第55話 千年前の僕
リーシェが、長く、答えなかった。
「ノエルさん」
「うん」
「私は、選びません」
「あなたを、消すか、お姉さまの魂を、千年置くか——」
「選びません」
「では、どうするの」
「三つ目の道を、探します」
ノエルが、ふ、と、笑った。
「あなた、お姉さまと、似ているわ」
「お姉さまも、選びませんでしたか」
「ええ。だから、消えた」
「私は、消えません」
「では——」
「ゼルヴァーンさま、お願いがあります」
「ああ」
「千年前の、ご自身と、お話、できますか」
ゼルヴァーンが、リーシェを、見た。
「千年前の、僕」
「はい。この祭壇には、千年前の、ご記憶が、刻まれています。壁画に。そして——あなた、ご自身の中にも」
「ああ」
「千年前の、あなたに——お聞きしたいことが、あります」
◇
ゼルヴァーンが、月光の下で、目を、閉じた。
千年閉じていた、記憶の扉を——もう一度、開けた。
千年前の、停戦調印の夜。
月光の祭壇。
ローシェの隣で。
千年前の、自分が、立っていた。
その時の、自分の、心の動きを、千年ぶりに、見つめた。
「リーシェ」
「はい」
「千年前の、僕は——ローシェが、消えるのを、止めようと、しなかった」
「ええ」
「止められた、はずだった。ローシェは、僕の半身、だった。僕が、止めれば、彼女は、力を、放たずに、すんだ」
「ええ」
「でも、僕は——彼女が、世界のために、力を、放つのを、見送った」
「なぜ、ですか」
「彼女が、それを、望んでいた、と、信じていたから」
「ええ」
「しかし、今、わかる」
ゼルヴァーンの目から、涙が、一粒、落ちた。
「彼女は——揺らがれていた」
「ええ」
「揺らがれているのに、僕は——気づかなかった」
「ええ」
「ナディアの嘘、だけでは、ない。僕も、彼女を、揺らがせて、いた」
「ええ」
「『半身だから、世界に尽くすのが、当然だ』、という、ご期待を、ローシェに、押し付けて、いた」
「ええ」
「僕は、彼女を、女性としてではなく、半身として、千年、過ごして、いた」
ゼルヴァーンが、目を、開けた。
「リーシェ」
「はい」
「僕は、千年前の自分を、許せない」
「ええ」
「しかし——千年前の自分が、いたから、今の僕が、いる」
「ええ」
「今の僕は——君を、半身としてだけ、見ない」
「ええ」
「女性として、家族として、隣に、立つ、人として、見る」
「ええ」
「ローシェには、できなかった、ことを、君には、している」
「ええ」
ゼルヴァーンが、リーシェの方を、見た。
「千年前の、僕に——もう、振り返らない」
「ええ」
「今の僕として、ここに、立つ」
◇
ノエルが、ローシェの絵を、見上げて、聞いていた。
「ゼルヴァーン陛下」
「ノエル」
「あなたも——お姉さまに、千年、お謝りに、なりたい、と、お思いに、なって、おられた」
「ああ」
「お姉さまに、女性として、向き合えなかったこと」
「ああ」
「では、私と、同じ、ですね」
「同じ、ではない」
「えっ」
「お前は、ねたみで、ローシェを、消した。僕は、無関心で、ローシェを、揺らがせた。罪の形は、違う」
「ええ」
「しかし、ローシェに、お謝りしたい、気持ちは、同じだ」
「ええ」
「ノエル」
「ええ」
「お前と、一緒に、お謝りしたい」
「私と、ですか」
「ああ」
「では、私たち——お姉さまを、揺らがせた、二人で」
「ああ」
ゼルヴァーンと、ノエルが、二人で、ローシェの絵に、向かって、頭を、下げた。
千年の、二人の罪が、絵の前で、ようやく、頭を、下げた。
絵の中のローシェが——もう一度、頷いた。
◇
「ローシェ」
ゼルヴァーンが、絵に、語りかけた。
「君は、僕に——千年前、こう、おっしゃった」
「『次の半身を、お待ちください。揺らいでも、消えない、お方を』」
「ええ」
「君の言葉、千年、守った」
「ええ」
「そして、リーシェに、お会いした」
「ええ」
「今度こそ——揺らがせない」
「ええ」
「いや」
「ええ」
「揺らがせるかも、しれない。でも——揺らがれても、隣に、立つ」
「ええ」
「君のように、消させない」
絵の中のローシェが——今度こそ、はっきりと、笑った。
◇
ノエルが、振り返った。
「リーシェ」
「ノエルさん」
「私は——」
「ええ」
「あなたを、収穫する、つもりが、なくなりました」
「ええ」
「お姉さまの魂を、解放したい。しかし、私が、消えるのは、まだ、怖い」
「ええ」
「あなたが、三つ目の道を、探す、と、おっしゃいました」
「ええ」
「ぜひ、探して、ください」
「ええ」
ノエルの輪郭が、もう一段、薄くなった。
黒の体が、月光に、溶けて、半分、白くなっていた。
「リーシェ」
「ええ」
「明朝まで——時間を、ください」
「明朝、ですか」
「ええ。私が、千年、お姉さまの魂を、抱えてきました。一夜、考えさせて、ください」
「もちろんです」
◇
月光が、祭壇の間を、照らしていた。
ローシェの絵が、月光の下で、笑っていた。
ノエルが、絵の前に、戻って、座った。
いつもの、姿勢で。
しかし、今夜は、ねたみの目では、なかった。
お姉さまを、お慕いする目で。
「お姉さま」
「ええ」
「明朝まで、お側に、いさせて、いただきます」
「ええ」
◇
リーシェと、ゼルヴァーンが、祭壇の間を、出た。
奥の小部屋から、廊下を、戻った。家族の、待つ、祭壇の間に、戻ろうとした。
しかし、廊下の途中で——ゼルヴァーンが、足を、止めた。
「リーシェ」
「はい」
「明朝まで、時間が、ある」
「はい」
「君と、一緒に、月光の下で、過ごしたい」
「はい」
「祭壇の上に、行こう。月光が、降りる、地上の入り口に」
「はい」
二人は、廊下を、抜けて、月光の下に、向かった。
今宵、二人は——千年前と、違う夜を、過ごす。
お読みいただきありがとうございます。
ゼルヴァーンが、千年前の自分と、向き合いました。
「千年前の自分に、もう、振り返らない」
そしてノエルと、ゼルヴァーンが、二人で、お姉さまの絵に、お謝りに、なりました。
千年の、二人の罪が、絵の前で、ようやく、頭を、下げました。
ノエルは、明朝まで、考える、時間を、お求めに、なりました。
リーシェと、ゼルヴァーンは、月光の下で、一夜を、過ごす、ことに、なります。
次回、第56話「接吻」。
嵐の前の、月光の下で、二人は——千年で、初めての、距離に、たどり着きます。
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