↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
要らない娘と呼ばれた私を、魔王は千年待っていたそうです ~捨てた公爵家は没落し、私は世界で一番幸せになりました~  作者: 蒼空ルーシェ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
77/88

第76話 要る、と言われて

 司祭たちは、日が落ちる前に帰っていった。


 セイレを、置いて。


 カナンは去り際に、リーシェの手を取って、こう言った。


「西の半身さま。あの子と、お話しくださいませ」


「よろしいのですか」


「ええ。同じお立場でございましょう」


 同じ立場。


 リーシェは、その言葉を、扉が閉まったあともずっと持っていた。



   ◇



 城の東側に、部屋が用意されていた。


 用意されていた、というのは正しくない。千年前から、そこにあった。


 白い部屋だった。寝台と、椅子が一つ。窓には氷が張って、外は見えない。壁に飾りはなく、床には敷物もなかった。


 セイレは、その部屋の椅子に座っていた。背筋をまっすぐにして、両手を膝の上に置いて。


 リーシェが入っていくと、彼女は立ち上がって、礼をした。


「西の半身さま」


「リーシェで、かまいません」


「はい」


「……セイレさま。座ってください」


「はい」


 セイレは座った。まったく同じ姿勢で。


 リーシェは、寝台の縁に腰を下ろした。二人のあいだに、机はなかった。何も置くもののない部屋だった。


「寒くありませんか」


「はい」


「その、はい、は」


「……」


 セイレが、初めて口ごもった。


 どちらの意味かを聞かれることに、慣れていないのだとわかった。


「寒いです」


 彼女は、そう言い直した。


「毛布を、お持ちします」


「いいえ。結構でございます」


「どうして」


「わたくしは、寒さに慣れております。慣れておくよう、言われましたので」


「どなたに」


「司祭さまに」


「いつから」


「六つの時からでございます」



   ◇



 セイレは、聞かれたことには、正確に答えた。


 六つの時に、司祭団に引き取られた。それ以前の記憶はない、と言った。ないのか、消したのか、リーシェには判断がつかなかった。


 朝は、日の出前に起きる。海の水を汲み、体を清める。それから読み書きを二刻。循環の作法を二刻。礼の稽古を一刻。


 昼のあとは、掌の稽古。水を受け、こぼさずに保つ。


 夕方は、城の方角を向いて、一刻座る。


「何を、なさるのですか。その一刻は」


「お待ちいたします」


「何を」


「お召しを」


「十六年、毎日」


「はい」


 リーシェは、膝の上で指を組んだ。


「セイレさま」


「はい」


「一度も、お召しは、ありませんでしたね」


「はい」


「悲しくは、ありませんでしたか」


 セイレは、しばらく黙った。


 考えている沈黙ではなかった。言葉を探している沈黙だった。


「わかりません」


「わからない」


「悲しい、というものを、教わっておりません」


「では、何を、教わりましたか」


「務めでございます」


「務め」


「はい。わたくしは、要る者でございます」


 リーシェの喉の奥が、詰まった。


「……要る者」


「はい。司祭さまが、毎朝、仰います。『セイレ、お前は要る』と。十六年、毎朝でございます」


 セイレは、そこで初めて、ほんのわずかに、表情を動かした。


 誇りではなかった。安心でもなかった。


 ただ、確認していた。自分がそう言われたことを、口に出して、もう一度確認していた。


「わたくしは、要る者でございます」



   ◇



 リーシェは、しばらく何も言えなかった。


 それから、自分の話をした。


 うまく話せた自信はなかった。ただ、この娘に伝わるとしたら、これしかないと思った。


「セイレさま。私は、十七年、要らない娘でした」


 セイレが、顔を上げた。


「私は、公爵家の娘でした。母は私を産んで亡くなりました。父は、私を見ませんでした。兄も、使用人も、誰も、私の名前を呼びませんでした」


「……」


「十年に一度、魔王城に、人を差し出す決まりがありました。父は、私を選びました。私が十七の時です」


「お選びに」


「はい。その時、父は、こう言いました」


 リーシェは、息を吸った。


 この台詞を口にするのは、久しぶりだった。


「『お前で、ちょうどよかった』」


 応接間ではないが、氷の張った窓辺も、しんと静まった。


「私は、要らないと言われて、差し出されました。あなたは、要ると言われて、差し出されました」


「はい」


「同じでしょうか」


「わかりません」


「私にも、わかりません」


 リーシェは、正直に言った。


「けれど、ひとつだけ、聞かせてください」


「はい」


「セイレさま。あなたは、行きたかったですか」


 沈黙。


 今度は、長かった。


「……お尋ねの意味が」


「あなたが、あなたの気持ちで、この城に来たかったかどうかです」


「わたくしの気持ちは、ございません」


「ありませんか」


「ございません。持たぬように、育てられました」


 セイレは、そこで、初めて、リーシェの目をまっすぐ見た。


 薄い青の瞳だった。海の浅いところの色。底が見える色だった。


「半身さま」


「はい」


「わたくしは、要る、と、言われて、育ちました」


 その声は、平らだった。


「ですから、要らない、と言われたことが、ございません」


「はい」


「ですから――」


 彼女は、そこで止まった。


 止まって、それきり、続けなかった。


 リーシェは待った。十を数えるあいだ待って、それから、そっと聞いた。


「ですから」


「……いえ」


「セイレさま」


「申し訳ございません。続きが、ございません」


 教わっていない言葉の先には、行けない。


 この娘は、そういうふうに、作られていた。



   ◇



 その夜。


 与えられた部屋で、リーシェは、灯りを消したあと、長いこと起きていた。


 隣に、ゼルヴァーンがいた。


 彼も、起きていた。この人は、リーシェが眠るまで眠らない。千年の癖だった。


「リーシェ」


「はい」


「泣くか」


「泣きません」


「泣いていいぞ」


「……ゼルヴァーンさま」


「ああ」


 リーシェは、寝台の中で、身体を彼のほうへ向けた。


「私は、あの子を、かわいそうだと思いました」


「ああ」


「思ってしまいました」


「そうか」


「けれど、私は、十七年、かわいそうだと思われるのが、いちばん嫌でした」


 ゼルヴァーンの手が、彼女の髪に触れた。


「あの子は、いま、かわいそうではないのかもしれません。要ると言われて、務めがあって、迷わずに生きています。私は、十七年、迷ってばかりでした」


「ああ」


「私が、あの子を助けたいと思うのは――」


 リーシェは、そこで言葉を切った。


 自分が言おうとしていることの形が、暗闇の中で、初めて見えた。


「――私が、助けてほしかったから、でしょうか」


 ゼルヴァーンは、すぐには答えなかった。


 しばらくして、こう言った。


「わからん」


「はい」


「僕は、千年、誰も助けなかった。待っていただけだ。だから、助けたい者の気持ちが、わからん」


「はい」


「だが、リーシェ」


「はい」


「君が、わからないまま、あの子のところへ行くのは――やめておけ」


 リーシェは、目を閉じた。


 閉じても、掌を上に向けたままの、あの手が見えた。


 窓の外で、氷が、細く鳴った。



      ◇



 ――花は、咲かせられるものでは、ありません。


 咲きたいときに、咲きます。


  第3部第1章「東の海へ」了。

お読みいただき、ありがとうございます。


第3部第1章「東の海へ」、ここまでです。


セイレの十六年でした。

六つで引き取られ、日の出前に起き、掌に水を受ける稽古をし、夕方には城の方角を向いて一刻座る。お召しを待つために。十六年、一度も、お召しはありませんでした。


「セイレ、お前は要る」——司祭は毎朝そう言いました。十六年、毎朝。


リーシェは「お前で、ちょうどよかった」と言われて差し出されました。

セイレは「お前は要る」と言われて差し出されました。

同じかどうかは、まだ、誰にもわかりません。


最後に、リーシェが自分で見つけてしまった問いがあります。

——私が助けたいのは、私が助けてほしかったからでしょうか。


ゼルヴァーンは「わからん」と答えました。この人は、わからないことを、わからないと言います。


次回、第77話「好きなもの」。

第2章「望まれた娘」、開幕です。


セイレに、好きなものを聞きます。

答えは、返ってまいりません。

——そして、アルトが、生まれて初めて、姉以外の誰かのために怒ります。


ブックマーク・評価・感想、何卒お願いいたします。

「要る」と言われて育った娘に、☆ひとつをお力添えください。


蒼空ルーシェ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。