第43話 王都からの使者
今朝の大食堂には、空席が、一つもなかった。
リューシェが自分の席で紅茶を飲み、アルトが隣で蜂蜜菓子を頬張っていた。ゼルヴァーンとリーシェが向かい合い、ナディアとデミウルゴが、フィンに椅子を譲ろうとしていた。
「フィン、座れ」
「いえ、私は、立っております」
「家族なら、座れ」
「畏れ多い、ことで――」
「フィン」
リューシェが、口を開いた。
「お座りになってください。お姉さまの侍女頭は、もう、お役目ではなく、家族でございます」
フィンが、長く迷った。それから、頭を下げて、椅子に座った。
「失礼、いたします」
◇
「ねえさま。ねえさまは、お姉さまに、お会いしたんですよね。ぼくの辞書、役に立ちましたか」
「とても」
アルトが、ほっ、と息を吐いた。
「よかった」
「アルト。ありがとう」
「えへへ」
ゼルヴァーンが、アルトを見て、口を開いた。
「アルト。君に、報酬をやる」
「は、はいっ。ほ、報酬っ」
「蜂蜜菓子を、君の分だけ、五個に増やす」
「ご、五個っ!」
「リーシェ。これは、僕が決めた」
「では、私の分から、一個、回します」
「いや、僕の分から、回す」
「ゼルヴァーンさま、もう、五個では」
「四個に、減らす」
「お一人で減らされるなら、いいんですけど、また、デミウルゴさんに、怒られませんか」
「数えるな」
「ただいま、記録しております」
「やめろ」
「お祝いの、記録でございます」
大食堂に、笑い声が満ちた。穏やかな、朝だった。
◇
その朝食が、終わる頃。
デミウルゴが、一通の書状を持って、入ってきた。
「陛下」
いつもの、皮肉の声では、なかった。
「公的な書状が、届いております。クリストフ殿下より」
「内容は」
「停戦条約の改定議題として、魔王城の公式訪問を、申し入れておられます」
応接間が、静まった。
「議題は」
「グランハイド公爵家の、処遇について」
リーシェの手が、止まった。フォークを、持ったまま。
「私の、家の」
「ええ。半身さまの、ご意見を伺いたく、と」
ゼルヴァーンが、書状を受け取って、読んだ。リーシェに、差し出した。
リーシェが、長く、考えた。
左手が、無意識に、ロケットを握っていた。しかし、すぐに、その手を離した。代わりに、ゼルヴァーンの手を握った。
「行きます。私の意志で、行きます」
「リーシェ」
「公爵家のことは、もう振り回されたくない、と、十七年、思ってきました。でも、今、振り回されない私が、決めるなら――ちゃんと、決めたいです。公爵家を、どうするか。アルトの未来を、どうするか。父と、兄を、どうするか」
アルトが、口を開いた。
「ねえさまっ。ぼくも、行きます。ぼくも、グランハイド、です。ぼくの家、です。ぼくも、決めなきゃ、いけないと思います」
リーシェが、深く頷いた。
「ありがとう、アルト」
◇
「クリストフは、いつ来る」
「三日後でございます」
「随分、急だな」
「公的な訪問の、最短期間です。クリストフ殿下も、急いでおられるのかもしれません」
「無名の女王、か」
「あるいは」
ナディアが、口を開いた。
「殿下のお母さまのことが、関係しているのかもしれません。殿下が無名の女王と対峙されるとき、お母さまの復讐心が、邪魔をなさるかもしれません。そのお気持ちを、リーシェさまにお聞きいただきたい、というのが、本心かも」
「殿下が、私に」
「ええ」
リーシェが、頷いた。
「お話、お伺いします」
◇
ハインツが、書状を見つめていた。彼の両手の指のインクは、今朝も、黒く染まっていた。
「ハインツさん。クリストフ殿下と、お話、できますか」
「私が書庫から持ち出した、古文書の続きの巻を、お渡しいたします。殿下が、まだご存じない内容が、ございます。お母さまの、本当の最期について」
応接間が、静まった。
「お母さまの――」
「殿下のお母さまは、半身の血を持っておられました。無名の女王に、収穫されました。しかし、お母さまは、収穫されながら、こうおっしゃったのです」
ハインツの声が、震えた。
「『私は、もう、要らない、と、言われたくない』」
「要らない、と」
「お母さまは、前国王と、確執がございました。半身の血を持つ女性は、当時の宮廷で、忌避されておりました。お母さまは、その血を隠して、ご結婚され、隠したまま、過ごされておりました。それが、収穫されたとき――ご自分の存在を、初めて、お認めになりました。『私は、半身の血を持つ、女性です』、と。ご自分のお声で」
応接間が、静まった。
「クリストフ殿下は、それを、ご存じない」
「ええ」
リーシェが、立ち上がった。
「私が、お伝えします。私の、意志で」
◇
夜。月の庭園。
リーシェが、十二輪の黒い花の前に立っていた。
中央の白い花は、まだ咲いていた。盟約の夜の花。そして、その隣に、もう一輪、白い花が咲いていた。
昨夜の夢の、お姉さまの光が、降りた場所だった。
リーシェの心臓の上で、ロケットが揺れた。
「お姉さま。あなたから、お任せいただきました。私の千年を、これから、生きます」
風が吹いた。月の庭園の花が、揺れた。
白い花が、二輪。盟約と、お姉さまの再会の、印。
その隣の、十二輪の黒い花は、色が、少しだけ薄くなっていた。昨夜の、ローシェさまの光に、触れて。
無名の女王の心が、少し、揺らいだのかもしれない。
三日後、王都から、使者が来る。クリストフが、公的に、魔王城を訪れる。
今度は――味方として。
第2部第2章「揺らぐ夜」 了。
お読みいただきありがとうございます。第2部第2章「揺らぐ夜」、完結です。
リューシェさまが目を覚まされ、家族の食卓にお戻りになりました。お姉さまが、リーシェに、ゼルヴァーンさまをお任せくださいました。そして、無名の女王の、子供のような声が聞こえました。
三日後、クリストフ殿下が、公式に魔王城を訪問されます。議題は――グランハイド公爵家の、処遇。リーシェが、自分の意志で、自分の家の未来を決めることになります。
次回、第44話。第2部第3章「公爵家の決算」、開幕。十七年、振り回された家への、リーシェの答え合わせの章です。
そして第47話、第1話の対の場面が訪れます。「お前で、ちょうどよかった」と言われた少女が――父から、なんと呼ばれるのか。
花は、嵐でも、咲きます。
揺らいでも、咲き続けます。




