第23話 『ブドウの香る酒場』
置き手紙を残してから、僕はドロームの街をあてもなく歩き続けていた。
そして、ようやくそれらしい場所を見つけた。
その場所は斜面の中腹辺りにあり、宿からは少し離れた場所にあった。
外観は、ベルクレアにあっても馴染みそうなもの。
石造りの正面には大きな木扉があり、扉の上には樽とぶどうの房を描いた看板が吊るされていた。
窓は半分ほど開け放たれ、そこから肉の焼ける良い匂いと、発酵した果実の甘い香り。
それに笑い声が溢れていた。
店の前では、すでに何十人もの客が立ったままグラスを傾けていた。
髭の濃いドワーフや商人。
そして荷を背負った旅人らしい男、女。
まさに、多種族交流の場としてふさわしい
――そんな場所だった。
肩を叩き合い、何かを笑い飛ばし、誰かが歌い、別の誰かがそれを茶化す。
僕の住んでいたちっぽけな世界とは真反対の世界。
こんな感じで知らない者同士が、同じ酒場の前で声を張り上げながら笑うことがあるのか。
そう思い、僕は一瞬立ち止まってしまった。
本当に、この場所に踏み入っていいのだろうかと、そんなことを考えてしまう
――でも!
環境(街)が変われば、昔の自分なんて関係ないんだ。
今は、自分の思うがままに生きよう。
そう思いながら、僕は酒場の扉を力強く押し開けた。
店内は、思っていたよりも広かった。
天井は低めだが、そのぶん梁が太く、中央には長い共用卓が二列あり、壁際には二人掛けと四人掛けの小卓がいくつも置かれていた。
しかもそれぞれ高さが違い、椅子の高さも大小混ざっていた。
おそらく、ドワーフと人間が並んで酒を酌み交わせるような設計にしたのだろう。
カウンターの向こうには、腕の太いドワーフが一人、忙しそうにジョッキを磨いていた。
髭は濃い茶色で、胸のあたりまで編み込まれていた。
いかにも店主! という顔つきだった。
そしてもう一人。
テーブルの間を縫うように、ジョッキを持ちながら客へと運ぶ、青髪の少女がいた。
といっても、アリーシャより少し薄い青。
でもその青い髪を見ているだけで、アリーシャのことを思い出させてくれるほどに、彼女の髪は綺麗だった。
少しだけ緊張しながら、僕はカウンター席の端に腰を下ろした。
酒場に来ること自体が初めてというのもあるが、噂の中でしか知らなかった種族が、当たり前のように息をしているのがおかしくて。
そんなことを考えていると、店主が僕のほうを見て、太い声で話しかけてくる。
「おい坊主。見ねぇ顔だな。うちは初めてか?」
「そんなに分かりやすいか? てか、いちいち客の顔とか全部覚えてんのかよ...」
「あったりめぇだろ! うちに来てくれている以上、客の顔は全部覚える! そんなもん常識だろぉが」
そう言って、店主は腕組みをしながら笑いだした。
ドワーフという種族には、後ろ向きなタイプがいないのかもしれない。
悩みなんて一つも抱えていない。
そんなふうに見えてしまう。
「坊主、酒は飲む歳か?」
「俺はまだ十五だ。酒は飲めない」
そう返すと、店主は「まぁそうだろうな」とだけ言って、ジョッキを棚に戻した。
「じゃあ、何にする? 酒が飲めないんだったら、出せるものは限られてくるが」
「ブドウジュースはあるか? ブドウが大好きなんだ」
そう言うと、店主は当たり前だと言わんばかりの表情で、堂々と僕を見つめてくる。
「あるぜー。干しぶどうを煮て甘みを引き出し、冷ました果汁に薄く香草を落とした絶品のブドウジュースがな!」
しばらくして、僕の前にブドウジュースが運ばれてきた。
一口飲むと、口一杯にブドウの甘味が広がってくる。
これほど美味しいものを、僕は今まで飲んだことがなかった。
「どうだっ!? うめぇだろ」
「うまい...」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
「だろうなぁ〜。うちのブドウジュースは酒より評判がいいとも噂されるくらいなんだぜ」
手を動かしながら、店主はそう言ってきた。
「ところで坊主、オメェどっから来たんだ?」
その問いに、僕はほんの少しだけ戸惑った。
誰かに自分の故郷の話をしていいものなのかと、そう疑問に思ってしまったからだ。
だからあえて、直接的な場所を言うのは避けよう。
そう思った。
「ここよりも、少し北の国からだ」
「北のほうねぇ...」
店主はそれ以上、踏み込んでこなかった。
ここよりも北の国といえば、だいぶ数が絞れてくるからだろう。
無理に聞き出す必要はないらしい。
「そんで、一人旅か?」
「連れが一人。歳はだいぶ離れてるけどな」
そう言って、僕はクルエルの顔を思い出した。
もうじき夜になるというのに、酒場に姿を見せない。
長の依頼とやらに、ひどく手間取っているのか...?
「別行動する相手を連れと呼べるくらい、案外信用してるんだな。もしかして、そいつは家族か?」
「家族じゃない。偶然、今朝知り合っただけの奴だ」
僕と店主はしばらくそんなふうに、どうでもいい話を交わしながら、連れのクルエルが来るのを待っていた。
店主からは、ドロームの坂にはもう慣れたかについての質問だったりを聞かれ、暇を潰していた。
***
周囲の喧騒が少しずつ落ち着き始めた頃。
そこで僕は、ようやく気づいたんだ。
ドワーフたちの肌に、何か色のついた『印』が眠っているということに。
別に全員というわけではないが、手首のあたりや首筋、脚など。
本来隠せるような場所に刻まれていた。
僕はそれを見て、カップを握る手を止めてしまった。
その光景が、あまりにも異常すぎるから。
なんてったって、ベルクレアではあぁして見えていることはあまりなかった。
少なくとも僕の暮らしていた場所では、みんな見えないように頑張って隠していたのかと、そう思った。
だから、僕の目にはこの光景が新鮮に感じたのだ。
そんな僕の顔色に店主が気づくと、「あぁやって、隠さずにいるのが珍しいか?」と問いかけてきた。
僕は店主の言葉を聞き、『ハッ』として視線を戻す。
「いやっ...あぁ珍しい。俺の住んでた街では、あまり見たことがなかったから」
「おそらく、種族によって違うんじゃねぇのか? 坊主のような『人間』は、あまり周囲に見せたがらない性格で、俺たちドワーフは、これを強さの『勲章』のように思っているんだ。その認識のズレが生じているんだろう」
そう言ってから、店主は別の客に呼ばれ、僕のところから去って行った。
「.....」
もしかすると、アリーシャにも『印』があるのか?
そんなことが、気になってしまった。
そして、アリーシャが今ごろ元気にしているのか。
そんなことまで。
(アリーシャ、今ごろ元気にやれているだろうか...)
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