第二十五話 青い髪の少女
ドロームは賑やかな街だ。そう思いながら、僕は酒場の喧騒にしばらく耳を澄ましていた
――しかし。
約半刻が過ぎた後で、酒場の空気が一変した。それは張りつめたというより、賑やかな空間の真ん中に『ピキッ』とひびが入ったようだった。
ことの発端は、ジョッキを持ちながら歩き回る、アリーシャによく似た青い髪の少女。といっても、アリーシャよりは背が高く、僕より少し低いくらいの背丈。
その少女はジョッキを両手で持ち、客席の間を慎重に縫うように飲み物を運んでいた。そのとき、卓の端に座っていたドワーフの一人が、足をほんのわずかに前へ突き出したのだ。わざとなのか、酔って無意識にやったのかは、僕には分からないが。
少女の足は、そのつま先に引っかかり、彼女は「あぁ--!」と大きく高い声をあげた。その瞬間、ジョッキの中にあった濃い色の酒が弧を描いて飛び、目の前にいたドワーフの顔面へと、容赦なくぶちまけられた。
とたん、酒場の喧騒がぴたりと止み、怒号が上がった。
「おいガキ! てめぇ!」
濡れた髭から酒を滴らせたドワーフが立ち上がると、その顔は怒りで真っ赤に染まっていた。勢いよく立ち上がった衝撃で、椅子が後ろへ『ガタン』と倒れる。少女も事態を察し、青ざめた顔で何度も頭を下げていた。
「ご、ごめんなさい...!
すぐ拭きます、ほんとに......ごめんなさい」
だが、ドワーフは怒りのあまり、少女の声など聞こえていないようだった。大股で一歩踏み出し、少女の髪を乱暴に掴み上げる。青い髪が引かれ、少女の首が苦しそうに後ろへ仰け反った
――その瞬間。
僕の目の前で、青い髪の少女の姿がアリーシャに重なって見えたのだ。謝っているのに...必死に頭を下げているのに。それでも乱暴に扱われるその姿を......僕はどうしても見過ごせなかった。
胸の奥でドワーフの怒りとは違う、冷たくて重い怒りが込み上げてくる。僕は残っていたブドウジュースを一息で飲み干し、カップをカウンターへ静かに『スッ』と置いた。
そして右手を膝の上でそっと握ると、手袋の上に淡い銀色の粒子が音もなく集まり始める。
粒子は指の骨に沿ってまとわりつき、やがて拳を覆う簡素なナックルダスターへと姿を変えた。
この武器は、酒場のドワーフが身につけていたものをベースに、イメージで創り出したもの。
ただ拳を硬くするだけの塊......今の僕は、こいつをド突くことしか頭になかった。
周囲の客たちは、少女とドワーフの揉め事を見て、先ほどまでとは違う不穏な空気でざわめいている。そんな中、僕は何も言わずに席を立ち、怒鳴り散らすドワーフの真後ろまで歩いていった。
だが、クソのドワーフは僕の気配に気づかず、まだ少女の髪を掴んだまま。千切れそうなほどに、『ぎゅっ』と握りしめている。僕の角度から見えた少女の瞳には、痛みに耐える涙が滲んでいた。
「......っ!」
僕は拳を振り上げ、思い切り力を込めて、彼の後頭部を本気で殴りつけた。
『ゴツッ!』という鈍い音が周囲に響く。
少女に怒号が浴びせられた時とはまた別の意味で、酒場の時間が一瞬だけ止まった気がした。
そんな僕は、鬱憤を晴らした気でいた。しかし可笑しなことに、酷い痛みを覚えたのは、殴った僕のほうだった。
「いっ...てぇー!」
そう叫んでしまうほどに、自分の拳が砕けたかと思うような激痛が走った。僕の右手を覆っていたナックルダスターは、衝撃と同時にひび割れて砕け、床へこぼれ落ちる。そして石床に触れた途端、淡い銀色の粒にほどけて消えていった。
殴ったはずの僕が痛みに苦しんでいるという意味の分からない現状が、一瞬、本気で受け入れられなかった。とても硬く創ったナックルダスターなのに、このドワーフの頭の方がやたらと硬かったのだ。
咄嗟に、『こいつの能力か?』という考えが頭を過ったが、その答えに辿り着くより早く、振り返ったドワーフの太い拳が僕の腹めがけて振り抜かれた。
「この...クソガキがぁっ!」
少女の髪を片手で掴んだまま、空いたもう片方の拳が僕の腹へと深くめり込む。腹の中身が潰れるような、圧倒的に重たい一撃。
「.....ぐはっ!」
視界が暗転する直前、最後に見えたのは、青い髪の少女が僕に向かって何かを叫んでいる口元だった。それを最後に、僕の意識は完全に途切れ、深い闇の中へと落ちていった――
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