第二十八話 結界について
翌朝、僕はクルエルに起こされた。あんなに準備しておけと言われたのに、僕はぐっすり眠ってしまっていたのだ。
外から差し込む光はすでに強く、朝の八時といったところ。石の廊下には夜の冷えが残っており、欠伸をして吐く息が少し白い。
「イザヤ、何してるんだ。早く準備しろ」
そう言いながら、クルエルは鍵を回した。鉄格子が開くと同時に、僕は殴られた腹をさすりながら立ち上がる。多少の痛みはまだ残っていたが、歩けないほどではなかった。
僕は牢から歩き出したところで、不思議そうにクルエルに問いかける。
「そういや、この下に魔物がいるといっていたよな? だけど、一晩牢の中で寝ていたが、音一つ聞こえやしなかったぞ。どういうことだよ」
クルエルは僕の疑問に、すぐに言葉を返す。
「お前が不思議に思うのも無理はない。この牢の下にいるとは言ったが、ただ野放しにされている訳じゃないんだ。その魔物は、ドワーフの戦士が張った結界の中に拘束されている」
「結界?」
「あぁそうだ。結界とは、封じ込めたい相手を中に閉じ込めるための、バリアのようなもの。外側からは侵入できても、内側からは出られない。例えるなら、アリジゴクみたいなものだな」
「アリジゴク?」
「あぁ。砂地にすり鉢みたいな穴を掘って、獲物が落ちるのを待つ虫だ。外から中へ落ちるのは簡単だが、いざ這い上がろうとすると、足元の砂が崩れて外へ出られない。あの結界もそれと同じだ。入ることはできるが、一度内側に入れば、術者が解かない限り抜け出せないんだ」
「...ふーん、そういうもんか」
「といっても、結界には幾つか種類があるがな。なかには、力づくで内側から壊せるものもあれば、外側からの侵入さえ不可能で、どう足掻いても内側から壊せない結界も存在する」
気のせいかもしれないが、僕は少しずつ『能力』というものを理解し始めている気がする。
僕たちが牢の階段をさらに下へ下へと下っていくと、空気はひんやりと......いや、重たくなっていくのを肌で感じた。
直後、階段近くの曲がり角へ目をやると、女の子らしき影が見えた。
僕たちがそこまで近づき覗き込こむと、そこにはティエラが、剣を両手で持って立っていたのだ。
僕はティエラの前で足を止める。
「...お前、なんでいるんだよっ!! 俺たちが今からどこへ向かうのか知ってるだろ!?」
ティエラは、そんなこと知らんと言わんばかりに胸を張る。
「何でって。あなたが心配だから一緒についていくのよ!」
僕は呆れてしまった。僕より体の細い女の子が、僕のことを心配しているのだから。
「それ、理由になってないだろ。それに、お前自身がピンチになったらどうするんだよ。どうせ見てるだけなら、足手まといに......」と言いかけたところで、ティエラが蓋をするように言葉を被せてきた。
「なるって言いたいんでしょ! ていうか、わたしがピンチになったら、この隣のオジサンに助けてもらえばいいじゃないの」
なるほどな。最初からクルエルに守ってもらう気でいたな。ティエラのやつ。でもまぁ、彼女がいようが僕の実力が変わるわけでもないからいいんだけど。
とたん、クルエルが頭を掻く。
「はぁ...厄介者が一人増えたな。けど、危なきゃ二人ともしっかり守ってやる。約束だ」
クルエルは続けて話し出す。
「その代わり、ティエラ。お前は何があっても俺の横から離れるなよ。俺の横から離れるようなことをしたら、絶対に助けないからな」
ティエラは目を見開いて、『グッ』と息を呑んだ。そしてクルエルが僕たちの前を再び歩き出した途端、ティエラは彼の背中を『ジッ』と睨みつけた。
そして、僕に視線を移して話し始める。
「イザヤ、昨日の酒場のドワーフ、最悪じゃなかった?」
唐突にそんなことを言うので、僕は思わず吹き出しそうになった。今から僕が、初めて戦いに行くというのに。
「なんでまた、いきなりそんな話するんだよ」
「だって聞いてよ。あなたは知らないかもしれないけど、ドワーフって誠実で筋を通すって、子どもの頃から何回も聞かされてきたのよ。それなのに、昨日の態度はその真反対じゃないっ...」
僕は話の中身というより、「あなたは知らないかも」という言葉に心をやられていた。まるで僕が、まともな教育を受けずに育ってきた、無知なガキだと決めつけられている......そんな気がしたのだ。
だが、彼女に悪気があったとは思えない。今回ばかりは目を瞑ってやろう。
「まぁ、たしかにな。俺もそう思った」
「でしょー?」
話が波に乗ってくると、彼女は続けて喋り出した。
「見た目はどっしりしてるくせに、やることがちっちゃいのよ。それに、別の卓に座ってたドワーフの奴、わざと足出してたし...」
ところで彼女は、何故あんなところで働いていたのだろうか。
「ティエラって、王族?貴族?の血筋なんだよな。それなら、なんでこの街の酒場で働いてるんだよ」
僕の言葉で、ティエラの表情が一瞬曇った。
もしかして、聞いたらマズイことなのだろうか。
そう思ったのだが――
ややあって、彼女は言い淀みながらも、つっかえつっかえの言葉で事情を話してくれた。
「......私、実はね。ただの、普通の女の子として生きたかったの...」
歩きながら視線を落とし、言葉を探すように彼女はゆっくりと紡ぐ。
「両親からは、すごく期待されて......優秀な兄弟たちとはいつも比較されて。それが、すごく苦しくて。落ちこぼれの自分が嫌で、普通の生活が羨ましくて........」
「.....」
「それで家を飛び出したんだけど、運悪く魔物に襲われちゃって。もうダメだと思った時に、ドロームの人たちに助けてもらったの。だから、恩返しも兼ねて、ずっとここでお世話になってるってわけ......」
――僕とは違う、王族ならではの悩み。
やはり人は、自分が一番不幸なのだと考えてしまう生き物なのだろうか。結局は僕も彼女も、ないものねだりをしているだけじゃないか...。
***
そうこう話をしているうちに、僕たち三人は石造りの広い空間へと辿り着く。そこには、白色の大理石のような壁が前に立ちはだかっていた。
(これが結界か...)
僕は、その場にいても何も感じなかった。話によると、この結界の奥に魔物がいるのだが。中からは息遣い一つ聞こえてこない。もしかして、魔物が死んでるんじゃないのかと思えるほどに。
クルエルは部屋を少し歩き、結界の近くまで寄って足を止めた。そして僕とティエラのほうを振り返ると、親指で結界のほうを指差す。
「この中だ! 心の準備ができたら、中に入るぞ」
その言葉を合図に、僕と彼女は小さく息を吐いた。
クルエルは、そんな僕たちの様子を見て頭を掻く。
やれやれと言わんばかりの、心底難しそうな顔をしていた。
「......もういいか。お前たち」
「よしっ! 大丈夫だ」
「私も大丈夫よ!」
そうして僕たちは、目の前の結界へと手をかざした。するとその結界は、水に手を入れているみたいに淡く揺れはじめる。その向こうには、まだ何も見えてはいないが、結界の奥に入れた手だけは、冷たい空気が漂っているのを感じ取っていた。
「行くぞっ!」
クルエルがそう告げると、僕たちは並んで、見えない結界の中へと一歩足を踏み入れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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