第1話 『母さんのいない冬』
ベルクレアは、冬が美しい国だった。
幾重にも連なる外壁と高い石塔を持つ、北方の城塞都市国家。雪の季節になれば、城壁は白く縁取られ、あたり一面を真っ白な世界に変えてしまう。
旅人はそんな景色を見て、必ずこう言う。
『なんて綺麗な国だ!』
けれど、綺麗なものほど見えなくなるものがある。
空腹も貧しさも、全て雪に埋もれてしまって。
僕だって、小さい頃に両親と見た雪は、とても白くて綺麗だと思ってた。だけど、心が貧しくなるにつれて、ベルクレアに落ちる雪はくすんだ灰色にしか見えない。
あんなに綺麗だったのに――
まるで、純粋だった僕の心が歳を重ねるにつれて、少しずつ汚れていくかのように。
***
父さんは、僕が五歳の頃に家を出て行った。
正直、幼かった僕にはその理由が分からなかった。
父さんが家を出て行ってから、母さんは気丈に振る舞ってくれた。幼かった僕と、まだ赤ん坊だったアリーシャを抱えて、それでも笑おうとしていたのだ。
だが、三年後の冬。
僕が八歳の時、そんな母さんは死んだ。
それはあまりにも唐突だった。
誰かが家の戸を叩き、曖昧な言葉で告げてきたのだ。
「気の毒にな」
「父を恨めよ」
「頑張ってね」
そんな断片的な言葉ばかりで、大事なことは何一つ分からなかった。
その後、僕たちは叔母さんの家に引き取られた。
最初は母さんを失くしたショックで、僕たちは立ち直れなかった。
叔母さんは、厳しい人ではあったが、冷たい人ではなかった。洗濯物を干したり、ご飯を用意してくれたりと、できる限りのことは僕たちにしてくれた。
ただ、叔母さんの家には余裕がなかった。もともと楽ではない暮らしに、子どもが二人増えて無理もない。
食卓の上のパンは薄くなり、スープの具は根菜ばかり。
僕たちが日々成長するにつれ、食べる量も増える。
そのことが、たまらなく申し訳なかった。
「お兄ちゃん、わたし大丈夫だよ!」
アリーシャは、いつもそう言っていた。
青い髪を肩で揺らしながら、まだ残っているはずの空腹を隠して笑っていたんだ。その笑顔を見るたび、僕は胸の奥を細い針で引っかかれるような気持ちになった。
***
とある夜、僕が十二歳の時のこと。
その日、食卓の上にパンが一切れ残っていた。叔母さんは「もう食べたから」と嘘をつき、アリーシャもまた、「お腹いっぱい」とさらに嘘をついた。
僕は二人に気を遣わせているのだと思い、申し訳なかった。だから、あんな事をしてしまったんだ。
***
あれは雪のちらつく夜の日のこと。
僕は、露店の裏手に干し肉が吊るされているのを前から知っていた。また、店主が閉店後、すぐ片づけないことも。
僕は震える指でそれを掴み、胸に抱えて走った。
怖かった。見つかったらどうなってしまうのか。
けれどそれ以上に、持ち帰ったときアリーシャが何か食べられることのほうが大事だと思ったんだ。
路地裏で息を整え、冷たくなった指を見つめる。
すると手はかじかみ、指先は赤くなっていた。
その中で、右手の甲にだけ、いつもと同じように薄く消えない『印』があった。
僕は、反射的によくそれを隠していた。なぜなら、僕の手の甲にしかなく、見られたらマズイものではないかと感じていたからだ。
しばらくして僕は家に戻り、干し肉を半分に割って差し出すと、アリーシャはじっと見つめてきた。
「......お兄ちゃん。これ、どこで手に入れたの?」
「家の前に落ちてたんだよ」
すぐにわかる嘘だった。それでも、アリーシャは何も言わず、肉を受け取って小さく笑ってくれた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
その言葉がとても嬉しかった。
感謝されたことで
盗みがやめられなくなったのだ。
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