第75話 捧げられた者
扉が開いた。
七人が、入ってきた。
揃いの、薄い青灰色の衣を着ていた。裾が長く、床を引きずる。全員が老いていたわけではないが、動きが同じだった。同じ歩幅で、同じ間隔をあけて、同じ速さで歩いてくる。
先頭は、小柄な老女だった。
白い髪をきつく結い上げ、背は曲がっていない。杖もついていない。彼女は玉座の手前で止まり、深く、長い礼をした。
残りの六人が、それに合わせて、同じ角度で頭を下げた。
「陛下」
老女が言った。
「潮の司祭団の長、カナンでございます。三十七年、務めております」
オーディルは、答えなかった。
氷の中の目は、動かない。
カナンは、返事を待たなかった。待つ習慣を、とうに捨てているようだった。
「西からのお客人も、いらしておいでとか」
彼女は、ゆっくりと振り返った。
六人を、一人ずつ見た。ゼルヴァーンで一度止まり、リーシェで、もっと長く止まった。
そして、笑った。
悪意のない、柔らかい笑い方だった。
「まあ」
彼女は、両手を胸の前で合わせた。
「西の、半身さま」
「……はい」
「花が咲いたと、港から報せが参りました。生きておいででしたか」
「はい」
「ようございました。本当に、ようございました」
その声には、嘘がなかった。喜んでいる。心から、喜んでいる。
だからこそ、リーシェは、背筋のあたりに冷たいものを感じた。
◇
「陛下。お納めのお願いに、参りました」
カナンが、玉座に向き直った。
そして、後ろへ、軽く手を上げた。
七人の列が、割れた。
その後ろに、もう一人、立っていた。
娘だった。
十六か、十七。白に近い薄い色の衣を、くるぶしまで着ている。髪は長く、まっすぐで、色は淡い金だった。肌が白い。日に当たっていない白さだった。
顔立ちは、整っていた。整いすぎていた。
彼女は、前に進み出た。
歩幅が、司祭たちと同じだった。
玉座の手前で止まり、膝をついた。両手を前に差し出して、掌を上に向けた。
リーシェは、息を呑んだ。
港の像と、同じ形だった。
「半身、セイレ。お納めくださいませ」
声は、澄んでいた。震えていなかった。
オーディルは、答えなかった。
氷が、鳴らなかった。さっきまで、話すたびに鳴っていた城が、この時だけ、完全に黙っていた。
カナンが、静かに言った。
「陛下。この娘は、十六年、育てました」
沈黙。
「海の名を授け、民の名を授け、陛下の名を授けました」
沈黙。
「読み書き、礼、循環の作法、すべて修めております。血は、二百年前の半身候補の家系から採りました。掌に、水を受ける力もございます」
沈黙。
「——陛下」
カナンの声は、それでも柔らかいままだった。
「三十七年、私はこの務めをしております。前の司祭は四十一年。その前は五十年。誰一人、お答えをいただいた者は、おりません」
彼女は、深く息を吸った。
「それでも、お連れいたします。それが、務めでございますので」
オーディルは、何も言わなかった。
膝をついた娘は、掌を上げたまま、動かなかった。
◇
どれくらい経ったか、リーシェにはわからなかった。
長かった。とても、長かった。
最初に動いたのは、アルトだった。
彼は、リーシェの外套から手を離して、二歩、前に出た。それから、はっとして止まった。自分が何をしようとしたのか、自分でもわからない顔をしていた。
リーシェが、その隣に立った。
そして、膝をついた娘の前に、しゃがんだ。
目の高さを、合わせた。
娘が、初めて、視線を上げた。
瞳は、薄い青だった。海の、浅いところの色だった。
「はじめまして」
リーシェが言った。
「はい」
「私は、リーシェと申します」
「はい」
「あなたのお名前を、教えてくださいますか」
「セイレでございます」
「セイレさま」
「はい」
「腕は、疲れませんか」
娘の掌が、わずかに揺れた。
「はい」
リーシェは、少し待った。
「……疲れる、という意味ですか」
「はい」
「疲れない、という意味ですか」
「はい」
リーシェの中で、何かが、静かに沈んだ。
彼女は、もう一度、聞き方を変えた。
「腕を、下ろしてもいいですよ」
「はい」
娘は、腕を下ろさなかった。
「セイレさま」
「はい」
「下ろしたく、ありませんか」
「わたくしの望みは、ございません」
初めて、「はい」以外の言葉が返ってきた。
それは、ためらいのない、暗記した文章の速さだった。
◇
カナンが、後ろから優しく言った。
「半身さま。その子は、そういうふうに育てました」
「……そういうふう」
「望みを持たぬように、と。望みは、苦しみになりますので」
リーシェは、ゆっくり立ち上がって、振り返った。
「苦しみに」
「はい。望んだものが手に入らぬ時、人は苦しみます。ならば、望まぬように育てればよい。三代前の司祭が考えた作法でございます」
「その作法で、育った子は」
「幸せでございますよ」
カナンは、そう言った。
迷いなく、そう言った。
「あの子は、一度も泣いておりません。十六年、一度もでございます。私は、それを誇りに思っております」
ゼルヴァーンが、リーシェの背後に立った。
何も言わなかった。ただ、立っていた。
リーシェは、自分の手が、外套の裾を握りしめているのに気づいた。左手だった。
十七年、何も握らずに握っていた手だった。
彼女は、その手を、開いた。
◇
「カナンさま」
「はい、半身さま」
「その子は、お答えを、いただけていません」
「はい。三十七年、いただいておりません」
「では、どうなさるのですか」
「明日も、お連れいたします」
「明日も」
「明後日も。陛下がお答えくださるまで」
「もし、答えが、ないままでしたら」
カナンは、少し首を傾げた。
その仕草は、孫を見る祖母のように、穏やかだった。
「その時は、次の子を、育てます」
リーシェは、動けなかった。
「セイレは」
「セイレは、務めを終えます」
「終えて、どこへ」
「どこにも参りません」
老女は、微笑んだ。
「捧げられた者は、返されぬのが、作法でございますので」
膝をついたままの娘は、それを聞いても、表情を変えなかった。
掌は、まだ、上を向いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
潮の司祭団と、セイレの登場です。
七人が同じ歩幅で歩き、同じ角度で頭を下げます。長のカナンは、三十七年この務めをしております。
そして、十六年育てた娘を、玉座の前に置いていきます。
セイレは、港の像と同じ形で膝をつきます。掌を上に向けて。
「腕は、疲れませんか」——「はい」
「疲れる、という意味ですか」——「はい」
「疲れない、という意味ですか」——「はい」
望みを持たぬように育てれば、苦しまずに済む。三代前の司祭が考えた作法だそうです。
カナンは、十六年一度も泣かなかったことを、誇りに思っております。
この方は、悪い方ではありません。それが、いちばん手強いところです。
次回、第76話「要る、と言われて」。
第3部第1章、最終話です。
セイレが、十六年を語ります。
リーシェの違和感が、ようやく言葉になります。
——「腕は、疲れませんか」で指が止まった方。どうか、一押しを。
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蒼空ルーシェ




