第十六話 郵便
僕は城門へ向かう途中、ふとコートの内ポケットに手を入れた。
紙の感触が指先に伝わる。
その瞬間、『ハッ』とした。
「......手紙...」
疲労のせいか、手紙の存在をすっかり忘れていたのだ。自分で書いたくせに......そう思った。
だが、仕方のないことだ。慣れない牢からの脱獄は、肉体、精神ともに少しずつすり減っていくもので、考えごとをしているほどの余裕はないのだから...
...と思ったが。
考えてみると、牢の中では脱獄を許した看守の処罰がどうなることやら気になってはいた。
僕はすぐに立ち止まった。城門まで、もう遠くはない。だが、このまま出てしまえば、あの手紙を書いた意味がなくなってしまう。面と向かって、二人に感謝も謝罪も伝えていないくせに、手紙すら残さず黙って去るなんて、そんなことはできなかった。
僕は進む方向を変え、自宅へと歩き出す。人が少ない、今しかチャンスはない。これを逃せば、僕は一生後悔する...そんな気がした。
しばらくして、自宅前に立った僕は、叔母さんとアリーシャの三人で食卓を囲んだ日のことを、ふと思い出した。
涙がこぼれそうだった。けれど僕は、その涙を必死にこらえた。
見慣れた壁に見慣れた窓。
見慣れた......少し歪んでいる木の郵便受け。
その全部がもう、見られないのかもしれないと、そう思ってしまった。
僕は音を立てないよう郵便受けの蓋を上げ、三通の手紙をそっと入れた。直後、紙が木の底に触れたような微かな音が鳴った
――とんっ。
本当なら、もう一度だけ『ただいま』といって、家に入りたかった。そして叔母とアリーシャの顔を、もう一度だけ、この目で見たかった。
けれど、一度でも会ってしまうと僕は......もうこの街から出られない気がした。ウェインとの約束を果たすために、脱獄してきたというのに。
そんな事を考えながら、僕は被っているフードを深く下ろし、自宅を背にして再び城門へと歩き出す――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日の朝、わたしはいつもより少し早く目を覚ました。なんだか、胸の奥がざわざわして落ち着かなかったかったの。
小さな外套を羽織り、いつものように郵便受けを見に外へ出る。別に毎朝何か届くわけではない。
ただなんとなく、習慣になっているだけだった。
けれど、今日だけは違った。冷たい空気の中で郵便受けの蓋を開けると、底に洋封筒が入っていた。その瞬間、わたしの手は『ピタッ』と止まった。
見間違えるはずがない。その洋封筒に書かれた『アリーシャ』『叔母さん 』という不格好な文字。それは間違いなく、ずっと帰ってこないお兄ちゃんの字だった。
「......叔母さんっ!」
無意識のうちに、大きな声で叫んでいた。自分でも驚いてしまうほど、掠れて、震えた声。
まるで、自分のくしゃみに驚いて泣き出す赤ん坊みたいに。それくらい、わたしにとっては初めてのことだった。
直後、台所から叔母さんが慌てたように出てくる。 エプロンの紐を結びながら「どうしたの」と言いかけて、わたしの手の中にある洋封筒を見て、その言葉が止まった。
「どうし...それ......」
叔母さんの目から、ぽたぽたと涙が溢れ出す。わたしも、もう我慢できなかった。涙で視界が滲む。
そんなわたしを見て、叔母さんはわたしの背中を優しく摩りながら、家の中へと連れて戻ってくれた。
しばらくして、二人で食卓の椅子に座り、震える手で封を開ける。二人宛てに残された手紙と、それぞれに向けて書かれた手紙。そこに綴られていたのは、お兄ちゃんの不器用で、優しくて、どうしようもないほど真っ直ぐな『本心』だった。
「......あの子....っ....」
叔母さんが手紙を胸に押し当て、涙をこらえながらそう呟く。
わたしは、洋封筒に同封されていた銀のブレスレットを左手につけ、自分宛ての手紙を両手でぎゅっと握りしめた。
とたん、涙が再びぽたぽたとこぼれ落ち、お兄ちゃんの綴った文字の上に、雪の粒みたいな小さな染みが、一つ...二つ....三つ.....と浮かび上がってくる。
青い髪が一番綺麗だったなんて...そんなこと、一度も言ってくれなかったくせに。
「......叔母さん....っ....」
「...うん」
「お兄ちゃん...今、生きてるよね?」
不安でたまらなくて、すがるように聞いてしまった。叔母さんは、すぐには答えてくれなかった。肩を震わせ、声にならない声で泣いていたから。
やがて、わたしを安心させるように、力強く静かに頷いてくれた。
「この手紙を書けたということは、お兄ちゃんはきっと......生きてるっ!」
その言葉に、わたしは大きく頷き返した。お兄ちゃんと別れた悲しみが、少しだけ熱い決意みたいなものに変わっていくのを感じた。
わたしは椅子から立ち上がり、家の外へ出た。
外の冷たい空に、朝の光が差し込み始めている。
わたしはお兄ちゃんから受け取った、お父さんの形見でもあるブレスレットを、そっと空へ掲げた。ブレスレットを朝日にかざすと、細い輪の縁がきらりと光る。
お兄ちゃんには、雪が『灰色』に見えていたらしい。でも、わたしに見えるこの朝日は、お兄ちゃんが残してくれたこの『希望』みたいに、すごく温かくて綺麗だよ。
わたしは遠くの空を見つめながら、微笑んで言葉を紡ぐ。
「......私、どれだけ離れていても........ずっとお兄ちゃんの味方だよ...だから
――ちゃんと、生きて帰ってきてね」
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