第52話 母上
祭壇の、壁画。
千年前の絵が、続いていた。
ハインツが、灯りを、別の壁面に、向けた。
そこには——王宮らしき、建物が、描かれていた。
「これは、王宮ですか」
「左様で、ございます。十五年前の、王宮、で、ございます」
クリストフの息が、止まった。
「十五年前」
「殿下のお母さまが、お亡くなりに、なられた、年」
壁画の、王宮の、奥に——女性が、描かれていた。
金髪の、若い女性。
クリストフが、足を、止めた。
「これは——」
「お母さま、で、ございます」
クリストフの手が、震えた。
「母上が、なぜ、千年前の壁画に」
「千年前の壁画では、ございません」
「では」
「祭壇は、生きております。無名の女王の、肉体です。壁画は、彼女の、記憶を、写したもので、ございます」
「記憶」
「ええ。無名の女王が、収穫した、半身の血を、持つ女性の、最期の記憶を、すべて、壁に、写しているのでございます」
クリストフが、母の絵に、近づいた。
絵の中の母は——夜の森に、立っていた。
月光の下で。
穏やかに、立っていた。彼女の、目の前に——黒い、影が、立っていた。リーシェの輪郭をした、影。無名の女王。
二人は、向かい合って、いた。
「母上」
「殿下、お母さまの、最期の、ご様子です」
「母は——」
「収穫される、その瞬間、まで」
クリストフの目から、涙が、ぼろぼろ、落ちた。
「母上、お一人で」
「いいえ」
ハインツが、首を、振った。
「絵の、母上の手元を、よくご覧、ください」
クリストフが、灯りを、近づけた。
絵の中の母は——両手で、何かを、握っていた。
小さな、銀のロケット。
「これは——」
「お母さまの、ロケット、で、ございます。今、殿下が、お持ちの」
「母上が、最期に、ロケットを、握っていた」
「左様で、ございます」
「中には——」
「お母さま、ご自身では、ございません」
「では」
「殿下の、肖像、で、ございました」
クリストフの息が、止まった。
◇
ハインツが、続けた。
「お母さまは、最期に、ロケットを、開けて、殿下のお顔を、ご覧に、なっておられました。私は、十年、古文書を、解読する間に——お母さまの、最期の記録を、見つけました」
「お母さまの、記録」
「ええ。お母さまは、収穫される、その夜、こう、おっしゃいました。『私は、私の息子に、半身の血を、隠さない世界を、残したい。だから——私は、消える。私が、消えれば、私の息子は、私の罪を、引き継がない』」
「母上は——私のために、消えた」
「左様で、ございます」
クリストフが、両手で、顔を、覆った。
長く、応接間ではないが、静まった。
◇
「殿下」
リーシェが、彼の隣に、立った。
「クリストフ様」
「リーシェさん」
「お母さまは、ご自分のために、消えたのではなく、殿下のために、消えました」
「はい」
「では——殿下が、なさるべきことは」
「母を、責めることでも、私を、責めることでも、ない」
「ええ」
「母の、想いを、引き継いで、半身の血を、隠さない世界を、作ること」
「ええ」
「リーシェさん」
「はい」
「私は——昨日、グランハイドの議論で、半身の血を、引く子供たちの教育を、王家が、支援する、と、申し上げました」
「ええ」
「あれは、母の、最期の想いの、続きだったのですね」
「ええ」
「私は、知らずに、母の想いを、続けて、いた」
「ええ」
クリストフの目から、また、涙が、落ちた。
「母上——」
「殿下」
「私は、母を、ようやく、解放できました」
「ええ」
◇
「では」
リーシェが、振り返った。
「無名の女王さんの、ところに、行きます」
祭壇の、奥に、黒い、扉が、あった。壁画の、終わりの場所。
「あの扉の、向こうに——」
「無名の女王の、本体が、ございます」
「行きます」
「お嬢様、お一人で——」
「ええ」
「では、私は——」
「ゼルヴァーンさま、お一人だけ、ついてきて、ください」
ゼルヴァーンが、頷いた。
「他の、皆さまは、ここで」
「お嬢様」
リューシェが、口を、開いた。
「私は、千年、お姉さまの、仇を、追って、参りました。最期くらい、お側に——」
「リューシェさま」
「ええ」
「お姉さまは、お姉さまで、休んで、おられます。あなたは、ここに、いて、ください」
「お嬢様」
「あなたの千年は、ここから、です」
リューシェが、長く、考えた。頷いた。
「承知、いたしました」
ナディアと、フィンも、頷いた。
デミウルゴが、眼鏡を、直した。
「半身さま」
「はい」
「私は、千年お仕えしておりますが——お嬢様の、ご決断を、信じます」
「ありがとうございます」
ハインツも。
「殿下、私は、こちらに、残らせていただいて、よろしいでしょうか」
「ああ」
クリストフが、頷いた。
「リーシェさん。母の想いを、半身さまに、お任せ、いたします」
「ええ」
アルトが、最後に。
「ねえさま」
「アルト」
「ぼく、ここで、待ってます。ねえさまが、戻ってこなかったら——ぼく、ねえさまを、迎えに、行きます」
リーシェが、しゃがんだ。
「アルト、迎えに、来てくれる?」
「うん」
「ありがとう」
リーシェが、立ち上がった。
ゼルヴァーンの手を、握った。
「行きましょう」
「ああ」
二人が、黒い扉に、向かって、歩いていった。
お読みいただきありがとうございます。
クリストフが、母の最期を、知りました。
母は——息子のために、消えていました。
ロケットの中に、息子の肖像を、握って。
クリストフの戦いは、ようやく、終わりました。
母の想いの、続きを、生きるだけに、なりました。
そして——リーシェと、ゼルヴァーンが、無名の女王の、本体のもとへ、向かいます。
家族の皆は、祭壇の間で、待ちます。
アルトが、こう、申し出ました。
「ねえさまが、戻ってこなかったら、ぼく、迎えに、行きます」
次回、第53話「ローシェの絵」。
祭壇の、奥の扉の向こうに——千年前の、お姉さまの、最後の絵が、ございます。
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