第39話 『セロ村』
近づくにつれて、家々の形が少しずつ見えてくる。
背の低い木造の家が寄り添うように並び、その間を細い土道が縫っていた。
石造りのドロームとはまるで違う。
そんな村の中央では、大きな焚き火が燃えていた。
火を囲むように丸太の腰掛けが置かれ、村人たちが思い思いに座っている。
誰かが木杯を掲げて笑い、誰かが炙った肉を頬張り、僕よりも小さい子どもたちが、火の周りを走り回っては大人に叱られていた。
少し離れた場所では、大鍋の中で何かが煮込まれているような、香草と肉の混じった温かな匂いが夜風に乗って僕たちの元に漂ってくる。
騒がしいのに、不思議と耳障りじゃない...。
(こういうのを、小さな『幸せ』というのだろうか)
とたん、ベルクレアでアリーシャと同じ卓を囲んだ、あの夜の光景がふと脳裏を過った。
豪華な食事なんてなくても、誰かと笑いながら温かいものを食べられるだけで、それだけで十分に幸せだったんだな。少なくとも、アリーシャはあの夜、そう感じていたのかもしれない。
「.....」
僕がそんな感じで、目の前の光景に気を取られていると、クルエルがこちらに声を掛けてきた。
「今から村長の家へ行く。お前たちもついてこい」
ティエラは何も言わず、ただ首を傾げる。
「泊めてもらう為に、相談へ行くんだ」
クルエルはそれだけ言うと、村の中央を横切って村長宅へと歩き出した。
僕とティエラは一度顔を見合わせ、置いていかれまいと慌てて後を追った。
しばらく歩いていると、村の奥に大きな家が。
その家は、他の家よりも一回り広く、屋根も高かった。木扉の両脇には小さなランタンが吊るされ、木扉の上には『SALVETE』という文字が彫られていた。
クルエルはその扉の前に立ち、軽く拳を握って二度、ノックする。
すると、少しの間を置いて内側から声が返ってくる。
「はぁーい」
足音が近づき、扉が開く。
そこに現れたのは、六十代くらいに見える男だった。
少し薄くなった白髪の頭を掻き、老眼鏡の位置を直しながら、穏やかに微笑んでいた
――だが。
微笑んでいた男の顔から、一瞬で笑みが消えた。
クルエルの顔を見るなり、男は信じられないと言わんばかりに目を大きく見開いたのだ。
「おぉ...クルエルじゃないか!」
クルエルも、いつもより少し表情を和らげながら、言葉を返す。
「お久しぶりです。カルロ村長。相変わらずお元気そうで」
直後、カルロ村長は「ハッハッハッ!」と声を上げて、嬉しそうに肩を震わせた。
「何を言うとるんだぁクルエル! まだワシは六十二じゃ!」
僕とティエラは、そんな二人の微笑ましいやり取りを聞きながら、少しだけ笑みを浮かべていた。
すると、僕たちの視線に気づいたのか、カルロ村長が『ハッ』とした表情でこちらへ視線を向けてきた。
そして、僕とティエラをまじまじと見比べた後で、クルエルへと視線を戻すのだ。
「クルエルよ。お前さんの横におる二人は、教え子か何かか?」
「さすがは村長。相変わらず、勘が鋭いようで」
そう言って小さく口元を緩めると、クルエルはまず僕の方を示した。
「こちらの少年が、イザヤです」
そう紹介され、僕は少しだけ背筋を伸ばす。
「どうも...。イザヤです」
「うむ。よろしくな」
カルロ村長は小さく頷き、次にティエラへと目を向けた。
「そして、こちらの少女がティエラです」
ティエラは、ドロームや道中で見せていた生意気さを少しだけしまい込み、丁寧に頭を下げた。
彼女が王家の人間だということは、本人から直接聞いてはいたが...普段のあの振る舞いのせいで、僕はてっきり、からかわれているのかとさえ感じていた
――けれど。
今この瞬間の立ち振る舞いだけで、彼女の言っていたことが紛れもない事実なのだと理解した。
「こんばんは、カルロさん。ティエラ・ロゼンタールと申します」
その名を聞いた途端、カルロ村長の目つきがわずかに変わった。
「おぉ、家名持ちのお方でしたか。これはとんだ失礼を」
ティエラは、目を細めながら『クスッ』と笑った。
「どうか、お気になさらないでください」
ティエラがそう口にした直後、クルエルは珍しく気難しそうな渋い顔をして、わずかに視線を落とした。
「実は村長、折り入って相談が...」
クルエルがそう言い掛けたところで、カルロ村長は、クルエルが言い終えるより先に「いいぞ」と答えた。
とたん、クルエルが言葉を詰まらせる。
「なぜ...です? まだ何も・・・「お前が、こんな夜更けにわざわざ村まで来て頼みごとをするとなれば、一つしかあるまい」
「.....」
「泊まらせてくれ、じゃろ?」
カルロ村長は、すべてを優しく包み込むような温かい笑みを浮かべて、そう言った。
クルエルは数秒黙り、それから諦めたように息を吐く。
やっぱりカルロ村長には敵わないや...なんて表情をして。
「実は、その通りなんです。何度もお世話になっているので申し訳なくて」
「何を言っとるんじゃ。お前にはいつも世話になっておるからな。そのくらいはさせておくれ」
「ありがとうございます」
そう言って、クルエルは深く頭を下げた。
それは上辺を取り繕ったような義務的な礼ではなく、本当に助かったという気持ちがそのまま形になったような一礼だった。
僕とティエラも、それを見て慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます」
「お世話になります」
三人の言葉を受けて、カルロ村長は朗らかに笑い、扉を大きく開けた。
「さぁ入れ。体が冷える前に中へ」
村長のその言葉に背中を押され、僕たち三人は家の中へと足を踏み入れた。
木の床。
壁際に並ぶ棚。
火の残る暖炉。
カルロ村長は空いている部屋を貸してくれると言い、僕たちに簡単な夜食まで恵んでくれた。
出されたのは、丸いパンと塩気のある野菜スープ。
「ちょっと、そのパン私が食べようと思ってたのに!」
「早い者勝ちだ! それにお前、既に二つは食べてるだろ!」
「あなただって、二つは食べてるでしょ!」
そんなふうに、僕とティエラが残りのパンを巡って他愛のない言い合いをしていると、その横から大きな笑い声が飛んだ。
そこに視線を向けると、カルロ村長とクルエルが昔話に花を咲かせているようだった。普段は感情を表に出さないクルエルが、村長の冗談に呆れたように息を吐きながら、どこか嬉しそうに目を細めていたのだ。
「.....」
そんな二人のやり取りから視線を戻すと、スープの湯気の向こうでは、ティエラが少しだけ肩の力を抜いてパンを口に運んでいた。それを見ているだけで、胸の奥がじんわりと満たされていくようだった。
(.....っ!)
豪華な食事なんてなくても、誰かと笑いながら温かいものを食べられること。
僕は今、その尊さをはっきりと肌で感じている。
叔母さんやアリーシャと食卓を囲んでいた時には気づけなかったけれど、小さな『幸せ』ってこんな感じなのか...。
きっとアリーシャは、僕なんかより先に、それに気づいていたのかもしれない。だからこそ、日に日に薄くなるパンと根菜ばかりのスープを前にしても、あんなふうに笑えていたのだろう。
僕や叔母さんと食卓を囲む温かさそのものが、アリーシャにとっての幸せだったんだ。
(ごめん...。気付いてやれなくて)
***
それから数時間が過ぎ、食事を終える頃には、僕の眠気はすでに限界に達していた。
その後に案内された客間には、簡素な寝台が並んでおり、布団に体を沈めた瞬間、骨の奥まで力が抜けていくのが分かった。
ティエラとの他愛ない口喧嘩に、村の焚き火。
カルロ村長とクルエルの笑い声。
目を閉じ、今日の出来事に思い耽っていると、心地よい眠りが少しずつ、僕の意識をさらっていった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
図々しいお願いで恐縮ですが、評価やブックマークで応援いただけると、飛んで喜びます。




