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灰雪のベルクレア  作者: 村井 世那
旅立ち編①
28/32

第二十七話 ティエラという名の少女

 

 クルエルとドワーフ兵が去ったあと、しばらくして、今度は細い足音が近づいてきた。ずっしりとした重い足音ではなく、どこか控えめで優しい足音。


 鉄格子の前まで歩いてくるのは、酒場にいた青い髪の少女だった。じっくり見ると、彼女は思っていたより大人びた顔をしている。背丈も僕より僅かに低いくらいで、年も同じくらいに見えた。


 袖の付け根から肩に近いあたりで服が少しずれ、首元が見える。けれど、ウェインと同じ場所には、印のようなものはなにもなかった。


 ......ごく平凡な女の子。暴力や戦いとは無縁そうな子だ。少女は鉄格子の前で立ち止まり、少し照れたように僕から、そっと視線を逸らした。


「あの...さっきは、ありがとう。助かったよ」


 声は意外にはっきりしていた。恥じらいがなく、芯のある声。


「でも、迷惑かけたね。ごめん」


 彼女は、僕にそう詫びを入れた。


 僕は少しだけ笑ってしまった。迷惑だなんて微塵も思ってない。むしろ、僕のほうこそ騒ぎを大きくしたんだ。


「怪我はなかったか? 俺のほうは大丈夫!

  腹はまだ痛むが、笑うくらいの余裕はあるから」


 少女は目を瞬かせて、それから小さく頷く。


「うん。私も怪我してない」


「なら、よかった」


 とても短いやりとり。

 それでも、僕は彼女が無事で内心ほっとした。


「俺、イザヤって言うんだ」


 僕は鉄格子に近づき、彼女の顔を見て名乗った。


「お前の名前を聞いてもいいか?」


 すると彼女は、ほんの少しだけ、恥じらう表情を見せた。


 何を恥じらっているのか僕には分からないが、もしかすると、名前が可笑しくて名乗りたくないのだろうか。


「ティエラ.........ティエラ・ロゼンタール......」


「.....」


僕は初め、彼女が本当に名前を言っているのかと疑ってしまった。そんなに長い名前は、これまで聞いたことがなかったから。


「......変?」


「いやっ...全然変じゃない。むしろ、とってもいい名前じゃないか」


 確かに、彼女の名は青い髪に似合うほどに、綺麗で心地のいい響きをしている。とはいえ、いくらなんでも名前が長すぎないか?


「気になったんだが、どうしてそんなに長い名前をしてるんだ?」


 ティエラはそこで、少しだけ『ふふっ』と笑った。


「『ティエラ』が名前で、『ロゼンタール』は私のファミリーネームなの。ファミリーネームは、王侯貴族の血を引いてる者にだけあるのよ。普通の人は、ファミリーネームを聞くと驚くけど、イザヤはそういうの聞いたことない?」


 僕は別の意味で驚いてしまった。彼女のような偉い血筋の人間が、こんな野蛮な場所で、下民の僕と友達みたいに話してくれていることに。


 すると僕たちの間に、横から割って入るように声が響いた。しかもその声は、僕のよく知っている声だ。


「仲良く話しているところ、邪魔するようで申し訳ないが、そいつは明日朝早いんだ。早く帰ってくれ」


     ――そう。クルエルだった。


 僕は鉄格子を掴み、隙間から通路の奥を覗き込む。すると、ポケットへ手を入れたまま近づいてくるクルエルの姿があった。さっきまでの僕への苛立ちは、とっくに消えているようだった。


「お前、知ってるとは思うが、外はもう夜なんだ。俺が家まで送ってやる。だから今すぐに帰るぞ」


 クルエルは、彼女にそう言葉を掛けた。


 彼女は、その発言が気に入らなかったのか「子ども扱いしないでよ...」とでも言いたげに口を尖らせ、クルエルをジト目で睨んでいた。


「イザヤ、お前は今晩ここで寝てもらう。お前のぶんの宿代も無いし、ちょうどいい。また朝になったら迎えにくるから準備しとけ」


 それだけ言って、来た道を引き返していく。彼女も、僕に向けて小さく手を振り、それからクルエルの影を追うように歩き始めた。


     ――二人の足音が遠ざかっていく。


 僕は冷えた石壁に背を預け、足音に耳を傾けながら、深く息を吐いた。


「......また牢かよ...はぁぁぁ」


 今夜もろくに眠れないだろうな......そう思うと、笑う気にもなれなかった


      ――けれど。


疲れが溜まっていたのだろう。冷たい石床の上でしばらく横になっていると、気づけば僕はゆっくりと目を閉じ、深い眠りへと沈んでいたのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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