第32話 血筋
朝。
リーシェが目を覚ますと、扉の外で、小さな寝息が聞こえた。
扉を、開けた。
アルトが、廊下に、毛布にくるまって座っていた。眠っていた。背中を、リーシェの部屋の扉に預けて。
リーシェは、しゃがんだ。
「アルト」
「ね、ねえさまっ——」
目を覚ましたアルトが、慌てて毛布を抱きしめた。
「ぼ、ぼく、寝てたわけじゃ——いえ、寝てました、すみません」
「どうして、ここで」
「あの、ねえさまが、夜、また歩いて行ったら、ぼく、止めなきゃって思って」
昨夜のことだった。リーシェが、目を閉じたまま、廊下を歩いた、夜。
アルトは、その続きを自分が見届けようと、扉の前に毛布を持って来たのだった。
「アルト」
リーシェは、彼の頭を、両手で撫でた。
「冷えたでしょう」
「あ、温かかったです、毛布があったから」
「うん」
「あの、でも、今夜、もし——」
「今夜は、扉の中で、寝てくれる?」
「え」
「私の隣で。それなら、私が歩いても、すぐにわかるから」
アルトの目が、丸くなった。
「い、いいんですかっ」
「うん」
アルトが、毛布を抱きしめたまま、頷いた。何度も。十二歳の喉が、嬉しさで詰まっていた。
◇
朝食。
ゼルヴァーンが、椅子を引いた。リーシェのと、アルトのと、両方。デミウルゴが眼鏡を直すまでもなく、滑らかな所作だった。
「上達されましたね」
「お前は黙れ」
「ただいま記録しております」
「数えるな」
アルトが、ふふ、と笑った。
リーシェが、口を開いた。
「ゼルヴァーンさま。お願いが、あります」
「何だ」
「グランハイド家の、家系図を、見たいんです」
ゼルヴァーンの手が、止まった。
「家系図」
「はい。千年前のローシェさまが、グランハイドの血筋、と聞きました。なら、私たちは——」
「同じ家から、出ている」
「はい」
デミウルゴが、応えた。
「半身さま。実は、すでに取り寄せておきました。今朝、届いております」
ゼルヴァーンが、デミウルゴを見た。
「お前は、いつ仕事をしている」
「千年お仕えしておりますので」
「答えになっていない」
「お答えする義務は、契約にございませんでした」
ナディアが、口元を押さえて笑った。
◇
応接間。
長い巻物が、テーブルに広げられていた。グランハイド公爵家の、千年分の家系図。デミウルゴが伝令を夜通し走らせて、取り寄せたものだった。
リーシェは、自分の名前から辿り始めた。
「リーシェ・フォン・グランハイド。これが、私」
指で、上に辿る。父の名前。祖父の名前。曽祖父の名前。代を遡っていく。十代、十五代、二十代。
ゼルヴァーンが、隣で見ていた。
「いつまで遡れる」
「千年分、と聞きました」
「ローシェの代まで」
「はい」
リーシェの指が、千年前の代に辿り着いた。
そこに、名前があった。
『ローシェ・フォン・グランハイド』
千年前の、半身。
リーシェの心臓が、跳ねた。
「……いた」
「いたな」
「本当に、私たちは、同じ家から」
「ああ」
リーシェの指が、ローシェの欄から、横に動いた。
ローシェの、兄弟姉妹の欄。
そこが、破られていた。
紙が、千年分の古さで薄くなっているのではなかった。誰かが、意図的に、千年前のあるタイミングで、その部分だけを剥がしたのだ。剥がした跡が、わずかに残っていた。
「……ここ」
リーシェが、囁いた。
「破られています」
ゼルヴァーンが、覗き込んだ。金の瞳が、その剥がし跡を、長く見ていた。
「……ローシェには」
彼が、口を開いた。
「いた」
「兄弟が、ですか」
「双子の、弟が」
応接間が、しんと静まった。
「ローシェには、双子の弟がいた。名前は——」
ゼルヴァーンが、目を伏せた。記憶を辿った。千年閉じていた記憶の扉を、もう一度、押し開けた。
「リューシェ、だった」
リーシェの指が、震えた。
リーシェ。ローシェ。リューシェ。
三つの名前が、千年の時を挟んで、並んだ。
◇
「ローシェは、双子の弟を、誰よりも大切にしていた」
ゼルヴァーンが、ゆっくりと語った。
「あの戦の頃、リューシェは、まだ十代の半ばだった。ローシェは、彼を戦に出させなかった。停戦条約の調印まで、リューシェを城の奥に匿った。『この子は、世界に必要だ』と、彼女は言っていた」
「リューシェさまは——」
「いた、はずだった」
ゼルヴァーンの目が、揺れた。
「停戦の夜、ローシェが消えた、その夜。リューシェも、姿を消した。僕は、彼が、姉を喪った悲しみで城を出たのだと思っていた」
「違った、のですか」
「家系図に、彼の名前すら残されていない。誰かが、彼の存在を、千年かけて消した」
誰が、何のために。
応接間が、静まった。
◇
「あ、あの」
声が、上がった。
アルトだった。
彼は、応接間の隅で、家系図を覗き込んでいた。寝間着の上に、毛布を肩から羽織ったままで。
「ぼくも、お話、あります」
全員が、彼を見た。
アルトは、ポケットから、小さな紙の包みを取り出した。震える指で、包みを開いた。
中には、黒い花弁が、一枚、入っていた。
ナディアが、息を呑んだ。
「アルト」
「ね、ねえさまっ、ごめんなさいっ」
涙が、溢れた。
「ぼく、これ、エルヴァードの、棺の下で、見つけたんですっ。葬儀の前に。棺の下に、敷き詰められてたんですっ。十二輪、ありましたっ」
「十二」
「数えました、ちゃんと。ぼく、一輪だけ、ポケットに入れてっ、残りの十一輪は、葬儀のあと、誰かが片付けたんですっ。誰がっていうのは、ぼく、わからなくてっ」
ゼルヴァーンが、立ち上がった。
「アルト」
「は、はいっ」
「謝らなくていい」
「で、でも、ぼく、もっと早く——」
「来てくれて、ありがとう」
ゼルヴァーンが、片膝をついた。十二歳の少年の、目の高さに。
「これは、君の手柄だ。君が見たから、僕たちは知れた」
アルトの目から、涙が、ぼろぼろ落ちた。リーシェが、両手で彼を抱きしめた。
アルトの黒い花弁が、リーシェの花弁の隣に並んだ。
二枚で、一組のように。
◇
「デミウルゴ」
「はい、陛下」
「グランハイド領で、エルヴァードの葬儀のあと、十一輪の花を片付けた人物を、特定しろ」
「すでに、目星はついております」
「誰だ」
「グランハイド家の、最古参の侍女、フィン」
ゼルヴァーンが、目を細めた。
「いつから、仕えている」
「リーシェさまが、お生まれになる、前から」
「もっと前か」
「公爵家の、複数の世代に仕えております。正確な就任年は、家の記録から消されております」
ゼルヴァーンと、ナディアの目が合った。
ナディアが、静かに頷いた。
「フィンは、千年前から、グランハイド家に仕えております」
「千年」
「ローシェさまがご存命だった頃に、私と同じ立場でお仕えしていた、もう一人の侍女頭でございます」
応接間が、もう一度、しんと静まった。
ゼルヴァーンが、リーシェを見た。
「リーシェ、明日、グランハイド領に行く」
「はい」
「フィンに、会う」
「はい」
「そして、千年前から続く、別のものの輪郭を掴む」
リーシェが、頷いた。
左手のロケットの中で、押し花が揺れた。
心臓の上で、二枚目の花弁が——テーブルの上で、まだ待っていた。
お読みいただきありがとうございます。
リーシェ、ローシェ、リューシェ。三つの名前が、千年を挟んで並びました。そしてアルトが、自分の隠していた黒い花弁を、ねえさまに見せました。
「ぼく、もっと早く言えばよかった」と謝った彼に、ゼルヴァーンは片膝をついて「来てくれて、ありがとう」と答えました。
次回、第33話「十一輪の行方」。リーシェたちは、千年前から仕えるある侍女に会いにグランハイド領へ。そして城門に、もう一人、招かれざる客が立っています。




