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灰雪のベルクレア  作者: 村井 世那
旅立ち編①
22/32

第二一話 残された者

ウェインの視点です。

 

 イザヤが眠ったその朝、ベルクレアでは――


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 イザヤが地下牢を抜け出してから、半刻が過ぎた。


 意識が朦朧として、何度か浅い眠りから目を覚ましても、俺はまだ、アイツが上の階にいるような錯覚から抜け出せずにいた。


 だが、明け六つの鐘が鳴り響いた時。


 椅子に腰を下ろしたまま船を漕いでいた夜番の看守が、完全に目を覚ます気配がした。


 上の階で足音が『ドタドタッ』と鳴り響く。


 恐らく上の階を見張る看守が、いつもならあるはずの寝返りの気配が一箇所だけ、ぽっかりと抜けていることに気づいたようだ。


 看守がイザヤのいた牢へと駆け寄り、中を覗き込んだ気配が足音から伝わってくる。次の瞬間、空気が凍りついた。


「......は? どこだぁ! ガキっ!」


 獄中に声が響いた。さらに、扉を掴んで激しく揺らす鉄の音が地下に反響する。それが夢ではなく、取り返しのつかない現実なのだと認識した瞬間、看守は喉を裂くような声で叫び出した。


「脱獄ダァーー! 罪人が逃げた! 白髪のガキだぁーー!」


 その叫びは地下の石段を駆け上がり、城内へと火のように広がっていった。夜番の騎士たちが一斉に甲冑を鳴らして走り出し、塔の鐘も相まって、音の弾幕がベルクレア城内に降り注いでいく。


 馬屋では喫緊の準備が命じられ、眠りを妨げられた馬たちが鼻を鳴らして(ひづめ)で床を打つ音が聞こえる。そして騎士たちは、甲冑を慌てて着用し、

 馬に跨り、城門を抜けて縦横無尽に駆け出していった。当然あいつが向かったであろう方角にも、追手は放たれたのだろう。


           ***


 獄中が静けさに包まれた頃、上の階から慈悲を乞う声が牢の中に反響して聞こえてくる。


「すまねぇ! 俺には子供がいるんだぁ。

 命だけは...どうか、命だけは! いゃぁぁあー...」


 状況から察するに、事の元凶であるイザヤを逃した看守だろう。そいつは、地下へ駆けつけた騎士たちの前で膝をつかされ、首を落とされたのだ。


『ドサッ!』と重いものが落ちるような鈍い音。


 その光景を目の当たりにしたであろう騎士たちの間に、驚く者は誰一人いなかった。むしろ『何のためにそこにいる?』とでも言わんばかりに、冷たい眼差しを向けていたのだ。


           ***


 しばらくして、イザヤの脱獄は騎士から国王の耳にまで届いたらしい。


 そんな中、騒ぎが起きた一段下...俺のいる階では、俺含め六人の囚人がただ平然と腰を据えていた。


 俺は壁にもたれ、膝を折ったまま動かなかった。アイツが脱獄したことを知る数少ない一人として、上の階の喧騒を聞きながら、心の中で『成功したんだな』とだけ思っていた


        ――そのとき。



 階段を下りてくる足音が二つ、聞こえてきた。


 一つは『がしゃ、がしゃ』と鳴る甲冑の重い音。そしてもう一つは、軽く、それでいて無駄のない足音。

 

 その二つの気配は、俺の牢の前で止まった。


 鉄格子越しに向かい合った三人の中で、甲冑の男が先に口を開く。


「俺の名はブレイブ。

 ベルクレア城衛騎士団(ベルグレイス)の団長だ」


 その声は、人に命じることに慣れきった...どこか活き活きとした声だった。


 騎士団長のブレイブは続けて、隣の女を紹介した。


「こちらはベルクレア随一の名医、アリビオだ。

 一応、お前のためにここまで付き添ってもらった」


 隣に立つ女は、白髪混じりで痩せた体に暗色の外套をまとっていた。コイツは医者を名乗ってはいるが、どちらかというと彼女自身が患者ではないかと思わせるほど、覇気がない。


「つい先ほど、お前と組んで盗みを働いていたイザヤという少年が、地下を抜けたと報告があった」


 その報せに、俺の瞳が『ピクッ』と動いた。

 分かってはいたが、実際にその言葉を聞いたことで、胸の奥に小さな安堵が広がったのだ。


 ブレイブは報告を終えると、牢の錠を開け始めた。 そして中へ入り込み、俺の前にアリビオがしゃがみ込む。


「ウェインさん.....首元、少し失礼します」


 アリビオの手が、俺の喉元へ伸びる。その指先には、蛍のような微かな光が灯っていた。街医者は回復系の力に長けている者が多いと聞くが、中でもこの女は、国で屈指の使い手らしい。


 確かにコイツの使う回復系は、一般的な回復系よりもずっと繊細で、不思議な温かみがある。


 アリビオは傷口の縁を探るように、失われた声の通り道へ意識を沈めていく。呼吸の流れや傷の塞がり方を、一つずつ、時間をかけて探っているようだった。

 

 その間、俺はただ固まっていた。アリビオの手が触れる前から、ずっと下を向いたまま。


 やがてアリビオが手を離すと、彼女は目を閉じ、静かに首を横に振った。


「......無理です」


 分かっていたさ。彼女に告げられる前から、俺には分かっていたんだ。


「喉の欠損は、回復系の能力で修復できる領域を、とうに越えています」


 ブレイブは、無言でその宣告を聞いていた。彼もまた、アリビオの結果を聞いて『ぴくり』ともしなかった。


 彼はただ落ち着いた声で、俺に謝罪を述べたのだ。


「体と喉の件はすまなかった。彼女でも治せないとなると、他に治せる当てがない。忘れてくれとは言わないが、今は目を瞑ってほしい」


 そして彼は、声色を変えて言葉を続ける。


「話は変わるが、お前に提案がある。いや...この階に囚われるお前たち()()に提案がある」


 とたん、周りの囚人たちが急に音を立て始め、鉄格子越しにブレイブの方へと視線を向ける。


「お前たちも聞こえていたとは思うが、この牢獄から白髪の少年が脱獄した。どんな手を使ったかは知らんがな。そこでお前たちには、騎士学校に通ってもらい、卒業した後で騎士として、その少年を捕らえてきてもらいたい」


 ブレイブが話し終えると、金髪の男が噛み付くように質問を投げ掛けた。


「それやって、俺たちにメリットとかあんのか? 無駄働きじゃねぇだろうな? それに、騎士学校に行けるような金なんて持ち合わせてねぇんだわ」


 ブレイブは、その問いに淡々と答える。


「安心しろ。脱獄した少年を捕まえてくれば、お前たちの罪はすべて帳消しにしてやる。それに、騎士団長である俺が直々に頼んでいるんだ。騎士学校の学費は全額免除にする手筈になっているはずだ」


 金髪の男はさらに噛み付くように、問いを重ねた。


「でもよぉ、なんで俺たちがそんなこと言われなきゃいけねえんだよ。他探せば、いくらでもいるだろ?」


「お前たちがなぜ、この最下層に閉じ込められているか分かっているのか? 『印』を持っているからだ。『印』を持つ者は、戦いにおいて持たぬ者より幾分か有利なんだ。それに、お前たちには戦いのセンスがあると俺は見ている。理由はただそれだけだ」


 ブレイブが説明を終えると、今度は別の牢から女が問いかける。


「お一つ、宜しいですか? 私たちがそれを拒めば、どうなるのですか?」


「お前たちには、今すぐ死んでもらうことになるな。これは脅しじゃない」


 ブレイブは、即座にそう答えた。

 元々、俺たちを処刑するつもりだったのだろう。


 五人の囚人たちは、その提案を呑んだようだった。


「ウェインといったか。お前は一度、国王の前へ出ろ。お前にだけ特別に、二つの選択肢が用意されている......あと、『機該』について話があるそうだ」


 直後、俺は鎖を外され、引き立てられるように牢を出た。機骸となった俺の脚が一歩動くたび、足元から『がしゃり』と重い音が獄中に響き渡った。


          ***


 やがて俺は、国王の前へと引き出された。王宮の中は、地下牢とは別の意味で空気が重く、些細な不敬が死に直結するような緊張感に満ちていた。


 玉座に座る国王の前で、俺は膝をつく。いつもの俺なら足掻こうとしたはずなのに、今の俺は鎖に縛られているかのように、身動き一つ取れなかった。


 直後、玉座から俺を見下ろし、王が名乗る。


「我が名は、ベルクレア・アッシュフォード。

          

         この国を統べる者だ」


 その声には、自らが王であることを微塵も疑わない圧倒的な厚みがあった。


「本来なら貴様は、すでに処刑台へ送られているはずだった。だが状況が変わった。よって貴様には、二つの道を与えてやる」


 どうせどちらを選んでも不幸になるような、ろくでもない選択肢なんだろう。そんなことを思いながら、ブレイブや騎士たちに包囲された状況で、俺は選択を迫られた。


「一つ――先ほどブレイブから聞いたとは思うが、騎士学校へ通い、ベルクレア城衛騎士団(ベルグレイス)の一員として、脱獄したイザヤとやらを見つけ出し、その身柄を拘束して連れ戻すことだ」


 王は一度言葉を切る。そして――


「二つ――死ぬまで牢で生きるか。だがこちらはオススメできんな。貴様のような若い体には、ずいぶん長い罰になるからだ」


       ――予想通りだ。


 どちらを選んでも最悪のシナリオには変わりない。

 俺に得することなんて、何一つないのだ。


 俺は足元の砂鉄を微かに寄せ、石床の上に文字を書いた。


 『ことわると?』


 それを見た国王は、淡白に告げる。


「即刻、死刑だ」


 あまりに早い返答だったが、俺に動揺はなかった。

 すべてがどうでもいい......。

 今の俺は、どこかでそう投げやりになっていた。


 だが結局、俺は答えを出した。

 砂鉄を震わせながら、石床の上に一文字を描く。


       ――『1』


 それを見た王は「賢明だ」と口にした。


 まるで犬に首輪をつける時のような、冷淡なまでの平穏さ。今ここで、明確な主従関係が結ばれたのだと感じた。


 (なんて屈辱だ......)


 だが俺は、コイツの為に『1』を選択したわけじゃない。イザヤだったら絶対に『1』を選ぶと思ったから選択したんだ。


 自分が助かるために動く。それは生物として至極当然の選択。どちらを選んでも後悔するというのなら、わずかでも希望があるほうを選択する。


 今の俺にとってこの『1』は、最善ではなく、唯一の逃げ道に過ぎないのだ。


 (......すまない、イザヤ)


 俺は届くはずもないイザヤへ対し、胸の内でそう詫びを入れた。


 とたん、王が再び言葉を切り出す。


「それで、お前の『機骸』についてだが......身体そのものは無事だ。四肢も内臓もな。だが喉だけは、先に潰させてもらった。生きている以上、外部に実験のことを喋られるとマズいからな」


 (コイツ...俺の発声器官だけを綺麗に.....)


 ......コイツの話は嘘じゃない。現に俺は、牢の中で食事を取れていたんだ。重たい顎だが、力を込めれば開けることができた。


 そう告げられた俺は、顔を上げ、王のほうに視線を向けた。そして、足元の砂鉄を動かし文字を書く。


『どういうことだ?』


 その文字を見て、王は(なだ)めるように、ゆっくりと口を開いた。


「......そもそも『機骸化』というのは、生身の肉体に『魔族の血液』と『樹脂』を練り混ぜて作る『黒い魔導樹脂』を馴染ませ、その上から『機骸』を被せる...いや、固着させる処置だ。一度固着されれば、炎で炙ろうが、刃で抉ろうが、剥がすことはできん」


 王はそこで一度言葉を切り、薄く笑った。


「目的については、まだ話せない......が、お前が騎士としてベルクレアに貢献できるようになれば、いずれ教えてやる」


 (.....)


 俺の父親は、俺が三歳の時に騎士たちに連れていかれたが...まさかな......。


 ふと嫌な考えが、俺の脳裏を過った。その瞬間、ブレイブが俺の腕を自身の首に回し、立ち上がらせた。


「とりあえず、今日は牢に戻れ」


 そうして俺は、再び地下牢の中へと身を沈めていった――

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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