第44話 クリストフ、来訪
第2部第3章「公爵家の決算」、開幕。三日後、王太子が、味方として魔王城の門をくぐります。
白と金の馬車が、魔王城の門前に止まった。
前回のような、軽装の単独訪問ではない。従者が十人、儀仗兵が五人。胸に王家の紋章を掲げた、公的な訪問だった。
馬車から、クリストフが降りた。白い礼装。前に会った時よりも、目の下に、薄く隈があった。
「ゼルヴァーン陛下。半身さま」
彼が、深く一礼した。
「お招きいただき、感謝申し上げます」
ゼルヴァーンが頷いた。
「クリストフ殿下。よく来てくれた」
「殿下」と、リーシェも頭を下げた。「お話、お伺いします」
◇
応接間。
六人の家族と、クリストフ、ハインツが、向かい合った。
ハインツが、自分の主の前に立つのは、独断で離反して以来、初めてのことだった。指のインクの染みた手を、膝の上で、固く握っていた。
「ハインツ」
クリストフが、彼を見た。
「は――」
「お前、よく、ここにいてくれたな」
「殿下」
「責めるつもりはない。むしろ、感謝している」
「殿下、それは――」
「お前が、ここにいて、半身さまにお話し申し上げたから、私は今日、こうして、ここへ来られた」
応接間の空気が、変わった。
ハインツが、深く頭を下げた。
「殿下。ありがとうございます」
「お前は、もう、私の影ではない。家族のような、何かだ」
◇
「では、本題に入らせていただきます」
クリストフが、書類をテーブルに置いた。
「停戦条約の改定議題として――グランハイド公爵家の処遇について、議論をいたしたく」
「処遇」
「具体的には、三つ。一つ、公爵家の家督継承。二つ、公爵領の統治責任。三つ、半身さまの、ご出自としての扱い」
「ご出自」
「ええ。千年に一度の半身さまを輩出した家として、グランハイド領を、特別、保護下に置く案でございます」
「保護下、というのは」
「王家の、直轄」
応接間が、静まった。
「リーシェ」
ゼルヴァーンが、口を開いた。
「君の意見は」
「待ってください」
リーシェが、首を振った。
「先に、お聞きしたいことが、あります。殿下」
「はい」
「お母さまの、ことです」
クリストフの目が、わずかに見開かれた。
「お母さま」
「ハインツさんから、お話を伺いました」
クリストフが、隣の男を見た。
ハインツが、深く頭を下げた。
「申し訳ございません、殿下。半身さまに、お母さまのことを、お伝えいたしました。――お母さまが収穫されたとき、ご自分の半身の血を、お認めになられたこと。最後に『私は、もう、要らない、と、言われたくない』と、おっしゃったこと」
クリストフの呼吸が、止まった。
◇
長い、沈黙。
クリストフが、両手で顔を押さえた。
「母上――」
声が、震えた。
「母上は、要らない、と、言われていたのですか」
「殿下」
ハインツが、口を開いた。
「お母さまは、前国王陛下と、長年、ご不和でございました。半身の血を隠して、ご結婚なさいました。それを陛下が後にお知りになり――」
「父上が、母上を、要らない、と」
「左様でございます」
「私が、まだ八歳の時か」
「ええ」
「だから母上は、あの夜、自ら、夜の森へ出ていかれた」
「収穫を、ご自分で、迎えに行かれた。そう申し上げても、過言ではございません」
クリストフの目から、涙が、ぼろぼろ落ちた。王太子の礼装を纏ったまま。応接間の床に、雫が染みた。
「母上は――要らない、と言われたまま、消えたのですか」
「いいえ、殿下」
ハインツが、首を振った。
「お母さまは、最後に、お認めになりました。ご自分を。『私は、半身の血を持つ、女性です』と、ご自分のお声で」
クリストフの、両手が、震えた。
「母上は――ご自分で、ご自分を、お認めになって、消えたのですか」
「ええ」
「私は、知らなかった。十五年、母上を、奪われた、被害者としか、思っていなかった。それが――」
「殿下」
「母上は、ご自分の最後の夜に、ご自分を、お救いになったのですね」
「左様でございます」
クリストフが、両手で、顔を覆った。長く。
◇
リーシェが、椅子から立ち上がった。
クリストフの前に歩き、その前に、しゃがんだ。
「殿下。お母さまは、最期に、お救いになりました。だから、もう――殿下が、お母さまの代わりに、お救いになる必要は、ないんです」
クリストフの目が、リーシェを見た。
「私が、母の代わりに」
「ええ。殿下は、お母さまを救えなかった、と思って、半身を求めておられました。でも、お母さまは、もう、お一人で、救われておられました」
クリストフの目から、また涙が落ちた。
「私は、十五年、間違っていたのですか」
「間違っていた、のではありません」
「では」
「お母さまの想いを、引き継いで、おられました。お母さまは、最後に、ご自分の血を、認められた。半身の血を、要らない、と言わせない、と。殿下は、その想いを、十五年、ご自分で、引き継いで、こられたのです」
クリストフが、長く、リーシェを見た。そして、頷いた。
「私は――母の、想いの、続き、だった」
「ええ」
「半身を、要らない、と、言わせない、想いの」
「ええ」
クリストフが、目を閉じた。長く。それから、両手を、膝に下ろした。
「半身さま。ありがとうございます。これで――私は、母の前で、ようやく、母の息子に、戻れます」
彼が、立ち上がった。
「グランハイド公爵家の処遇は、後日に、いたしましょう。今日は、母のことで、頭が、いっぱいでございます」
「もちろんです」
「明朝、もう一度、ご相談を」
「お待ちしております」
◇
夜。
クリストフは、城の客室の窓辺で、母のロケットを開いていた。中の肖像が、月光に照らされている。
「母上」
彼が、囁いた。
「私は、母上を、救えませんでした。けれど――母上は、お一人で、お救いになって、いらしたのですね」
月光が、肖像を、優しく照らしていた。
クリストフが、ロケットを握った。
今夜は、長く握らなかった。ただ、軽く握って、閉じた。そして、机の上に置いた。
握り続ける必要は、もう、なかった。
お読みいただきありがとうございます。
クリストフが、母の最期の真相を、知りました。十五年、母の代わりに戦ってきた王太子が、今夜、母を、解放しました。そして、ロケットを長く握らずに、机の上に置きました。
彼の戦いは――もう、復讐ではなくなりました。
次回、第45話「父からの手紙」。明朝の議論を前に、グランハイド公爵から、リーシェに、十七年ぶりの、本物の手紙が届きます。




