第二十七話 ティエラという名の少女
クルエルとドワーフ兵が去ったあと、しばらくして、今度は細い足音が近づいてきた。ずっしりとした重い足音ではなく、どこか控えめで優しい足音。
鉄格子の前まで歩いてくるのは、酒場にいた青い髪の少女だった。じっくり見ると、彼女は思っていたより大人びた顔をしている。背丈も僕より僅かに低いくらいで、年も同じくらいに見えた。
袖の付け根から肩に近いあたりで服が少しずれ、首元が見える。けれど、ウェインと同じ場所には、印のようなものはなにもなかった。
......ごく平凡な女の子。暴力や戦いとは無縁そうな子だ。少女は鉄格子の前で立ち止まり、少し照れたように僕から、そっと視線を逸らした。
「あの...さっきは、ありがとう。助かったよ」
声は意外にはっきりしていた。恥じらいがなく、芯のある声。
「でも、迷惑かけたね。ごめん」
彼女は、僕にそう詫びを入れた。
僕は少しだけ笑ってしまった。迷惑だなんて微塵も思ってない。むしろ、僕のほうこそ騒ぎを大きくしたんだ。
「怪我はなかったか? 俺のほうは大丈夫!
腹はまだ痛むが、笑うくらいの余裕はあるから」
少女は目を瞬かせて、それから小さく頷く。
「うん。私も怪我してない」
「なら、よかった」
とても短いやりとり。
それでも、僕は彼女が無事で内心ほっとした。
「俺、イザヤって言うんだ」
僕は鉄格子に近づき、彼女の顔を見て名乗った。
「お前の名前を聞いてもいいか?」
すると彼女は、ほんの少しだけ、恥じらう表情を見せた。
何を恥じらっているのか僕には分からないが、もしかすると、名前が可笑しくて名乗りたくないのだろうか。
「ティエラ.........ティエラ・ロゼンタール......」
「.....」
僕は初め、彼女が本当に名前を言っているのかと疑ってしまった。そんなに長い名前は、これまで聞いたことがなかったから。
「......変?」
「いやっ...全然変じゃない。むしろ、とってもいい名前じゃないか」
確かに、彼女の名は青い髪に似合うほどに、綺麗で心地のいい響きをしている。とはいえ、いくらなんでも名前が長すぎないか?
「気になったんだが、どうしてそんなに長い名前をしてるんだ?」
ティエラはそこで、少しだけ『ふふっ』と笑った。
「『ティエラ』が名前で、『ロゼンタール』は私のファミリーネームなの。ファミリーネームは、王侯貴族の血を引いてる者にだけあるのよ。普通の人は、ファミリーネームを聞くと驚くけど、イザヤはそういうの聞いたことない?」
僕は別の意味で驚いてしまった。彼女のような偉い血筋の人間が、こんな野蛮な場所で、下民の僕と友達みたいに話してくれていることに。
すると僕たちの間に、横から割って入るように声が響いた。しかもその声は、僕のよく知っている声だ。
「仲良く話しているところ、邪魔するようで申し訳ないが、そいつは明日朝早いんだ。早く帰ってくれ」
――そう。クルエルだった。
僕は鉄格子を掴み、隙間から通路の奥を覗き込む。すると、ポケットへ手を入れたまま近づいてくるクルエルの姿があった。さっきまでの僕への苛立ちは、とっくに消えているようだった。
「お前、知ってるとは思うが、外はもう夜なんだ。俺が家まで送ってやる。だから今すぐに帰るぞ」
クルエルは、彼女にそう言葉を掛けた。
彼女は、その発言が気に入らなかったのか「子ども扱いしないでよ...」とでも言いたげに口を尖らせ、クルエルをジト目で睨んでいた。
「イザヤ、お前は今晩ここで寝てもらう。お前のぶんの宿代も無いし、ちょうどいい。また朝になったら迎えにくるから準備しとけ」
それだけ言って、来た道を引き返していく。彼女も、僕に向けて小さく手を振り、それからクルエルの影を追うように歩き始めた。
――二人の足音が遠ざかっていく。
僕は冷えた石壁に背を預け、足音に耳を傾けながら、深く息を吐いた。
「......また牢かよ...はぁぁぁ」
今夜もろくに眠れないだろうな......そう思うと、笑う気にもなれなかった
――けれど。
疲れが溜まっていたのだろう。冷たい石床の上でしばらく横になっていると、気づけば僕はゆっくりと目を閉じ、深い眠りへと沈んでいたのだ。
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