第37話 『魔族襲来』
オクルトゥナ魔王城は、テラの最南方に降り立った。
そこにはもともと人の営みがあり、石造りの家が並び、夜になれば窓に灯りがともる。
南方の小さな街があった。だが、空から現れた黒い王城は、そのすべてを押し潰した。
城壁が地を割り、尖塔の影が町並みを呑み込み、遅れて吹きつけた衝撃波が瓦礫も悲鳴もまとめて遠くへ弾き飛ばす。
そこにあった街は、精巧に組まれた模型を上から押し潰したように、跡形もなく崩れさった。
その上空には、赤黒い閉じない狭間。
世界と世界の境を無理やり裂いた傷跡。後に『界狭痕』と呼ばれるそれは、テラの空に不気味な笑みを浮かべていた。
南方一帯は騒然としていた。
身体に見知らぬ『印』が浮かび上がり、恐怖に叫ぶ者。
家族の名を呼びながら、必死に瓦礫をかき分ける者。
空に残った赤黒い裂け目と魔王城を指さし、膝から崩れ落ちる者。
何が起きたのかを瞬時に理解できる者など...何処にもいなかった。
『どうか! 夢であってくださいっ....!』と願いながら、南方に住む住人は現実を拒絶するように目を瞑り、指を『ガシッ』と組み合わせて懇願していたのだ。
***
――その頃、魔王城の内部では。
四方の刻座から戻った四人の《六刻将》は、玉座の間に集まっていた。
レデニ、ゾロバ、スラガティ、ユナク。
《界刻儀式》を担った四人は、魔王グラヴァの前で膝をつく。
「転移は、完全に成功いたしました」
レデニが淡々と告げた。
グラヴァは玉座に腰を下ろしたまま、ゆっくりと視線を上げる。
「そうか...」
グラヴァは、そう短く呟いた。
ただそれだけで、玉座の間の張り詰めた空気がわずかに緩む。
だが、グラヴァの眼差しだけは、なおも鋭く先を見据えていた。
「紫結晶を探し出せ...」
とたん、四人の気配が再び引き締まる。
「テラに存在するダンジョンを、片端から調べろ! 小さなダンジョン一つ見逃すな。我の求めるものは、必ずこの世界の何処かにあるんだ」
すると玉座の間に、別の低い命令が落ちる。
「見つけ次第、直ちに余へ報せよ」
「「「「仰せのままに」」」」
四人は示し合わせたかのように、同時に頭を垂れた。
***
やがて彼らは、魔王城の外へ出た。
そこに広がっていたのは、魔界とはまるで異なる空。
本来なら青く澄んでいたはずの南方の空は、今や雨雲の奥を思わせるチャコールグレーに濁っていた。
砕けた石。焼けた木。
そして、人の暮らしが壊れたあとの甘ったるい匂い。
四人は王城の高みから、どこまでも広がるテラの風景をしばらく眺めていた。
ややあって、珍しくユナクが口を開く。
「......ゾロバ」
その声は平坦だったが、ユナクの視線はある一点に止まっていた。
「その額にある『印』...前からあったか?」
ゾロバはわずかに眉を動かした。
それから、己の額へ指を添える。そこには、以前なかった群青色の『印』が刻まれていたのだ。
「いや...」
ゾロバは、声色一つ変えずに答える。
「狭間を抜けた時、額が焼けるように熱を持ったんだ。その瞬間、額が光を帯びた」
ゾロバは、事実をそのまま並べた。
その言葉を聞いたレデニが、ふとユナクへ視線を向ける。
「なんだユナク...」
薄く嘲るような、冷え切った声。
「狭間を抜ける時、身体の何処かで熱を感じなかったのか?」
ユナクは『まさか、コイツも!?』と思いながら、レデニへ顔を向ける。
その直後、ユナクの目がほんの少し見開かれた。
黒い長衣の襟元の、そのわずかな隙間から覗く鎖骨に、淡いタフィーピンクの『印』が新たに刻まれていたのだ。
「...っ!」
(レデニにも、ゾロバにも...なんで二つ目の『刻印』が発現しているんだよ)
そんなユナクの、唖然とした表情をみたスラガティは、揶揄うように言葉を投げる。
「あんま気にすんなよ、ユナク。別にオメェが認められなかったとか、そういうわけじゃないだろうさ」
涼しい顔で言い放つスラガティに、ユナクは噛みつくように言葉を返す。
「スラガティ! お前はどうなんだよっ!」
その返しを待っていたとでもいうように、スラガティは『ニヤッ』と笑みを浮かべた。
「......俺かぁ?」
そう言いながら、スラガティはわざとらしく上体を折り、右の短靴を外す。
そして黒い布地の裾をわずかに持ち上げると、くるぶしのあたりに墨を流したような黒っぽい『印』がしっかりと刻まれていた。
ユナクはそれを見て、込み上げる悔しさを押し殺すように、奥歯を噛み締める。
「六刻将の一人だってのに。なんで僕だけ...」
その気詰まりな空気を見て取ったのか、ゾロバがさりげなく話題を切り替えた。
「で、お前たちはこれからどうするんだ? 俺はさっそく、ダンジョンを一つずつ潰していこうと思っているんだが」
するとレデニが、少しも間を置くことなく言葉を返す。
「私は王城に残るつもりだ。この異変に気づいた者が、いずれここへ調べに来るだろう。だから、ダンジョンの事はゾロバ......お前に任せる」
その言葉に、ゾロバは小さく頷き、残りの二人に視線を向けた。
「スラガティ、ユナク。お前たちはどうする?」
「俺もオメェと同じだ。『紫結晶』なんざ興味はねぇが、己の愉悦のためにダンジョンへ潜るつもりだ」
「僕は...テラがどんな場所なのか、どんな種が生きているのか、どんな街があるのか。この世界について、沢山知りたいから適当に旅をするよ。それに、『紫結晶』について何も知らないまま探し回るより、この世界の奴らに直接聞いたほうが早いと思うんだ」
その二人の返答に、ゾロバはしばらく黙った。
(嗜虐に酔う狂人と、好奇のままに踊る愚物...)
やがてゾロバは、片手で顔を覆って息を吐き出す。
「...はぁ。ザオとドゥビナよりは、幾分かまともだと思っていたが。お前たちも大概だな。共通の目的より、自分の欲を優先するとはな」
とたん、スラガティが喉の奥で笑い、ユナクは悪びれもせず、どこまでも広がるテラの風景をじっと眺めていた。そんな中、レデニだけは何も言わず、ただ静かに空を見上げていた。
不気味な笑みを浮かべる赤黒い『界狭痕』の下で、四人の《六刻将》はそれぞれ別の道を選んだ。
『紫結晶』を探す者。
魔王城を守る者。
己の興味を満たす者。
未知の世界を見ようとする者。
四人はそれぞれの考えの基で、この世界を行動することとなったのだ。
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