第二十四話 ブドウの香る酒場
置き手紙を残してから、僕はドロームの街をあてもなく歩き続けている。そして数十分ほど歩き、ようやくそれらしい場所を見つけた。
その場所は斜面の中腹辺りにあり、宿からは少し離れた場所にあった。外観は、ベルクレアにあっても馴染みそうなもの。
石造りの正面には大きな木扉があり、扉の上には樽とぶどうの房を描いた看板が吊るされている。
窓は半分ほど開け放たれ、そこから肉の焼ける匂いと、発酵した果実の甘い香り、それに笑い声が溢れていた。
店の前では、すでに何人もの客が立ったままグラスを傾けて、髭の濃いドワーフや商人、そして荷を背負った旅人らしい女までもがいた。まさに、多種族交流の場としてふさわしい
――そんな場所だった。
肩を叩き合い、何かを笑い飛ばし、誰かが歌い、別の誰かがそれを茶化す。僕とは真反対の世界。
こんな感じで、知らない者同士が、同じ酒場の前で声を張り上げながら笑うことがあるのかと、僕は一瞬立ち止まってしまった。
僕は本当に、この場所に踏み入っていいのだろうかと、そんなことを考えてしまう。
――でも。
街が変われば、昔の自分なんて関係ないんだ。今は、自分の思うがままに生きよう。そう思いながら、僕は酒場の扉を力強く押し開ける。
店内は、思っていたよりも広かった。天井は低めだが、そのぶん梁が太く、中央には長い共用卓が二列あり、壁際には二人掛けと四人掛けの小卓がいくつも置かれていた。しかもそれぞれ高さが違い、椅子の高さも大小混ざっている。
恐らく、ドワーフと人間が並んで酒を酌み交わせるような設計になっているのだろう。
カウンターの向こうには、腕の太いドワーフが一人、忙しそうにジョッキを磨いている。髭は濃い茶色で、胸のあたりまで編み込まれていた。いかにも店主!という顔つき。
そしてもう一人。テーブルの間を縫うように、ジョッキを持ちながら客へと運ぶ、青髪の少女がいた。アリーシャよりも少し薄い青。
その青い髪を見るだけで、アリーシャのことを思い出させてくれるほどに、彼女は綺麗な髪をしていた。
僕は少しだけ緊張しながら、カウンター席の端に腰を下ろした。酒場に来ること自体が初めて...と言うのもあるが、噂の中でしか知らなかった他種族が、当たり前みたいに息をしているのが可笑しく感じてしまったから。
少しして、店主が僕のほうを見やると、太い声で話しかけてくる。
「おい、坊主。見ねぇ顔だな。ここは初めてか?」
「そんなに分かりやすいか? というか、いちいち客の顔とか全部覚えてんのかよ」
「あったりめぇだ。うちに来てくれている以上、客の顔は全部覚える! そんなもん常識だろぉ!」
そう言って、店主は腕組みをしながら笑いだす。ドワーフという種族には、後ろ向きなタイプがいないのかもしれない。悩みなんて一つも抱えていない......そんなふうに見えてしまう。
「坊主、酒は飲む歳か?」
「俺はまだ十五だ。酒は飲めない」
僕がそう返すと、店主は「そうだろうな」とだけ言って、ジョッキを棚に戻した。
「じゃあ、何にする? 酒が飲めないんだったら、出せるものは限られてくるが...」
僕は少し考えてから、店主に尋ねた。
「......干しブドウの入った飲み物はあるか? ブドウが好きなんだ」
それを聞いた店主は、当たり前だと言わんばかりの表情で、堂々と僕を見つめる。
「あぁ、あるぜ。干しぶどうを煮て甘みを引き出し、冷ました果汁に薄く香草を落とした絶品のブドウジュースがな」
しばらくして、僕の前にブドウジュースが運ばれてきた。一口飲むと、口一杯にブドウの甘味が広がる。 これほど美味しいものを、僕は今まで飲んだことがなかった。
僕が思わず目を輝かせていると、店主は鼻を鳴らした。
「どうだっ!? うまいだろ」
「うまい...」
気づけば、そんな言葉が口から漏れた。
「だろうなぁ〜。うちのブドウジュースは酒より評判がいいとも噂されるくらいなんだ」
店主はそう言うと、手を動かしながら尋ねてくる。
「ところで坊主、どこから来たんだ?」
僕はほんの少しだけ間を置いた。
誰かに自分の故郷の話をしていいものなのかと、そう疑問に思ってしまったからだ。だからあえて、直接的な場所を言うのは避けよう。そう思った。
「ここよりも北の国からだ」
「北のほうねぇ...」
そう呟いて、店主はそれ以上踏み込まなかった。
ドロームよりも北の国といえば、だいぶ数が絞れてくるからだろう。無理に聞き出す必要はないらしい。
「そんで、一人旅か?」
「いや、連れが一人いる...といっても、歳はだいぶ離れてるけどな」
そう言い、僕はクルエルの顔を思い出す。
あの男、もうじき夜になると言うのに酒場に姿を見せない。なにをやっているんだと、そんなことを考えてしまった。
「別行動する相手を連れと呼べるくらい、案外信用してるんだな。もしかして、そいつは家族か?」
僕は、噛み付くように言葉を返す。
「別に信用なんてしてねぇよ。それに、家族でもなんでもない! たまたま、朝に知り合っただけの奴だ」
「そうか。そりゃ悪かったな。気を害することを言って」
そう言い、店主はまた大きく笑った。その笑い声は太く、酒場の喧騒によく馴染んでいた。
僕と店主はしばらくそんなふうに、どうでもいい話を交わしながら、連れのクルエルが来るのを待っていた。
店主からは、ドロームの坂にはもう慣れたかについての質問だったり、北の雪はどんな匂いがするのか。そんなことを聞かれ、暇を潰していた。
***
周囲の喧騒が少しずつ落ち着き始めた頃、僕は周囲を少しずつ眺めていた
――そのとき。
そこでようやく気づいたんだ。ドワーフたちの肌に、何か色のついた『印』が眠っていることに。
別に全員というわけではないが、手首のあたりや首筋、脚など、本来隠せるような場所に刻まれていた。
僕はそれを見た途端に、カップを握る手を止めた。その光景があまりにも異常すぎるから。なんてったって、ベルクレアでは、あぁして見えていることはあまりなかった。
少なくとも僕の暮らしていた場所では、みんな見えないように頑張って隠していたのかとそう思った。だから、僕の目には、この光景が妙に新鮮に映ったのだ。
そんな僕の顔色に店主が気づくと、「あぁやって、隠さずにいるのが珍しいか?」と問いかけてきた。
僕は店主の言葉を聞き、『ハッ』として視線を戻す。
「....いや.....あぁ...珍しい。俺の住んでた街では、あまり見たことがなかったから。みんな隠していたのかなと、そう思ったんだ」
それを聞いた店主は、僕の疑問を一瞬で振り解いてくれた。
「おそらくだが、それは種族によって違うんじゃねぇのか? 坊主のような『人間』は、あまり周囲に見せたがらない性格で、俺たちドワーフは、これを強さの『勲章』のように思っているんだ。その認識のズレが生じているんだろう」
そう話し終えると、店主は別の客に声をかけにいった。
僕は、もしかするとアリーシャにも、見えていないだけで同じような『印』があるんじゃないかと気になってしまった。
そしてアリーシャが、今ごろ元気にしているのか。 そんなことまで考えてしまった。
(...アリーシャ、今ごろ元気にしてるだろうか?)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります。




