第二話 屋根の上の少年
十二歳で覚えた盗みは、年を追うごとに上達し、僕にとって、もはや仕事というよりも、単なる作業のような感覚となった。
そのせいか、最初に感じていた罪悪感というものは、僕の中では、ほとんど無くなっていた。
ーー盗みに慣れすぎたんだ。
繰り返していくうちに、自分のやっている行為が、さぞかし当たり前のように感じてきてしまう。
最初は、アリーシャの空腹を満たすために食べ物だけを狙っていた。本当なんだ。
しかし、次第に、売れば金になりそうなものへと手が伸び、ついには、金貨や銀貨にも触れるようになった。
盗みは決して誇れることではなかったが
僕には盗みの才能があったんだ。
頭は良くないし、計画性もない。
だが、足が速く、体の使い方が非常にうまい。
人混みの流れを読む感覚が鋭く、狭い場所を抜けるのが得意で、屋根の上を走らせれば、猫のようだった。
僕にとって、煙突を越え、乾いた瓦を踏みしめながら颯爽と走るその感覚は、パルクールに近いのかもしれない。
十三歳の冬を前に、街では大市が開かれた。
収穫を終え、厳しい冬に備える前の祝祭。
通りには露店が並び、香辛料を煮た酒の匂いが漂い、旅芸人の音楽が響く。
そういう硬貨の入った巾着袋の紐が緩む夜は、僕のような盗人にとって稼ぎ時となる。
その夜、僕は屋根の上で足を止めた。
理由は単純。
少し離れた屋根の端に、誰かがいた。
そいつは、自分と同じ年頃に見える少年だった。
黒髪で痩せた輪郭、そして妙に冷えた目。
その少年は、普段から盗みをやってそうな見た目をしている。
僕は、そんなことを考えていると、その少年の周囲で、ありえないことが起きたのを目の当たりにした。
下の通りにあった果物が、袋ごとふわりと浮く。
露店の端に置かれていた銅貨入りの巾着が、見えない糸で引かれるように宙を滑った。
干し肉も、銀のスプーンも、金具つきの小箱までもが、次々と少年の手元へ吸い寄せられていくのだ。
「……すげえ」
思わず口に出てしまった。
その少年が、ぴたりと動きを止めると
鋭い眼光で僕のことを睨みつけてきた。
なにやら、警戒しているようだった。もしかすると、初めて人に盗みを見られたのかもしれない。と、そう思った。
僕は、その少年を見ていると、自分とどこか似た『モノ』を感じた。気のせいかもしれないが、襟元の影で、首筋に何か青い筋のようなものが一瞬だけ光った気がしたのだ。
ーーそのときだった。
その少年が、僕に「見たな」と言ってきたのだ。
低く乾いた声。
僕はとっさに声を掛けられたことで、すぐに声が出なかった。ここ数年、叔母とアリーシャとしか喋ることがなかったせいだ。知らない奴と、どう話せばいいのか分からなかった。
「.....」
「騎士団の連中に報告するつもりか」
そう言われ、僕は肩をすくめた。彼もまた、騎士団に怯えながら盗みをやっている身なのだと思ったから。
「言うわけないだろ。俺も盗んでる」
すると、少年は僕を値踏みするみたいに見つめ、それからようやく警戒を少しだけ解いた。
「……そうか。なら安心だ」
「お前、そういう力があるんだな」
「だったら何だ。誰かに言うのか」
「いいや。カッコいいなって思っただけだ」
そう言うと、少年はわずかに眉を上げた。
彼は褒め言葉を想定していなかったようだった。
僕は、こいつが褒められると素直に喜ぶ、単純なやつだと思い、からかってみようと思った。
「屋根の走り方も大したもんだな。
自分を見てるかと思ったよ」
少年は、疑うように聞いてきた。
「それは褒めてるのか?」
「半分な」
「なんだそれ」
そこで初めて、少年はほんの少しだけ口元を緩めた。僕は、彼のそんな表情をみて、初めて仲良くできるかもしれない奴だと感じた。
それは、僕が一方的に思っているだけかもしれない。
けれど、嬉しかった。
「ウェインだ」
「ん?」
「俺の名前だ。お前は?」
「イザヤだ」
そんな会話をしていると
ベルクレアの夜風が、二人の間を抜けた。
騎士団にも、大人にも、誰にも見つからない屋根の上で。
僕は初めて、自分と同じ側に立っている、似た『モノ』を持つ人間に会ったのだ。




