第三十話 初陣
――【刻印持ち】じゃない――
クルエルにそう言われたことで、僕の胸に張りついていた恐怖は、やや和らいだ。
それでも、僕の目の前にいるのは腐っても竜。
見た目は赤く、硬そうな鱗をしている。
僕は走り出す。
今度は逃げる為ではなく、戦う為に。
僕が走りながら右手を振り下ろすと、手袋の縫い目の下で、真紅の光が一瞬だけ滲む。すると、いつもと同じ淡い銀色の粒子が指の周りに集まり、僕がよく愛用していた細身のフォールディングナイフへと姿を変えた。
背後から、それを見たティエラが息を呑んだ。
そしてクルエルは、霧が晴れたような顔をして、ほんのわずかに口元を上げて声を漏らす。
「ふっ...なるほどなぁ」
それは腑に落ちたような言葉だった。
盗みのために何度も生み出してきた刃。手に馴染んでいて持ちやすい。だが、戦うための刃ではない。
それでも僕は、躊躇うことなく竜へと向けた。僕は床を蹴って飛び跳ね、肩口から背へ乗るよう着地した。
「……っ!」
そして、背の継ぎ目めがけてナイフを振り下ろす。
しかし刃は、赤銅色に光る硬い鱗に弾かれた。とたん、金属が弾けるような甲高い音が響き、その衝撃が腕ごと跳ね返ってくる。
「うそだろっ!」
竜が激しく身をくねらせ、僕は背中から振り落とされた。石床へ転がりながら咽せ、竜の爪が床を引っかき、激しい火花が散った
――その時。
クルエルの声が結界内に響いた。
「イザヤァァァーーー!」
「そんな小さな刃じゃ致命傷は与えられねぇ!
もっと戦うためのものを創りだせぇ!」
「.....」
――その通りだ。
今の僕の手は、盗みのための動きばかり覚えている。だけど、今必要なのはそれじゃないんだ。もっと想像を巡らせて、戦うための武器をイメージする。
それが、今の僕には必要なんだ。
僕は床に膝をついたまま歯を食いしばり、右手を強く握る。すると手袋の縫い目から、さっきよりも強い真紅色の光が滲むのを感じた。
とたん、銀色の粒子が比べものにならない密度で集まり始め、周囲の空気を微かに震わせた。
やがて粒子は重なり固まり、刃と柄を持つ一本の剣へと変わっていく。これは騎士が持つ大剣ほどではない。けれど、片手で振るにはやや重く、斬るために必要な厚みを持った剣。
ティエラが抱えていた剣と同じくらいの大きさ。
彼女が持っていたのを見たおかげで、創るイメージができたんだ。僕は剣を構え、竜に向かってもう一度走り出す。
直後、竜が大きく息を吸い、喉奥が赤く灯った
――炎だ。
けれど、僕の身体能力なら炎くらい簡単に避けられる。そして十二歳の頃から盗みで培ってきた足は、逃げるためではなく、生きて懐へ潜り込むために動いた。
炎が吐かれた瞬間。
横へ逸れて回避し、すかさず竜の腹の下まで一気に滑り込んだ。そして僕は、竜の腹に向けて渾身の力で剣を横薙ぎに払った。
硬い背の鱗に対し、竜の腹は柔らかく、今度は弾かれなかった。確かな手応えとともに腹部が少し裂け、僕は初めて敵に傷を与えた。
「......入ったっ!」
傷は浅い...それでも、僕の創った剣は確かに竜の体に傷を与えたのだ。その事実だけで胸が熱くなった
――だが。
その熱が一瞬にして冷めてしまうほどの出来事が、直後に僕を襲う。
竜が再び体を激しくくねらせ、太い尾が僕めがけて振り抜かれたのだ。だがそれに気づいた時には、もう遅かった。尾は僕の脇腹を打ち、僕の体を軽々と吹き飛ばした。
――次の瞬間。
背中が結界の壁へ叩きつけられ『ゴンッ!!』と鈍い音を上げる。僕の口からは大量に血が流れ、膝が折れ、剣が床へと落ちた。しかしその剣は、銀色の粒子へと戻ることはなく、まだ形を保った状態を維持していた。
するとその光景を目の当たりにしたティエラが、正気を失ったかのように甲高い叫び声を上げる。
「イザヤァァーー!」
霞む視界の端で、彼女が僕のほうへと駆け寄ろうとするのが見えた。だがクルエルは動かなかった。
まるで本当は、助けるつもりなんて元々なかったかのように。腕を組み、感心した様子で突っ立っていたのだ。
「あいつ、鍛えてないくせになかなか頑丈だな」
ティエラは、そんなクルエルに向けて声を荒げた。
「感心してる場合っ!? 助けなさいよっ! 約束してたじゃない!」
しかしクルエルは、彼女の言葉を無視して、倒れた僕をずっと見つめていた。
「大丈夫だ。アイツはまだ戦える。
少なくとも...俺はそう信じてる」
クルエルがそう言い出した次の瞬間、僕は竜の前で大きくよろめき、そのまま片膝をついた。
きっと能力の過剰利用に加え、大量に血が流れたことでフラフラしているのだ。以前も似たような症状に陥ったことがあっ.......
...と、僕がそう考えている最中。
限界を迎えた身体が言うことを聞かなくなり、竜の前で『バサっ』と倒れ込んだ。薄れゆく意識の中で、そこでようやく、クルエルの雰囲気がほんのわずかに変わったのだ。
「...チッ。ここまでか」
彼の左手が腰の剣の柄に触れる。すると一瞬だけ、外套の奥のどこかで群青色の強い光が滲んだように見えた。それが能力...いや『刻印』によるものかどうかは分からない。だが、力が大きく動いた時だけに生まれる、あの一瞬の強い光だけは確かに感じ取れたのだ。
――次の瞬間。
クルエルは剣を抜いた...というよりも、剣を素早く投げた。投げられた剣は、まっすぐ空間を裂くように竜へと向かう。それに気づいた竜が首を即座に上げるが、その頃にはもう刃は首を綺麗に断ち切っていた。
『ドサッ!』と重いものが崩れる音。
切り離された頭が床を滑り、赤い血が石の溝を這っていくのが、ぼんやりとした視界に映る。
剣はそのまま結界の見えない壁へとぶつかり、金属音を立てて床へ落ちた。そして最後には、静けさだけがこの結界内に残った。
その全てを見届けたところで、僕の意識は深い闇の底へと少しずつ沈んでいったのだ。
「......ザヤっ! イザヤ.....ッ! イザ....」
「.....」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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