第十九話 壁のない道
ベルクレアから南東へ続く街道には、人ひとりいなかった。朝早いというのもあるが、そもそも城門を行き来する者は、騎士団の連中か、隊商、行商人、それに馬や牛などの家畜くらいのもの。
たまに冒険者が旅立つこともあるが、普通の人間ならベルクレア城内から外へ出ようとは思わない。
そんなことを考えていると、霜を噛んだ草が足もとでかすかに鳴った。低い丘陵の向こうには、眠たげな山並みが続き、ところどころで鳥がさえずっている。
壁もないし、見張りもいない。どこまでも視界がひらけていた。少し街を出るだけで、こんなにも世界が広がるのか。
僕は男の前へ少し駆け出し、大きく手を広げ
「すぅぅぅぅ......はぁぁぁ――」と深呼吸をした。
すると後ろから歩いてくる男が、通りざまに「なにしてる。早くいくぞ」と急かすように言ってきた。
この男にとっては、見慣れた光景なのだろう。けれど僕にとっては、初めて見る景色なんだ。
少しくらい、興奮したっていいじゃないか。
そう思いながら、僕は男の横を歩き、何度も辺りを見渡した。世界というものが、こんなふうに囲われずに続いているなんて...やはり不思議だ。
しばらく無言が続いたあと、男が口を開く。
「それで、お前の名前はなんだ」
視線は前に向いたまま尋ねてきた。
「イザヤだ」
すると男は、僕の名前を小さく繰り返す。
「......イザヤか、いい名前だ。俺はクルエル。
普通にクルエルって呼んでくれていい」
若干冷めたところはウェインと似ているが、話してみると案外いい奴だ。人は見かけによらないもんだ。
「よろしく、クルエル」
そう言うと、クルエルが僕に問いかけてきた。
「イザヤは、ベルクレアが嫌いか? 俺からすれば、あの街は結構いい街に見えるんだが......」
僕は思わず、鼻で笑ってしまった。
「.....ふっ。たしかに、旅人から見れば綺麗な街なんだろうな。実際、あの街に来る旅人は『なんて綺麗な国だ』なんて言葉を零す。けどそれは、あくまで街の表側しか見えていないから言えるんだ。
あの街の内情を知っていれば、そんな感想は絶対出てこない。金持ちと貧乏人の格差は、日に日に広がっていく一方なんだから......」
つい僕は、嫌な話をしてしまった。そう気づいて謝ろうとした時、クルエルが先に口を開いた。
「すまなかった。嫌なことを話させたな。どうやら俺は、勘違いしてたみたいだ。外から見れば穏やかな街でも、旅人が知らないだけで、そこで暮らす人間には、そこで暮らす人間にしか分からない苦しさがあったんだな」
僕は申し訳なく思った。まだ出会って間もないクルエルに、こんな重い話をしてしまったのだから。
僕は少し黙ってから、ぽつりと話を切り出した。
「実は黙ってたけど、西側へ逃げていったガキってのは、俺のことじゃないんだ。本当は、俺と一緒に盗みをやっていた親友のことなんだ」
そう明かすと、クルエルは少し笑いながら「そうか」とだけ呟いた。なんだか、西側へ逃げたのが僕じゃないと知っていたかのように、やけにあっさりとした返答だった。
「その親友が、機骸ってやつに姿を変えられて、だから俺は、あいつを元に戻すために脱獄してきたんだ。なにか、知ってることはないか?」
クルエルは空を見上げ、しばらく考え込んでいた。 けれどその様子からして、機骸の存在についてはなにも知らないようだった。
やがてクルエルは、小さく息を吐いた。空に向けていた視線を僕へ戻し、少しだけ表情を緩める。
「親友のことが心配かもしれんが、今は深く考えるな。お前はまだ、ガキだし生き延びたばかりだ。これから街を回る中で、いろんな場所で聞いてみるといい。お前の旅は、まだ始まったばっかりなんだ」
彼の言葉に、僕は小さく唇を噛んだ。確かにそうだ。ウェインのことは心配だ。一日でも早く元に戻してやりたいくらいに。
けれど今の僕には、その方法を探し回れるほどの余裕はない。それに、外の世界には知らないことが多すぎる。今はクルエルがいるから安心して歩けているが、一人になれば、生き残れる自信なんてまるでなかった。
だからウェインには、少しだけ待たせることにはなるが、僕がこの広い世界で生き延びていくための力をつけなければならないのだ。
「......ウェイン、すまない。
もう少しだけ、待っていてくれ」
僕は、ウェインに届くはずもないことを承知で、誰にも聞こえないような小声でそう呟いた。
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