけると、飛んで喜びます。




