第二一話 残された者
ウェインの視点です。
イザヤが眠ったその朝、ベルクレアでは――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
イザヤが地下牢を抜け出してから、半刻が過ぎた。
意識が朦朧として、何度か浅い眠りから目を覚ましても、俺はまだ、アイツが上の階にいるような錯覚から抜け出せずにいた。
だが、明け六つの鐘が鳴り響いた時。
椅子に腰を下ろしたまま船を漕いでいた夜番の看守が、完全に目を覚ます気配がした。
上の階で足音が『ドタドタッ』と鳴り響く。
恐らく上の階を見張る看守が、いつもならあるはずの寝返りの気配が一箇所だけ、ぽっかりと抜けていることに気づいたようだ。
看守がイザヤのいた牢へと駆け寄り、中を覗き込んだ気配が足音から伝わってくる。次の瞬間、空気が凍りついた。
「......は? どこだぁ! ガキっ!」
獄中に声が響いた。さらに、扉を掴んで激しく揺らす鉄の音が地下に反響する。それが夢ではなく、取り返しのつかない現実なのだと認識した瞬間、看守は喉を裂くような声で叫び出した。
「脱獄ダァーー! 罪人が逃げた! 白髪のガキだぁーー!」
その叫びは地下の石段を駆け上がり、城内へと火のように広がっていった。夜番の騎士たちが一斉に甲冑を鳴らして走り出し、塔の鐘も相まって、音の弾幕がベルクレア城内に降り注いでいく。
馬屋では喫緊の準備が命じられ、眠りを妨げられた馬たちが鼻を鳴らして蹄で床を打つ音が聞こえる。そして騎士たちは、甲冑を慌てて着用し、
馬に跨り、城門を抜けて縦横無尽に駆け出していった。当然あいつが向かったであろう方角にも、追手は放たれたのだろう。
***
獄中が静けさに包まれた頃、上の階から慈悲を乞う声が牢の中に反響して聞こえてくる。
「すまねぇ! 俺には子供がいるんだぁ。
命だけは...どうか、命だけは! いゃぁぁあー...」
状況から察するに、事の元凶であるイザヤを逃した看守だろう。そいつは、地下へ駆けつけた騎士たちの前で膝をつかされ、首を落とされたのだ。
『ドサッ!』と重いものが落ちるような鈍い音。
その光景を目の当たりにしたであろう騎士たちの間に、驚く者は誰一人いなかった。むしろ『何のためにそこにいる?』とでも言わんばかりに、冷たい眼差しを向けていたのだ。
***
しばらくして、イザヤの脱獄は騎士から国王の耳にまで届いたらしい。
そんな中、騒ぎが起きた一段下...俺のいる階では、俺含め六人の囚人がただ平然と腰を据えていた。
俺は壁にもたれ、膝を折ったまま動かなかった。アイツが脱獄したことを知る数少ない一人として、上の階の喧騒を聞きながら、心の中で『成功したんだな』とだけ思っていた
――そのとき。
階段を下りてくる足音が二つ、聞こえてきた。
一つは『がしゃ、がしゃ』と鳴る甲冑の重い音。そしてもう一つは、軽く、それでいて無駄のない足音。
その二つの気配は、俺の牢の前で止まった。
鉄格子越しに向かい合った三人の中で、甲冑の男が先に口を開く。
「俺の名はブレイブ。
ベルクレア城衛騎士団の団長だ」
その声は、人に命じることに慣れきった...どこか活き活きとした声だった。
騎士団長のブレイブは続けて、隣の女を紹介した。
「こちらはベルクレア随一の名医、アリビオだ。
一応、お前のためにここまで付き添ってもらった」
隣に立つ女は、白髪混じりで痩せた体に暗色の外套をまとっていた。コイツは医者を名乗ってはいるが、どちらかというと彼女自身が患者ではないかと思わせるほど、覇気がない。
「つい先ほど、お前と組んで盗みを働いていたイザヤという少年が、地下を抜けたと報告があった」
その報せに、俺の瞳が『ピクッ』と動いた。
分かってはいたが、実際にその言葉を聞いたことで、胸の奥に小さな安堵が広がったのだ。
ブレイブは報告を終えると、牢の錠を開け始めた。 そして中へ入り込み、俺の前にアリビオがしゃがみ込む。
「ウェインさん.....首元、少し失礼します」
アリビオの手が、俺の喉元へ伸びる。その指先には、蛍のような微かな光が灯っていた。街医者は回復系の力に長けている者が多いと聞くが、中でもこの女は、国で屈指の使い手らしい。
確かにコイツの使う回復系は、一般的な回復系よりもずっと繊細で、不思議な温かみがある。
アリビオは傷口の縁を探るように、失われた声の通り道へ意識を沈めていく。呼吸の流れや傷の塞がり方を、一つずつ、時間をかけて探っているようだった。
その間、俺はただ固まっていた。アリビオの手が触れる前から、ずっと下を向いたまま。
やがてアリビオが手を離すと、彼女は目を閉じ、静かに首を横に振った。
「......無理です」
分かっていたさ。彼女に告げられる前から、俺には分かっていたんだ。
「喉の欠損は、回復系の能力で修復できる領域を、とうに越えています」
ブレイブは、無言でその宣告を聞いていた。彼もまた、アリビオの結果を聞いて『ぴくり』ともしなかった。
彼はただ落ち着いた声で、俺に謝罪を述べたのだ。
「体と喉の件はすまなかった。彼女でも治せないとなると、他に治せる当てがない。忘れてくれとは言わないが、今は目を瞑ってほしい」
そして彼は、声色を変えて言葉を続ける。
「話は変わるが、お前に提案がある。いや...この階に囚われるお前たち六人に提案がある」
とたん、周りの囚人たちが急に音を立て始め、鉄格子越しにブレイブの方へと視線を向ける。
「お前たちも聞こえていたとは思うが、この牢獄から白髪の少年が脱獄した。どんな手を使ったかは知らんがな。そこでお前たちには、騎士学校に通ってもらい、卒業した後で騎士として、その少年を捕らえてきてもらいたい」
ブレイブが話し終えると、金髪の男が噛み付くように質問を投げ掛けた。
「それやって、俺たちにメリットとかあんのか? 無駄働きじゃねぇだろうな? それに、騎士学校に行けるような金なんて持ち合わせてねぇんだわ」
ブレイブは、その問いに淡々と答える。
「安心しろ。脱獄した少年を捕まえてくれば、お前たちの罪はすべて帳消しにしてやる。それに、騎士団長である俺が直々に頼んでいるんだ。騎士学校の学費は全額免除にする手筈になっているはずだ」
金髪の男はさらに噛み付くように、問いを重ねた。
「でもよぉ、なんで俺たちがそんなこと言われなきゃいけねえんだよ。他探せば、いくらでもいるだろ?」
「お前たちがなぜ、この最下層に閉じ込められているか分かっているのか? 『印』を持っているからだ。『印』を持つ者は、戦いにおいて持たぬ者より幾分か有利なんだ。それに、お前たちには戦いのセンスがあると俺は見ている。理由はただそれだけだ」
ブレイブが説明を終えると、今度は別の牢から女が問いかける。
「お一つ、宜しいですか? 私たちがそれを拒めば、どうなるのですか?」
「お前たちには、今すぐ死んでもらうことになるな。これは脅しじゃない」
ブレイブは、即座にそう答えた。
元々、俺たちを処刑するつもりだったのだろう。
五人の囚人たちは、その提案を呑んだようだった。
「ウェインといったか。お前は一度、国王の前へ出ろ。お前にだけ特別に、二つの選択肢が用意されている......あと、『機該』について話があるそうだ」
直後、俺は鎖を外され、引き立てられるように牢を出た。機骸となった俺の脚が一歩動くたび、足元から『がしゃり』と重い音が獄中に響き渡った。
***
やがて俺は、国王の前へと引き出された。王宮の中は、地下牢とは別の意味で空気が重く、些細な不敬が死に直結するような緊張感に満ちていた。
玉座に座る国王の前で、俺は膝をつく。いつもの俺なら足掻こうとしたはずなのに、今の俺は鎖に縛られているかのように、身動き一つ取れなかった。
直後、玉座から俺を見下ろし、王が名乗る。
「我が名は、ベルクレア・アッシュフォード。
この国を統べる者だ」
その声には、自らが王であることを微塵も疑わない圧倒的な厚みがあった。
「本来なら貴様は、すでに処刑台へ送られているはずだった。だが状況が変わった。よって貴様には、二つの道を与えてやる」
どうせどちらを選んでも不幸になるような、ろくでもない選択肢なんだろう。そんなことを思いながら、ブレイブや騎士たちに包囲された状況で、俺は選択を迫られた。
「一つ――先ほどブレイブから聞いたとは思うが、騎士学校へ通い、ベルクレア城衛騎士団の一員として、脱獄したイザヤとやらを見つけ出し、その身柄を拘束して連れ戻すことだ」
王は一度言葉を切る。そして――
「二つ――死ぬまで牢で生きるか。だがこちらはオススメできんな。貴様のような若い体には、ずいぶん長い罰になるからだ」
――予想通りだ。
どちらを選んでも最悪のシナリオには変わりない。
俺に得することなんて、何一つないのだ。
俺は足元の砂鉄を微かに寄せ、石床の上に文字を書いた。
『ことわると?』
それを見た国王は、淡白に告げる。
「即刻、死刑だ」
あまりに早い返答だったが、俺に動揺はなかった。
すべてがどうでもいい......。
今の俺は、どこかでそう投げやりになっていた。
だが結局、俺は答えを出した。
砂鉄を震わせながら、石床の上に一文字を描く。
――『1』
それを見た王は「賢明だ」と口にした。
まるで犬に首輪をつける時のような、冷淡なまでの平穏さ。今ここで、明確な主従関係が結ばれたのだと感じた。
(なんて屈辱だ......)
だが俺は、コイツの為に『1』を選択したわけじゃない。イザヤだったら絶対に『1』を選ぶと思ったから選択したんだ。
自分が助かるために動く。それは生物として至極当然の選択。どちらを選んでも後悔するというのなら、わずかでも希望があるほうを選択する。
今の俺にとってこの『1』は、最善ではなく、唯一の逃げ道に過ぎないのだ。
(......すまない、イザヤ)
俺は届くはずもないイザヤへ対し、胸の内でそう詫びを入れた。
とたん、王が再び言葉を切り出す。
「それで、お前の『機骸』についてだが......身体そのものは無事だ。四肢も内臓もな。だが喉だけは、先に潰させてもらった。生きている以上、外部に実験のことを喋られるとマズいからな」
(コイツ...俺の発声器官だけを綺麗に.....)
......コイツの話は嘘じゃない。現に俺は、牢の中で食事を取れていたんだ。重たい顎だが、力を込めれば開けることができた。
そう告げられた俺は、顔を上げ、王のほうに視線を向けた。そして、足元の砂鉄を動かし文字を書く。
『どういうことだ?』
その文字を見て、王は宥めるように、ゆっくりと口を開いた。
「......そもそも『機骸化』というのは、生身の肉体に『魔族の血液』と『樹脂』を練り混ぜて作る『黒い魔導樹脂』を馴染ませ、その上から『機骸』を被せる...いや、固着させる処置だ。一度固着されれば、炎で炙ろうが、刃で抉ろうが、剥がすことはできん」
王はそこで一度言葉を切り、薄く笑った。
「目的については、まだ話せない......が、お前が騎士としてベルクレアに貢献できるようになれば、いずれ教えてやる」
(.....)
俺の父親は、俺が三歳の時に騎士たちに連れていかれたが...まさかな......。
ふと嫌な考えが、俺の脳裏を過った。その瞬間、ブレイブが俺の腕を自身の首に回し、立ち上がらせた。
「とりあえず、今日は牢に戻れ」
そうして俺は、再び地下牢の中へと身を沈めていった――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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