第67話 夜が、明ける
婚礼の、朝。
二つの月が、両方とも、満月に、なる日。
リーシェが、目を、覚ました時、窓の外は、まだ、暗かった。しかし、二つの満月の、淡い光が、城の屋根を、照らしていた。
千年で、初めての、満月の朝。
彼女は、ベッドから、起き上がった。
左手が、無意識に、心臓の上の、ロケットを、握った。
しかし、すぐに、その手を、開いた。
今日は、何かを、握る必要は、ない。
今日は、ゼルヴァーンの手を、握る日。
◇
大食堂。
六時の朝食。
マリーさんと、料理長が、夜通し、準備していた。蜂蜜のパン。卵料理。果物の山。家族と、招待客の、一部が、共に、いただく、朝食、だった。
「お嬢様」
マリーが、リーシェの席に、お皿を、置いた。
「マリーさん」
「お嬢様の、お好きな、蜂蜜のパンです。今朝、特別に、お作り、いたしました」
パンを、千切った。蜂蜜が、たっぷり、染みていた。
口に、運んだ。
目を、閉じた。
公爵家の、台所の、隅の記憶が、蘇った。マリーが、こっそり、リーシェに、出してくれた、蜂蜜入りの、温かい、ミルクの、味。
その味と、同じ、パン、だった。
「マリーさん」
「ええ」
「ありがとうございます」
「いえ、お嬢様」
「マリーさんの、蜂蜜のパンで、十七年、生きてきました」
「ええ」
「今日も、いただきました」
マリーが、涙を、流した。声を、出して。
「お嬢様、お幸せに」
リーシェも、涙を、流した。
大食堂に、笑い声と、涙が、満ちていた。
◇
午前中。
仕立て部屋。
カルラと、ナディアと、ノエルが、リーシェを、ドレスに、着替えさせていた。
星織りの、布。千年前のお姉さまのために、織られた布。
深い、藍色の生地が、リーシェの体に、沿って、流れた。袖口が、銀に、透けて。スカートが、足首まで、届いて。歩くたびに、星の光が、流れた。
胸元に——白い花の刺繍。リーシェが、月の庭園に、咲かせる花の、刺繍。
お姉さまの、髪飾りを、つけた。銀の、花の形の、髪飾り。
「半身さま」
カルラが、深く、頭を、下げた。
「お姉さま、お悦びに、なられて、おいでです」
「ええ」
ナディアが、姿見の前で、リーシェに、向き合った。
「お嬢様」
「ナディアさん」
「ご立派で、いらっしゃいます」
「ナディアさん、ありがとうございます」
ノエルが、涙を、流していた。
「リーシェ」
「ノエルさん」
「あなたが、私の、お祝いを、いただけて——千年、待っていた、甲斐が、ありました」
「ノエルさん」
「お姉さまの、髪飾りが——あなたに、よく、お似合いに、なって、おられます」
「ええ」
リーシェが、姿見を、見た。
夜空のドレスを、纏った、自分が、立っていた。
王都の式典の夜と、似たような、しかし、もっと、深い、藍色の、ドレス。
あの夜、ゼルヴァーンが、こう、おっしゃった。
「このまま、誰にも、見せたくない」
今日も、たぶん、同じことを、おっしゃるだろう。
リーシェが、わずかに、笑った。
◇
昼下がり。
城の、大広間。
婚礼の、ご準備が、整っていた。
大広間は、千年前から、使われていなかった。停戦調印の夜以降、ゼルヴァーンが、誰にも、開けさせなかった部屋。今日、千年ぶりに、扉が、開かれた。
大広間の中央に、長い、白い絨毯が、敷かれていた。
絨毯の両側に、家族と、招待客の席。
絨毯の、終点に、祭壇。月光石で、できた、白い祭壇。
祭壇の前に——ゼルヴァーンが、立っていた。
黒い礼装。式典の夜と、同じ礼装。しかし、今日は——胸に、白い花が、一輪、付いていた。リーシェが、咲かせた花。
◇
大広間の、入り口で。
リーシェが、深呼吸を、していた。
隣に、アルトが、立っていた。
十二歳の、礼装の少年。家督継承者として、初めての、礼装。
「ねえさま」
「アルト」
「ぼく、ねえさまを、お渡しする、係です」
「うん」
「最後まで、お渡し、できますように」
「うん」
「ねえさま」
「うん」
「お母さまも、お父様も、お見守り、なされて、おられます」
「うん」
「お姉さまも、お母さまも、月の庭園の、花の中に」
「うん」
「ぼくと、ご家族みんなも、ねえさまの、後ろに、います」
「うん」
「では、参りましょう」
◇
大広間の、扉が、開いた。
楽団が、演奏を、始めた。千年前の、停戦調印の夜には、流れなかった、お祝いの曲。
絨毯の両側の、招待客が、立ち上がった。
数百人の目が、扉に、向けられた。
リーシェが、アルトに、腕を、絡めて、入っていった。
夜空のドレスが、絨毯の上で、星の光を、流していた。胸の白い花の刺繍が、月光石の祭壇の光に、反射して、輝いていた。お姉さまの髪飾りが、リーシェの髪の中で、揺れていた。
絨毯の、向こうに——ゼルヴァーンが、立っていた。
目を、見開いていた。
言葉を、失っていた。
千年で、二度目の、「言葉を失った」顔、だった。
デミウルゴが、隣で、眼鏡を、押さえて、笑っていた。
◇
絨毯の、半ばで——リーシェが、家族の席を、見た。
ナディアが、デミウルゴの肩に、頭を、預けて、泣いていた。
ハインツが、隣で、頷いていた。
リューシェと、ノエルが、隣り合って、座って、いた。
クリストフが、王太子としては、見られない顔で、笑っていた。
グランハイド公爵——お父様が、最前列で、泣いていた。声を、出さずに。
ヴァルター長兄と、次兄が、隣で、頭を、下げていた。
マリーさんと、庭師のロッドさんと、洗濯係のエミルが、後ろの席で、目を、潤ませていた。
フィンが、ご隠居の家から、来てくれていた。
すべての家族と、招待客が——リーシェの、千年の旅路を、見守っていた。
絨毯の終点で、アルトが、ゼルヴァーンに、深く、頭を、下げた。
「陛下、ねえさまを、お渡し、いたします」
「ああ」
「お幸せに、して、ください」
「ああ」
アルトが、リーシェの腕を、外して、ゼルヴァーンに、お渡しした。
ゼルヴァーンが、リーシェの手を、取った。
お読みいただきありがとうございます。
婚礼の、朝、で、ございます。
リーシェが、星織りのドレスと、お姉さまの髪飾りで、家族と、招待客の前に、現れました。
アルトが、十二歳の喉で、こう、お渡し、申し上げました。
「陛下、ねえさまを、お渡し、いたします」
そして、ゼルヴァーンが、リーシェの手を、取りました。
次回、第68話「婚礼」。
千年遅れの、婚礼の儀式が、執り行われます。
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蒼空ルーシェ




