第十八話 謎の男
ベルクレアの城壁を背に、僕は男と見合っていた。
聖誕祭の日のように、私服で民衆を装っているのだろうか。だとしたら僕は、ここで捕まってしまう。
僕は、男の体に同じ『印』が眠っているのではないかと、じっと眺めていた。しかし、体全体は外套で包まれ、目に見える肌からはそれらしいものを確認することができなかった。
(この男、三十半ばだろうか...)
ウェインほどの真っ黒な髪ではないが、青みを帯びた黒髪を無造作に後ろへ流し、頬から顎にかけて無精髭が影を落としている。
体全体が厚手の外套の下に隠れていてもなお、肩の張りと立ち姿だけで鍛えられた体だとすぐに分かった。
そして腰には剣が提げられており、戦い慣れしているのが伝わってくる。僕が戦いをしたことがないから、どうしても武器を持っている奴が強そうに見えてしまうだけかもしれないが。
「やっと顔を見せたか。もう少し手際のいいガキかと思っていたが...」
その言い草はまるで、待ち合わせに遅れてきた相手へ向ける軽い苦言のようですらあった。
僕は、咄嗟に言葉を返す。
「ベルクレア城衛騎士団のやつか......脱獄を見越して、待ち伏せしていたのかっ!」
僕は半歩だけ退いた。すると男は木から背を離し、一瞬で僕の前に立ち、左肩に手を乗せてこう問いかけてきた。
「名乗る前に、お前に一つ確認したい......」
その素早い動きだけで僕は、この男に隙がないということを理解した。いや僕が...この男のスピードについていけてないということに。
この男が本当に敵なら、僕はコイツに殺されている。今の僕がコイツに背を向けて逃げることは不可能なんだと...そう悟った。
僕がこわごわに顔を上げると、男は言葉を続けた。
「ベルグリューンへと逃げ出した盗人というのは、お前で間違いないな」
そう呟きながら、男は僕の全身を疑うように上から下まで眺めた。
綺麗なフード付きコートに、片手だけの手袋。牢から脱獄したにしては、僕の身なりが整いすぎていたのか。
「お前、脱獄囚にしては妙に身なりがいいな」
僕の考え通り、男は身なりの良さを疑ってきた。
僕は、怖くて男の目を見られなかった。ただ俯いたまま、「市街地で......拾い...ました」とだけ尻すぼみに返すことしか出来なかった。
この男がもし騎士であるなら、盗みをしたと思われかねない。まるで懲りてない人間に思われてしまう。かといって、能力のことをいうのは......。
僕は、心の中で一人葛藤していた。
「...今回は、見逃してくれませんか?
本当に、盗んだわけじゃないんです」
けれど男は、何も答えなかった。その沈黙を埋めるように、風だけが吹き抜けた。木の葉が一枚、二枚と舞い落ち、男の肩をかすめる。
「はぁ......」
そして、呆れたように言葉を返す。
「あのなぁ......俺は騎士じゃないんだ。安心しろ。たまたまベルグリューンで依頼をこなしてた時に、妙な騒ぎを耳にしただけだ」
僕はゆっくりと顔を上げた。
男はそんな僕を見下ろしたまま、再び口を開く。
「ベルクレアから、伝書鳩が飛んできたらしい。その内容には、聖誕祭の市で盗みをやってるガキが一人西側へ逃げた......ってな」
その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中に一人の顔が浮かんだ。
(......ウェイン)
けれど、味方かどうか分からない以上、わざわざ訂正する気にはなれなかった。
「しかもそいつは、ただの盗人じゃないと聞いた。変な能力を使って盗みを行うんだと。それで、近くに寄ったついでにここで待っていたら、お前が来たってわけだ。もし噂のガキが本当に力を持っているって言うんなら、拾う価値があるかもしれないと、そう思ったんだ」
それを聞いた瞬間、男の口にした「拾う」という言葉が妙に耳に残った。
「......拾う?」
「ああ、そうだ」
男は口元をわずかに歪めて、そう答えた。
「見込みのあるやつを見つけたらスカウトする。その為に俺は、依頼をこなしながら北側の国を巡回しているんだ」
その言葉が、僕にはどうも嘘くさく聞こえた。完全に信用はできない。けれど少なくとも、今この場で僕を押さえつけて、騎士に引き渡すとは到底思えなかった。
とたん、男は顎で南東を示す。
「今すぐ歩けるか?」
「......どこへだ」
「ドロームだ」
僕はその名を知らなかった。生まれてからずっと、壁の中でしか生活してこなかったから。ベルクレアの中で生まれ、飢え、盗み、そして捕まった。
僕の中で、ベルクレアが世界の全てだった。外の世界なんて...知らなくて当然だ。
僕が戸惑っているのが顔に出たのか、男はほんの少しだけ口元を和らげた。
「その顔を見れば分かる。お前、壁の外をまともに歩いたことがないだろ。外の世界はお前の想像以上に広く、色んな奴がいる。死にそうになることもあるだろうが、それでも生きていくことになるんだ。死にたくなければ、気を抜くんじゃねえぞ」
僕は拳を『ぎゅっ』と握りしめた。まだ壁の外に出たばかりで、右も左も分からないけれど、僕は自分の力でこの世界を生きてやる。
そんなことを考えていると、男はさらに言葉を重ねた。
「ついて来い。追われる前に先を急ぐぞ」
「......はいっ!」
僕は、壁の外を少しでも知っている人間がいたことで安心してしまった。この人はとても強い。これほど頼りになる旅仲間はいないと...そう思った。
「これから、よろしくお願いしますっ!」
男は「あぁ」とだけ言って頷いた。
「名は、あとで聞かせろ。今は歩くのが先だ」
そうして僕らは、並んで南東のドロームへと歩き出す。振り返るたび、ベルクレアの巨大な城壁は少しずつ小さくなっていく。
けれど不思議と、僕の胸の中にある期待と不安、そして抑えきれない高揚感は、どんどん大きくなっていった。
僕はこれからウェインを元の姿に戻すため、大きな旅へ出るのだと、改めてそう感じたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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