↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
要らない娘と呼ばれた私を、魔王は千年待っていたそうです ~捨てた公爵家は没落し、私は世界で一番幸せになりました~  作者: 蒼空ルーシェ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
90/91

第89話 代わりに、ではなく

 城が溶けている、という話は、その日のうちに町へ届いた。


 港から見上げると、白い塔から、水が幾筋も落ちていた。日に当たると、それが光った。町の者は、桟橋に出てきて、それを見ていた。誰も、声を上げなかった。ただ、見ていた。


 夕方、司祭団が来た。


 七人。同じ歩幅で、同じ間隔をあけて。


 先頭のカナンは、いつもより、少しだけ速く歩いていた。



   ◇



 玉座の間には、水が溜まっていた。


 深さは、くるぶしほど。溶けた氷が、床の低いところに集まっていた。


 オーディルは、階段の上に立っていた。座らなかった。玉座の氷は、まだ半分残っていて、座れる形をしていなかった。


 カナンは、水の中を歩いて、階段の下まで来た。


 そして、深く、長い礼をした。


「陛下」


「……カナンか」


「はい」


「三十七年、務めたと言ったな」


「はい」


「一度も、答えなかった」


「はい」


「すまなかった」


 司祭たちが、揃って顔を上げた。


 カナンだけが、顔を上げなかった。


「もったいのう、ございます」


 声が、少し、震えていた。


「陛下。お立ちになりましたか」


「立った」


「では」


 彼女は、そこで、顔を上げた。


 目が、輝いていた。


 喜んでいた。心から、喜んでいた。


「では、お納めくださいますか」


 水面が、わずかに揺れた。


 リーシェは、その言葉を聞いた瞬間、足を踏み出していた。



   ◇



「カナンさま」


「半身さま」


「オーディルさまは、いま、お知りになったばかりです」


「はい。存じております」


「千年前のことを、今日、お知りになりました」


「はい」


「その方に、いま、そのお尋ねをなさるのですか」


 カナンは、リーシェを見た。


 その目は、変わっていなかった。柔らかいままだった。


「半身さま。三十七年でございます」


「はい」


「わたくしの前は、四十一年。その前は、五十年。誰も、お答えをいただけませんでした」


「はい」


「わたくしの代で、初めて、陛下がお立ちになりました」


 彼女は、両手を胸の前で合わせた。


「これを、逃す司祭は、おりません」


 リーシェは、言葉に詰まった。


 この人は、悪意で言っていない。


 三十七年、待った人が、待っていたものを見て、そう言っている。



   ◇



「カナン」


 階段の上から、声が降りた。


「はい」


「あの娘の名を、聞かせろ」


 カナンの背が、伸びた。


「セイレでございます。民の名を、セイレと」


「そうではない」


 声が、低かった。


「三つ目だ」


 応接間ではないが、水の溜まった玉座の間も、しんと静まった。


 司祭たちが、互いに顔を見合わせた。六人の顔に、初めて、揃っていない表情が出た。


「陛下」


「言え」


「……三つ目のお名前は、陛下がお呼びになる時まで、封じておく作法でございます」


「呼ぶ時が来た」


「では、儀式を」


「いま、言え」


 カナンは、動かなかった。


 長いこと、そのままだった。


 それから、懐に手を入れた。


 小さな、油紙の包みを出した。三重に折られていて、蝋で封がしてあった。


 彼女は、それを、両手で持った。


「陛下」


「ああ」


「この作法は、千年、変わっておりません」


「聞いている」


「四百十一人、すべて、同じ手順でございます」


 彼女は、封を切った。


 油紙を開いた。


 中から、指ほどの幅の、細い紙が出てきた。


 文字が、書いてあった。


 カナンは、それを読み上げた。


「――アイラ」


 水面が、揺れた。


 リーシェは、自分の耳を疑った。


「……いま、何と」


「アイラ、でございます」


 カナンは、繰り返した。


 当然の顔で。


「陛下の名は、アイラでございます」


「セイレさまの、三つ目のお名前が」


「はい」


「アイラ」


「はい」


「……四百十一人の方々は」


 リーシェの声が、震えた。


「その方々の、三つ目のお名前は」


「アイラでございます」


 広間が、完全に静まった。


「全員」


「はい。全員でございます」


 カナンは、細い紙を丁寧に折り直しながら、こう言った。


「千年前、陛下は、お一人を失われました。ですから、司祭団は、その方の代わりを差し出すことにいたしました。器の名は、お一人分しかございません。ですから――」


 彼女は、顔を上げた。


「すべての候補に、同じ名を、用意いたします」



   ◇



 誰も、動かなかった。


 オーディルは、階段の上で、石になったように立っていた。


 最初に声を出したのは、アルトだった。


「そ、そんなの」


 十三歳の声が、水の上に響いた。


「そんなの、ひどいです」


「アルト様」


「四百十一人、ぜんぶ、べつの人です」


「はい」


「べつの人に、おなじ名前をつけたら」


 彼は、そこで言葉に詰まった。


 詰まって、それでも、続けた。


「その人が、いなくなります」


 カナンは、少年をまっすぐ見た。


 そして、こう答えた。


「アルト様。器に、名は、要りません」


 その一言は、静かだった。


「必要なのは、陛下がお呼びになる名でございます。呼ばれる名が違えば、届きません。ですから、揃えます」


「でも」


「これは、三代前の司祭が定めた、いちばん確かな作法でございます」


 彼女は、そこで、初めて、少しだけ目を伏せた。


「わたくしの姉も、アイラでございました」


 リーシェの喉が、鳴った。


「十八年、姉は、その名を知らずに座っておりました。名を返す時に、初めて聞かされました」


「……お姉さまは」


「『そう』と、一言だけ仰いました」


 カナンは、細い紙を、懐に戻した。


「それきり、何も仰いませんでした」



   ◇



 その夜。


 リーシェは、セイレの部屋の前に立った。


 中に入る勇気が、出なかった。


 伝えるべきだと思った。同時に、伝えてどうなるとも思った。


 扉に手をかけた時、中から、声がした。


「半身さま」


 リーシェは、動きを止めた。


「……はい」


「入っていらしてくださいませ」


 入ると、セイレは、椅子に座っていた。


 背筋をまっすぐにして、両手を膝の上に置いて。


 いつもと同じ姿勢だった。


 ただ、灯りが点いていなかった。


 暗い部屋で、この娘は、一人で座っていた。


「セイレさま。灯りを」


「いいえ」


「暗いです」


「はい」


 声だけが、返ってきた。


「聞こえておりました」


 リーシェの心臓が、止まりかけた。


「玉座の間の声は、この部屋まで届きます。氷が溶けましたので、よく響きます」


「……セイレさま」


「はい」


「聞いて、しまわれましたか」


「はい」


 沈黙が、あった。


 窓の外で、雫が落ちる音がしていた。


 セイレは、暗い中で、まっすぐ前を向いていた。


 そして、こう言った。


「わたくしの名前は、四つ、ございました」

お読みいただき、ありがとうございます。


第4章「自分の名」、開幕です。


封じられていた三つ目の名が、開かれました。


——アイラ。


四百十一人、全員です。

千年前に一人を失ったので、その代わりを差し出すことにした。器の名は一人分しかないので、すべての候補に、同じ名を用意する。


「器に、名は、要りません。必要なのは、陛下がお呼びになる名でございます」


カナンの姉も、アイラでした。十八年その名を知らずに座り、名を返す時に初めて聞かされて、「そう」と一言だけ言ったそうです。


アルトの言葉が、この回の芯です。

「べつの人に、おなじ名前をつけたら——その人が、いなくなります」


氷が溶けたので、玉座の間の声は、セイレの部屋まで届いておりました。


暗い部屋で、灯りも点けずに、彼女は一人で座っておりました。

「わたくしの名前は、四つ、ございました」


——三つではなく、四つ。

この数え方の意味は、次回に。


次回、第90話「逃がす、ということ」。


リーシェが、決めます。

決めた直後に、自分がしようとしたことに気づきます。


——「その人が、いなくなります」で胸が痛んだ方。どうか、一押しを。

ブックマーク・評価・感想、何卒お願いいたします。

四百十一枚の、同じ名前に、☆ひとつをお力添えください。


蒼空ルーシェ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。