第53話 ローシェの絵
黒い扉を、開けた。
奥の、小さな、円形の部屋。
灯りは、自分たちの灯りだけ。しかし、部屋の中央に——もう一つの、光が、あった。
淡い、青白い、光。
光の、源は——天井から、降りてくる、月光だった。地下なのに、天井に、穴が、開いていて、地上の月の光が、まっすぐに、降りていた。
月光が、降りた、その場所に——
一つの、絵が、立っていた。
絵、と、いうより——板に描かれた肖像画。
千年前の、ローシェ。
千年前のローシェが、こちらを、見て、笑っていた。
「お姉さま——」
リーシェが、息を、呑んだ。
絵の中の、ローシェは——昨夜、夢で、会った時と、まったく、同じ顔、だった。
◇
絵の、足元に。
黒い、影が、座っていた。
リーシェの輪郭をした、影。無名の女王。
彼女は、絵を、見上げていた。
千年、ここで、絵を、見上げていた、姿勢、で。
「いらっしゃい」
影が、口を、開いた。
今夜の声は——夢の中の声と、違って、聞こえた。
もっと、若い。
子供のような、声。
「リーシェ・グランハイド」
「無名の女王、さん」
影が、笑った。
「私の名前ね、もう、付けてくれるの?」
「付けても、いいですか」
「考えても、いい」
「では——」
リーシェが、しばらく、考えた。
「ノエル、はいかがですか」
「ノエル」
「ええ。古代魔族の言葉で——『私は、ここにいる』、と、いう意味です」
「私が——ここに、いる」
「ええ」
影が、長く、答えなかった。
月光の下で。
「ノエル」
影が、自分の名前を、囁いた。
「ノエル、私の、名前」
「気に、入りましたか」
「……」
「気に、入らなかったら、別の名前を」
「いえ」
「ノエル」
「これで、いいわ」
◇
「ノエルさん」
「うん」
「お姉さまの、絵を、千年、見ておられたんですか」
「ええ」
「なぜ」
「私の、ねたみの、対象だった人だから」
「ねたみ」
「ええ。私は、選ばれなかった。お姉さまは、選ばれた。同じ家、同じ髪、同じ目。なのに——私は、要らないと言われ、お姉さまは、世界に、必要とされた」
「ノエルさん」
「私は、お姉さまを、ねたんだ。憎んだ。千年、憎んだ」
「それで」
「お姉さまを、消した、その後、私は——お姉さまの絵を、千年、見ていた」
「なぜ、絵を」
「お姉さまが、いなくなった、世界が、どんな世界だったか——確かめるために」
リーシェの息が、止まった。
「ノエルさん」
「うん」
「世界は、どうでしたか」
「枯れていた」
「ええ」
「私が、お姉さまを、消したことで、世界の循環が、止まった。花は咲かず、泉は涸れ、子供たちは、痩せた」
「ええ」
「千年、私は——お姉さまを、消したことを、後悔、していたのよ」
リーシェの目から、涙が、一粒、落ちた。
「ノエルさん」
「ええ」
「あなたは、お姉さまを、ねたんで、消した。後悔しても、認められない、と、千年、思っていたんですね」
「ええ」
「だから、私を、収穫しようとした」
「ええ」
「収穫すれば、お姉さまを、消した、私のせいでは、ない、と、思える、から」
「ええ」
「自分の罪を、認めなくて、すむから」
「ええ」
「ノエルさん」
「うん」
「お父様と、同じ、ですね」
影の輪郭が、揺れた。
◇
「お父様」
「私の、お父様、グランハイド公爵、です」
「うん」
「お父様も、お母さまを、要らない、と言い続けて、その罪を、認めないために、私を、要らない、と言い続けました」
「ええ」
「あなたも、お姉さまを、消した罪を、認めないために、千年、半身を、収穫しようと、してきた」
「ええ」
「お父様は、十七年で、ご自分の罪を、認められました」
「えっ」
「あなたも——千年で、認められませんか」
影が、長く、答えなかった。
月光が、ローシェの絵を、照らしていた。
「ノエルさん」
「うん」
「お姉さまの絵を、見上げる、その目で——お姉さまに、お謝り、いたしませんか」
「謝る」
「ええ」
「お姉さまは、もう、聞けない」
「聞けないけど、絵が、聞いてくれます」
「絵が」
「ええ」
「絵に、謝るの」
「ええ」
影が、立ち上がった。月光の中で、ゆっくり、立ち上がった。
ローシェの絵の前で。
長く、見上げた。
それから——絵に向かって、両手を、合わせた。
「お姉さま」
影の声が、震えた。
「お姉さま、ごめんなさい」
影の輪郭から、わずかに——黒が、薄まった。
「お姉さまを、ねたんで、消して、ごめんなさい」
「お姉さま、世界を、枯らして、ごめんなさい」
「お姉さま、千年、ずっと、ねたんで、ごめんなさい」
影の体から、淡い、白い光が、漏れ始めた。
千年前の、ローシェの絵が——絵の中で、笑った。
千年動かなかった絵が、わずかに、口元を、緩めた。
お読みいただきありがとうございます。
無名の女王に、名前が、付きました。
「ノエル——私は、ここにいる」
そして、ノエルさんが、千年、ねたんだ、お姉さまの絵に、初めて、お謝り、申し上げました。
「お姉さま、ごめんなさい」
影の輪郭から、わずかに、黒が、薄まりました。
しかし——お話は、まだ、続きます。
ノエルさんが、なぜ、消えずに、千年も、生き延びたのか。
本当の理由が、次話で、明かされます。
次回、第54話「触れて、と言いました」。
リューシェが、お姉さまの、最期に、見た、本当のことを——お話しいたします。
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