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灰雪のベルクレア  作者: 村井 世那
旅立ち編①
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第29話 『初陣』

 

 【刻印持ち】じゃない。


 クルエルにそう言われたことで、僕の胸に張りついていた恐怖は、やや和らいだ。


 それでも、僕の目の前にいるのは腐っても竜。

 見た目は赤く、硬そうな鱗をしている。


 僕は走り出す。

 今度は逃げる為ではなく、戦う為に。


 僕が走りながら右手を振り下ろすと、手袋の縫い目の下で、真紅の光が一瞬だけ滲む。すると、いつもと同じ淡い銀色の粒子が指の周りに集まり、僕がよく愛用していた細身のフォールディングナイフへと姿を変えた。


 これは、盗みのために何度も生み出してきた刃。

 手に馴染んでいて、持ちやすいものだ。


 僕はそれを、躊躇うことなく竜へと向け、床を蹴って飛び跳ね、肩口から背へ乗るよう着地した。


「……っ!」


 そして、背の継ぎ目めがけてナイフを振り下ろした。

 しかし、刃は赤銅色に光る硬い鱗に弾かれてしまった。


「うそだろっ!」


 竜が激しく身をくねらせ、僕は背中から振り落とされた。石床へ転がりながら咽せ、竜の爪が床を引っかき、激しい火花が散った


         ――そのとき。


 クルエルの声が結界内に響いた。


「イザヤァァァーーー!」


「そんな小さな刃じゃ致命傷は与えられねぇ! 

     もっと戦うためのものを創りだせぇ!」


「.....」     


 その通りだ。


 今の僕の手は、盗みのための動きばかり覚えている。 だが、今必要なのはそれじゃないんだ。もっと想像を巡らせて、戦うための武器をイメージする。


 それが、今の僕には必要なんだ。


 僕は床に膝をついたまま歯を食いしばり、右手を強く握った。すると手袋の縫い目から、さっきよりも強い真紅色の光が滲むのを感じた。


 とたん、銀色の粒子が比べものにならない密度で集まり始め、周囲の空気を微かに震わせた。


 やがて粒子は重なり固まり、刃と柄を持つ一本の剣へと変わっていく。これは騎士が持つ大剣ほどではない。

 けれど、片手で振るにはやや重く、斬るために必要な厚みを持った剣。


 ティエラが抱えていた剣と同じくらいの大きさだ。

 

 彼女が持っていたのを見たおかげで、創るイメージができたんだ。

 僕は剣を構えて、竜に向かってもう一度走り出す。


 直後、竜が大きく息を吸い、喉奥が赤く灯った


          ――炎だ。


 けれど、僕の身体能力なら炎くらい簡単に避けられる。十二歳の頃から盗みで培ってきた足は、逃げるためではなく、生きて懐へ潜り込むために動いた。


 炎が吐かれた瞬間。

 僕は横へ逸れて回避し、すかさず竜の腹の下まで一気に滑り込んだ。そして、竜の腹に向けて渾身の力で剣を横薙ぎに払った。


 硬い背の鱗に対し、竜の腹は柔らかく、今度は弾かれなかった。たしかな手応えとともに、腹部が少し裂け、僕は初めて敵に傷を与えた。


「......入ったっ!」


 傷は浅い...。

 それでも、僕の創った剣は確かに、竜の体に傷を与えたのだ。その事実だけで胸が熱くなった


          ――だが。


 その熱が一瞬にして冷めてしまうほどの出来事が、直後に僕を襲う。


 竜が再び体を激しくくねらせ、太い尾が僕めがけて振り抜かれたのだ。だがそれに気づいた時には、もう遅かった。尾は僕の脇腹を打ち、僕の体を軽々と吹き飛ばした。


         ――次の瞬間。


 背中が結界の壁へと叩きつけられ、『ゴンッ!!』と鈍い音を上げる。僕の口からは大量に血が流れ、膝が折れ、剣が床へと落ちた。

 しかしその剣は、銀色の粒子へと戻ることはなく、まだ形を保ったまま状態を維持していた。


 するとその光景を目の当たりにしたティエラが、正気を失ったかのように甲高い叫び声を上げる。


「イザヤァァーー!」


 霞む視界の端で、彼女が僕のほうへと駆け寄ろうとするのが見えた。だがクルエルは動かなかった。


 まるで本当は、助けるつもりなんてなかったかのように。ただ腕を組み、感心した様子で突っ立っていたのだ。


「アイツ、鍛えてねぇくせになかなか頑丈だな」


 ティエラは、そんなクルエルに向けて声を荒げた。


「助けなさいよっ! 約束してたじゃない!」


 しかしクルエルは、彼女の言葉を無視して、倒れた僕をずっと見つめていた。


  「大丈夫だ。アイツはまだ戦える。

  少なくとも...俺はそう信じている」


 クルエルがそう言い出した次の瞬間、僕は竜の前で大きくよろめき、そのまま片膝をついた。

 

 きっと能力の過剰利用に加え、大量に血が流れたことで、体内を循環する血液量が急激に失われたのだろう。


 以前も似たような症状に陥ったことがあっ・・・


 と、僕がそう考えていると。

 

 限界を迎えた身体が言うことを聞かなくなり、竜の前で『バサっ』と倒れ込んだ。薄れゆく意識の中で、そこでようやく、クルエルの雰囲気がほんのわずかに変わったのだ。


「...チッ。ここまでか」


 クルエルの左手が腰の剣の柄に触れる。すると一瞬だけ、外套の奥のどこかで群青色の強い光が滲んだように見えた。


 それが能力...いや『刻印』によるものかどうかは分からない。けれど、力が大きく動いた時だけに生まれる、あの一瞬の強い光だけは確かに感じ取れたのだ。


         ――次の瞬間。


 クルエルは剣を抜いた...というよりも、剣を素早く投げた。その投げられた剣は、まっすぐ空間を裂くように竜へと向かった。それに気づいた竜が即座に首を上げるが、その頃にはもう、刃は首を綺麗に断ち切っていたのだ。


『ドサッ』


 切り離された頭が床を滑り、赤い血が石の溝を這っていくのが、ぼんやりとした視界に映る。


 剣はそのまま結界の見えない壁へとぶつかり、金属音を立てて床へ落ちた。

 そして最後には、静けさだけがこの結界内に残った。


 その全てを見届けたところで、僕の意識は深い闇の底へと少しずつ沈んでいったのだ。


「......ザヤっ! イザヤ.....ッ! イザ....」


「.....」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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