第二十六話 マイホーム
「......はっ!」と目を覚ました時。
僕の視界に映ったのは、ついこの間まで見てきた景色と同じ冷たい天井だった。
そう、ここはドロームの牢獄。しかもベルクレアの牢より造りは狭く、天井もさらに低い。僕が少し跳ねれば、『ゴンッ』という音が鈍く響くのは、容易に想像できた。
「.......はぁぁ...ついてない」
その言葉を口にした瞬間、背中、腕、足と、全身から石の冷たさが遅れて伝わってきた。
「......っ!」
息を吸い込んだ瞬間、腹の奥に鈍い痛みが走る。
僕は顔をしかめ、反射的に頬へ手を添えた。殴られたのはお腹だというのに、あのドワーフの硬い頭を殴った感覚が手に残っていたせいか、つい変なところを触ってしまったのだ。
そのあとでようやく、痛みの中心が腹にあることを思い出し、そっと手で押さえた。
「......あいつ、バケモンかよ」
皮肉まじりにそう呟くと、奥の通路から二つの足音がこちらに近づいてくるのが聞こえた。ややあって、僕が顔を上げると、目の前にはクルエルと武装したドワーフ兵が険しい顔で立っていた。
その兵士は、槍を片手に持ち無表情で僕を見つめている。まるで、僕に殴られたのは自分だったかのように、冷たい視線を向けてくる。
けれど僕には、まったく見覚えのないドワーフ。
おそらく僕が気を失ったあと、クルエルが酒場の騒ぎを聞きつけ、あの青い髪の少女が事情を説明し、隣の兵士と一緒に面会に来た...そう考えれば筋が通る。
クルエルはしばらくの間なにも言わず、鉄格子の前でポケットへ手を入れたまま僕を見つめていた。そんな僕は、彼に目を合わせることができず、石床に視線を落とした。
「お前、ドロームの住人を酒場で殴ったそうだな」
とたんクルエルが、そう口を開いた。
僕はそんなクルエルの言葉に、たまらず言い返す。
「俺って、そんなに悪いことしたか? むしろ、いいことをし......」と言いかけたところで、クルエルは目を細め、僕の言葉を遮るように怒鳴りつけた。
「あぁ! おめぇがやったことは、この街と人間の関係にヒビを入れかねねぇ行為なんだよっ!」
僕は思わず目を見開き、絶句してしまった。クルエルは、青髪の少女から事情を聞いているとばかり思っていた。それなのに、こんなふうに声を荒げてくるとは。なるほど、あの少女はクルエルに説明などしていなかったのか......。
ドロームがこれまで守り続けた、人間との関係を僕が終わらせることになるのか。そんな最悪な想像が脳裏を過ってしまった。だが、なんとか平静を取り戻したあと、僕も続けて声を荒げた。
「あのまま見てろって言うのかよっ! 女の子の瞳から涙が溢れてたんだぞっ! それを見て、呆然と立ち尽くしていられるわけねぇだろっ!」
そうだ。僕は彼女を守るために仕方なくやったのだ。力の強い種族が、戦いをしたこともないような、か弱い体をした少女に手を上げていたんだぞ。
僕の噛みつくような声色に押されたのか、クルエルは口を少し開けたまま返答に窮していた。
僕はそんなクルエルの様子を見て、ポツリと言葉を零す。
「......それに、彼女の姿が妹のアリーシャに重なったんだ。もし彼女が、本当の妹だったら、助けないわけにはいかないだろ」
クルエルは奥歯を噛み締めるようにして、僕から視線を背ける。そしてしばらくの間、重たい沈黙が僕たちの間に流れた。だが、この沈黙は状況もあってか、ウェインといるときの沈黙とは違い、僕からすればただの苦痛でしかなかった。
***
しばらくして、クルエルは長く息を吐き、頭をガシガシと掻き出す。
「.......はぁぁ。実はな、お前を怒鳴りつけるためだけにここへ来たんじゃないんだ。理由は他にあってだな...」
「.....」
「俺がこの街に来た目的は、長から依頼を受けるためだ。それで、お前が酒場で厄介ごとを起こした後、改めて長と話し合ってきたんだ」
「...」
「......そこで一つ、長からお前の罪をなかったことにしてもらえる条件を提示してもらった」
僕は俯いたまま、ただクルエルの言葉に耳を傾けていた。
「この街の下層に拘束された魔物がいるらしい。本来は、俺が片付けることで話は進んでたんだが、お前が討伐することになった」
その話を聞いた途端、牢の空気が少しだけ変わった...というより、僕の感情が変わったのだ。
「安心しろ。この街の戦士が倒せないような相手じゃないらしい」
僕の頭の中で『は?』という文字が真っ先に浮かんだ。この街の戦士が倒せない相手じゃない?
冗談だろ!? この街の戦士は、僕なんかよりも遥かに上の実力を持っているはずだろ。
それでも、クルエルは淡々と話し続ける。
「ついでに、俺もお前の実力がどんなもんか知りたかったっていうのもあってだな。お互い目的があってのことだから悪い話じゃないだろ? お前は自分の罪滅ぼしのために。そして俺は、お前の実力を見るために」
確かに悪い話じゃない。でも、僕が死ぬ可能性だってあるんじゃないのかと.....そう疑問に思った。
「一ついいか? 俺は戦いの経験がないんだ。万が一、俺が死にそうになったら、すかさず助けてくれるのか?」
クルエルは僕の問いに、やれやれと呆れるようにため息をついた。
「.....ふっ、当たり前だ。お前をこんな所で死なせるつもりなんてねぇよ」
その返しに、僕は少しだけ安心した。
死にそうになったら、クルエルが助けにきてくれるんだ。この依頼、死なない『保証』がついているというのなら拒否する必要なんてない
――それに。
自分で起こした火は自分で消したい。ここで逃げるように抜け出して、火に油を注ぐような真似だけはごめんだ。それにどうせクルエルは、僕が脱獄なんかしたら『命は保証しない』なんていって、すかさず首を刎ねてくるのだろう。
僕は腹の痛みを押さえながら立ち上がる。
「よしっ、分かった。その依頼、俺が引き受けるよ」
僕は右の拳を握りしめ、じっと見つめる。
自分の力で......初めて戦うんだ。魔物を倒して、クルエルにあっと言わせてやりたい。ガキの僕は、本気でそんなことを考えてしまった。
クルエルはそんな僕の姿を見て、口元だけで小さく微笑んだ。
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