第30話 『長との対面』
――深い闇の底。
自分の体がどこにあるのかも分からず、ただひどく重たい鉛の塊になったような感覚。
そんな僕の肩を、激しく揺さぶる必死な指先の感触とともに、近くで誰かの声が響く。
「ねぇ! 起きてよ!! ....ねぇ.........」
(アリーシャか......?)
いや、違う...この声は――
――ティエラだ。
意識が朦朧とする中で、さらに別の低くて重い声が重なった。
「ティエラ、あんま揺さぶるな」
「でも!!」
「雑に触るな。負傷者なんだぞ。お前のせいで傷口が悪化したらどうする」
厳しい言い方だ。
だが、僕のことを思ってのことだろう。
次に感じたのは、胸の上に置かれた大きな手のひらの熱だった。
口の中には鉄の味が広がっているけれど、内臓がせり上がってくるような不快感はない。
幸い、僕の怪我は、そこまでの大事には至っていないらしい。
(...あったかい)
掌から、穏やかな熱が肌を伝って染み込んでくる。それは蛍の光のように優しくて、止まりかけていた呼吸(酸素)をゆっくりと押し広げてくれるような感覚だった。
とたん、僕の肺が大きく膨らみ、酸素が錆びついた歯車(血液)を無理やり回すように全身へと巡りだした。
「......助かるのよね?」
ティエラが、祈るようにそう問いかける。
「死ぬほどの怪我じゃない。戦っていればよくある怪我だ」
そんな淡々としたクルエルの返事が、不思議と僕を安心させた。この男は、きっとこういう光景を何度も見てきたのだろう。あるいは、クルエル自身が経験してきたのだろう。その経験に基づいた小さな返しが、死の恐怖を遠ざけてくれる。
次の瞬間、僕の体は荷物か何かのように『スッ』と抱え上げられた。やがて、その揺れに身を任せているうちに、僕の意識は再び...いや、今度こそは完全に、深い眠りの底へと沈んでいったのだ。
***
次に目を覚ましたのは、心地よい火の気配を感じる広い部屋の中だった。厚い石壁に高い天井。
寝かされていたのは簡素な長椅子で、お世辞にも寝心地が良いとは言えないが、牢獄の冷たい石床に比べれば天国のようだった。
「うっ! どこだ、ここは...」
掠れた声でそう呟くと、近くにいたクルエルが振り向いた。
もしかするとクルエルは、僕が起きるのを、ずっと待ってくれていたのかもしれない。
「ドロームの長の館だ。もう陽がだいぶ傾いている。だいたい夕暮れ時といった所だろう。お前はここへ運び込まれてから、半日近く眠っていたんだ」
話に耳を傾けながら、僕はゆっくりと上半身を起こす。腹にはまだ鈍い痛みが残っているが、気絶する直前のあの凄まじい衝撃に比べれば、ずっとましだった。
直後、部屋の奥で「ごほんっ!」と、わざとらしいほど大きな咳払いが響いた。
声のした火床のそばを見れば、そこには小柄な老人が座っていたのだ。
クルエルの言葉から察するに、この老人がドロームの長なのだろう。
その老人は一度姿勢を正してから、僕を真っ直ぐに見据える。
「えぇとだな、少年。いや、青年と言うべきか?」
その声は、門番たちと同じく石と鉄を思わせる重厚さを持っていた。それに加え、年長者特有の温かみも。
「竜との戦い、大義であった」
僕は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
記憶では、竜の尾に吹き飛ばされ、徐々に意識が遠のいていくところで途切れていたからだ。
「単刀直入に言おう。この街でお主が起こした問題行動は、すべて不問とするっ!!」
「えっ?」
僕は思わず目を瞬かせた。わけが分からない。
僕は結局、あの竜を仕留めきれなかったはずだ。
それなのに、不問だなんて。
たしかに、酒場でドワーフの住人をド突いたことを、水に流してもらえるのは嬉しい。でも...。
困惑する僕を見てか、クルエルが軽く肩をすくめる。
「イザヤ。お前が気絶した後で、俺がトドメを刺しておいた。命は保証すると、最初から言っていたからな」
(やっぱりか...)
戦う前は「倒してやるっ」なんて息巻いていたのに。
情けなくて、声すら出なかった。
そして僕は、思わず視線を落としてしまった。
自分の実力不足が、悔しくて堪らない。
「だが、お前が必死に前へ出たことや、竜に最初の一太刀を入れたことも、ちゃんと長には話しておいた」
そう説明すると、クルエルはどこか照れくさそうに、窓の外へ視線を逃がした。
「それで、勘弁してもらえたんだ。お前の失敗も、戦った分だけ相殺ってわけだ」
とたん、長が満足そうに鼻を鳴らす。
「わしらドワーフは、逃げずに前へ出た者を頭ごなしに否定するほど、野蛮な種族ではない。お前は勇敢に戦った。わしは、その『誇り』を評価しているのだ」
「.....」
ベルクレアでは、たぶん一生聞くことができない言葉。この街は、罪を犯せば『機骸』に変えられる、あんな冷たい街とは違う。
種族によって、これほどまでに価値観が違うのかと、自分の中の凝り固まった常識が崩れていった。
(なんだよ...ドワーフって誠実じゃないか)
僕は何も言えなかった。ただこみ上げてくる涙を必死にこらえながら、深く深く頭を下げることしか。
「すみませんでした。
それと、ありがとうございました!」
長はそれに対し、深く追求することもなく、ただ一度だけ力強く頷いた。
「うむっ!!」
短い一言。
けれど、それだけで僕の『謝罪』と『感謝』がすべて受け入れられたのだと、胸の奥で静かに分かった気がした。
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