第46話 最後の正門
夜明け前。馬車が、グランハイド領へ向かっていた。
リーシェ、ゼルヴァーン、アルト、ナディアの四人。クリストフは、王太子の立場で、後から別の馬車で合流する予定だった。
リーシェは、窓の外を見ていた。十七年、住んでいた領地の景色。
子供の頃、馬車に乗せてもらえた記憶は、ほとんどない。馬車は、家族のものだった。リーシェは、家族ではなかったから。
今、彼女は、家族の馬車の中に座っている。
ただし、その家族は――魔王城の家族だった。
◇
グランハイド公爵邸。馬車が、邸の前で止まった。
正門が、開いていた。
大きな、両開きの、白い門。リーシェが十七年、一度も通ったことのない、正門。
いつも、裏口だった。第一話の朝も、裏口だった。馬車さえ、裏口の脇に停められていた。
しかし今朝は――正門が、開いていた。
リーシェのために。
馬車が、正門をくぐり、玄関前で止まった。
「ねえさま」
アルトが、リーシェの手を握った。
「うん」
「ぼくも、初めて、正門から、入ります」
「アルト」
「家族のための、門、だから。だから、ぼくも、家族として、入ります」
リーシェが、微笑んだ。
「行こう」
◇
馬車を降りた。
玄関に、人が立っていた。
白髪の、痩せた男。背筋は伸ばしていた。しかし、リーシェが最後に見た時より、明らかに年老いていた。
グランハイド公爵――リーシェの、父。
彼の前で、リーシェは、立ち止まった。
目が、合った。
父の目から、涙が、一粒、落ちた。
「……リーシェ」
父が、名前を呼んだ。
十七年で、初めて。お前、でも、末の娘、でもなく。リーシェ、と。
「お父様」
リーシェが、答えた。答えてから、自然に「お父様」と呼んだ自分に、驚いた。
父が、首を振った。
「いや。お父様、と呼ばなくていい。お前は、もう、私の娘では――」
「お父様」
リーシェは、もう一度、呼んだ。
「私は、もう、振り回されません。けれど――今日は、お母さまのお話を、聞きに来ました。だから今日だけ、お父様、と呼ばせてください」
父の目から、涙が、止まらなかった。
「リーシェ。中へ、入ってくれ」
「はい」
◇
応接間。リーシェが十七年、一度も入ったことのなかった、家族の応接間。
父が、自分でお茶を注いだ。使用人を、呼ばなかった。
千年前、お姉さまの夫が、自らそうしたのと、同じように。
「お前の母の、話をしよう」
父が、口を開いた。
「お前の母――アリエル・フォン・グランハイドは、貴族の出だが、半身の血を持っていた。彼女自身、子供の頃は、それを知らなかった。隠されて、育てられた」
「お母さまも、隠されていた」
「ああ。私と結婚したのは、互いの家の利害だった。最初は、愛していた、わけではなかった。だが――結婚して二年で、私は、彼女を愛するようになった。穏やかで、優しくて――」
父の声が、震えた。
「彼女が、半身の血のことを打ち明けたのは、結婚して五年目のことだった」
「お父様は――」
「私は、初めて、彼女を、要らない、と言った」
父が、目を伏せた。
「私は、グランハイド公爵だ。半身の血を持つ妻を迎えていた、と知れたら、家の名に傷がつく。私は、家を選んだ。妻を、選ばなかった」
「お母さまは――」
「彼女は、何度も、私を許そうとした。しかし私は、許される度に、もう一度、彼女を、要らない、と言った」
「お父様」
「最後に、彼女が要らないと言われたのは――お前を、産んだ夜だ」
リーシェの息が、止まった。
「私が、生まれた、夜――」
「ああ。お前を産んで、彼女は、私にこう言った。『この子は、私のような子になります。半身の血を、持つ子に』。私は、答えた。『そんな子は、要らぬ』」
応接間が、静まった。リーシェが、目を伏せた。
父が、続けた。
「お前の母は、その夜、お前を抱きしめて、こう言った。『あなたは、要らないと言われる子になる。けれど、いつか――あなたを、必要だ、と言う人が、必ず現れる。だから、それまで、生きてね』」
「お母さま――」
「彼女は、お前を、私に託さなかった。お前を抱きしめて、お部屋に戻られた。そして翌年、亡くなった。半身の血の力を、最後まで使い切られた、と――フィンが申していた」
「お母さまも、力を、使い切られて」
「ああ。お前を産むために、使い切られたのだ」
リーシェの目から、涙が、ぼろぼろ落ちた。
◇
「お父様。私が生まれたから――お母さまは、亡くなった」
「ああ」
「では、お父様が、私を、要らない、と言い続けたのは――」
「お前を見ると、彼女を、思い出すからだ」
父の声が、震えた。
「お前は、彼女に似ている。目も、髪も、笑い方も。お前を見ると、私が彼女を要らないと言い続けた、十六年が、蘇る。お前がいれば――彼女は、まだ、いる。お前がいる限り、私は、彼女に、罪を、認めなければならない」
父が、両手で顔を覆った。
「私は、お前を、要らない、と言い続けた。私が、自分の罪を、認めないために」
「お父様」
「お前を、馬車に乗せた、あの朝も。私は――」
「『お前で、ちょうどよかった』」
リーシェが、静かに、その言葉を、繰り返した。
「ああ」
「あれは――私を、捨てる言葉、ではありませんでした」
「えっ」
「お父様、ご自身を、捨てる言葉、だったのですね」
父の顔から、両手が、外れた。
「リーシェ――」
「お父様は、私を要らないと言うことで、ご自分を、罰してこられた。十七年、ずっと」
「ああ」
「お父様。もう――ご自分を、罰さないで、ください」
父の目から、涙が、ぼろぼろ落ちた。長く。何も、言えずに。
お読みいただきありがとうございます。
「お前で、ちょうどよかった」。それは、リーシェを捨てる言葉ではなく――お父様ご自身を、捨てる言葉でした。
お母さまは、リーシェを産むために、半身の力を使い切られて、亡くなりました。「いつか、あなたを必要だと言う人が、必ず現れる」。その想いを、リーシェに残して。
リーシェは、お母さまの想いの続きを、生きていました。お姉さまの想いの続きと、同じように。
次回、第47話「ちょうどよかった」。第一話の、対の場面です。リーシェが、十七年越しのお返事を、お父様に申し上げます。




