第一話 母のいない冬
ベルクレアは、冬が美しい国だった。
幾重にも連なる外壁と高い石塔を持つ、北方の城塞都市国家。
雪の季節になれば、城壁は白く縁取られ、あたり一面を真っ白な世界に変えてしまう。
旅人はその景色を見て、必ずこう言う。
『なんて綺麗な国だ。』
けれど、綺麗なものほど、見えなくなるものがある。空腹も、貧しさも、全て雪に埋もれてしまう。
僕だって、小さい頃に両親と見た雪は、とても白くて綺麗だと思ってた。だけど、心が貧しくなるにつれて、ベルクレアに落ちる雪はくすんだ灰色にしか見えない。
あんなに綺麗だったのにーー
まるで、純粋だった僕の心が歳を重ねるにつれて、少しずつ汚れていくかのように。
両親は、僕が五歳の頃に離婚した。
正直、幼かった僕には、その理由がわからない。
父が家を出て行ってから、母は気丈に振る舞っていた。幼かった僕と、まだ赤ん坊だったアリーシャを抱えて、それでも笑おうとしていたのだ。
だが、三年後の冬。
僕が八歳のとき、そんな母は死んだ。
それはあまりにも唐突だった。
誰かが家の戸を叩き、曖昧な言葉で告げてきたのだ。
「気の毒に」
「よくは知らんが」
「頑張ってね」
そんな断片的な言葉ばかりで、大事なことは何一つ分からなかった。
ただ一つ、時間が経つにつれて勘づくことがあった。それは、この家に母が帰ってこないということだった。
その後、僕とアリーシャは叔母の家に引き取られた。最初は、母親を失くしたショックで、僕たちは立ち直れなかった。
そんな叔母は、厳しい人ではあったが、冷たい人ではなかった。
洗濯物を干したり、ご飯を用意してくれたりと、できる限りのことは、僕達にしてくれたんだ。
ただ、叔母の家には余裕がなかったのだ。
もともと楽ではない暮らしに、子どもが二人増えて、無理もない。
食卓の上のパンは薄くなり、スープの具は根菜ばかり。
僕たちが日々成長するにつれ、食べる量も増える。
そのことが、たまらなく申し訳なかった。
「お兄ちゃん、わたし大丈夫だよ」
アリーシャは、いつもそう言っていた。
青い髪を肩で揺らしながら、まだ残っているはずの空腹を隠して笑っていたんだ。
その笑顔を見るたび、僕は胸の奥を細い針で引っかかれるような気持ちになった。
とある夜、僕が十二歳のときだった。
その日、食卓の上にパンが一切れ残っていた。
叔母は「もう食べたから」と嘘をつき、アリーシャもまた、「お腹いっぱい」とさらに嘘をついた。
僕は二人に気を遣わせているのだと思い、申し訳なかった。だから、あんな事をしてしまったんだ。
あれは雪のちらつく夜の日のことだ。
僕は、露店の裏手に干し肉が吊るされているのを前から知っていた。
また、店主が閉店後、すぐ片づけないことも。
僕は震える指でそれを掴み、胸に抱えて走った。
怖かった。
見つかったらどうなってしまうのか。
けれど、それ以上に、持ち帰ったときアリーシャが何か食べられることのほうが大事だと思ったんだ。
路地裏で息を整え、冷たくなった指を見つめる。
すると、手はかじかみ、指先は赤くなっていた。
その中で、右手の甲にだけ、いつもと同じように薄く、消えないものがあった。
僕は反射的に、よくそれを隠していた。なぜなら、僕の手の甲にしかなく、見られたらマズイものではないかと感じていたからだ。
しばらくして、僕は家に戻り、干し肉を半分に割って差し出すと、アリーシャはじっと見つめてきた。
「……どこで手に入れたの?」
「うちの前に落ちてたんだよ」
すぐにわかる嘘だった。
それでも、アリーシャは何も言わず、肉を受け取って、小さく笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
その言葉がとても嬉しかった。
感謝されたことで
盗みがやめられなくなったのだ。




