第29話 帰り道
翌朝。
大食堂に、二人分の朝食が、用意されていた。
しかし、もう、あの最初の朝とは、違っていた。
◇
ゼルヴァーンが、椅子を、引いた。
ぎこちなくは、なかった。
千年で、二度目だった。二度目の方が、明らかに、うまかった。
「……上達なさいましたね」
リーシェが、笑いながら、言った。
「ああ」
「コツは」
「考えないことだ」
「考えないんですか」
「考えると、ぎこちなくなる」
「では、今は」
「考えていない」
「正解です」
壁際で、デミウルゴが、眼鏡を、直した。
「千年お仕えしておりますが、陛下が、椅子の引き方の、コツを、語られるのは、これで——」
「数えるな」
「ただいま記録しております」
「もう記録は、十分だ」
「足りません」
「……勝手にしろ」
デミウルゴが、ほんの少し、笑った。眼鏡の奥で、目が、緩んでいた。
「千年お仕えして、まいりました」
「うん」
「お仕えした、甲斐が、ありました」
ゼルヴァーンが、彼を、見た。デミウルゴは、もう、笑っていなかった。ただ、深く、頭を、下げていた。
「お前が、頭を下げるな」
「失礼いたしました」
「下げると、こちらが、困る」
「次から、控えます」
「……ああ」
◇
ナディアが、花茶を、注いだ。
その手が、わずかに、震えていた。前の夜、彼女は、月の庭園の盟約を、窓辺から、見ていた。一晩中、泣いていた。今朝も、まだ、目が、赤かった。
「ナディアさん」
リーシェが、声を、かけた。
「はい、半身さま」
「目が、赤いです」
「失礼いたしました」
「いえ、責めているのでは」
「今夜は、しっかり、眠ります」
「ええ。一緒に、ぐっすり」
ナディアが、首を、振った。
「いえ。半身さまは、しっかりお眠りください。私は——もう、眠らなくとも、良いのです」
「眠らなくて、よいのですか」
「もう、見守るべきものを、見守れたので」
リーシェの隣で、ゼルヴァーンが、わずかに、目を、伏せた。
「ナディア」
「はい、陛下」
「お前も、家族だ」
「は」
「リーシェが、昨日、僕を、家族と、呼んだ。ならば——お前も、デミウルゴも、家族だ」
ナディアの目から、涙が、また、一粒、落ちた。
「……はい」
「家族なら、眠れ」
「はい」
「眠って、明日の朝食に、出てこい」
「はい——」
花茶のポットが、ナディアの手の中で、わずかに、揺れた。
◇
朝食のあと、二人は、城下に、出た。
手は、繋いでいなかった。
しかし、距離は、近かった。リーシェの肩のすぐ脇に、ゼルヴァーンの腕が、あった。歩く速度が、合っていた。
城下に、出るのは、リーシェにとって、久しぶりだった。
花が、咲いていた。
昨日の朝、リーシェが、力を込めて、城下の隅々まで、咲かせた花が、まだ、残っていた。北の三州までは、届かなかったかもしれない。けれど、城下の、すべての家の、屋根の隙間に、花が、白く、青く、薄紅に、咲いていた。
子供たちが、走ってきた。
角の男の子が、先頭だった。式典の夜、リーシェに「お姉ちゃん」と呼ばれて、頭を花で、撫でられた、あの男の子。
「半身さまっ」
「はいっ」
「また、花、つけてっ」
彼女は、笑って、しゃがんだ。男の子の頭に、白い花を、一輪、咲かせた。男の子は、目を輝かせて、走り去った。
ゼルヴァーンが、その光景を、見ていた。
「……世界で、一番、幸運な、魔王だ」
いつかと、同じ、台詞だった。
リーシェは、立ち上がって、彼を、見た。
「世界で、一番、幸せな、半身です」
あの時には、なかった、返事だった。
ゼルヴァーンの口元が、わずかに、緩んだ。
◇
城下の、広場で、二人は、ベンチに、座った。
リーシェが、ゼルヴァーンの肩に、頭を、もたれかけた。
「重くないですか」
「重くない」
「本当に?」
「本当だ」
「千年生きた魔王が、人間の少女の頭の重さを、嘘で、誤魔化しますか」
「誤魔化す」
「誤魔化さないでください」
「……重い」
「ひどい」
「冗談だ」
「冗談に聞こえません」
ゼルヴァーンが、笑った。声を出して。広場で。城下で。
通りすがりの、魔族の女性が、立ち止まって、こちらを見た。それから、慌てて、進路を、変えた。「陛下が、笑っている……」と、何かを、囁いていた。
千年見たことのない、光景だったらしい。
◇
午後。
城に戻ったリーシェに、デミウルゴが、報告書を、持ってきた。
「半身さま」
「はい」
「ご報告が、ございます」
「何でしょう」
「グランハイド領、より、急報が——」
その時、リーシェの心臓の上の、銀のロケットが、ふと、揺れた。理由はなかった。風もなかった。
ただ、揺れた。
彼女の指が、無意識に、ロケットを、押さえた。
「アルト、ですか」
「アルト様、ご本人は、ご無事です」
「ご本人は」
「公爵家の、執事エルヴァード氏が、昨夜、お亡くなりに、なられました」
リーシェは、息を、吸った。
「エルヴァードさん」
「ご存知の方ですか」
「私が、子供の頃から、いた執事です。アルトを、ずっと、面倒を、見てくれていた人です。私の、十二歳の弟の、二人目の、家族でした」
デミウルゴは、報告書の、下の方を、指した。
「死因は、階段からの、転落と、報告されております」
「事故、ですか」
「表向きは」
ゼルヴァーンが、横で、聞いていた。彼の、肘掛を握る手から、木が、軋む音が、聞こえた。
「クリストフか」
「断定はできかねますが、状況証拠は、そう、示しております」
リーシェは、座って、いた。動かなかった。一分。二分。三分。長く、座っていた。
それから、ゆっくり、立ち上がった。
「グランハイド領に、行きます」
「リーシェ」
「アルトに、会いに行きます」
「リーシェ、それは——」
「義務、ではありません」
彼女は、ゼルヴァーンを、見た。
「私の、意志です」
ゼルヴァーンが、長く、彼女を、見た。
それから、頷いた。
「では、僕も、行く」
「はい」
「お前は、留守を頼む、デミウルゴ」
「は。万事、お任せください」
リーシェが、ロケットを、心臓の上で、握った。
弟が、待っている。
二人目の家族を、失った、十二歳の弟が。
◇
夕方。
準備が、進められていた。
明日の朝、二人は、グランハイド領に、向かう。
しかし、その夕方、もう一通の、伝令が、城に、届いた。
差出人は、王太子クリストフ。
「半身さま、ならびに、ゼルヴァーン陛下に、謹んで、お悔やみを、申し上げます。グランハイド執事の不幸、心より、お見舞い申し上げます。——なお、当家としても、葬儀の手配を、半身さまの故郷の、グランハイド領にて、行わせていただきたく、半身さまのご来訪を、心より、お待ち申し上げます」
ゼルヴァーンが、書状を、読み終えて、目を、伏せた。
「……罠だな」
「罠です」
「行くか」
「行きます」
「リーシェ」
「行かない、という選択は、もう、ありません」
ゼルヴァーンが、頷いた。深く。
「では、僕も、罠の中に、入ろう」
「お一人で、行かないでくださいね」
「ああ」
「私と、一緒に」
「ああ」
二人の指先が、無意識に、絡まっていた。
◇
夜。
月の庭園で、二人は、もう一度、立っていた。盟約を、結んだ場所で。
ゼルヴァーンが、呟いた。
「明日から、嵐だ」
「はい」
「君を、絶対に、失わない」
「はい」
「絶対に」
「絶対に」
風が、吹いた。盟約の夜と、同じ、夜風が。
ただし——その夜の月は、もう、満月では、なかった。
欠け始めて、いた。
◇
同じ夜。
王都。クリストフの執務室。
ハインツが、報告した。
「グランハイド領にて、半身を、お迎えする、準備、整いました」
「儀式の、配置は」
「結界も、完成しております」
「あの男も、来るな」
「はい。半身を、一人だけで、来させない、と、想定いたしました」
「では、二人を、まとめて、断つ」
クリストフが、母のロケットに、手を、置いた。
「千年前と——同じ手は、使わない」
「同じ結末には、たどり着ける」
「ああ」
彼の青い瞳に、月光ではない、何かが、灯っていた。
お読みいただきありがとうございます。
盟約の翌朝、椅子は、二度目の引かれ方で、上達していました。
ゼルヴァーンが、城下で、声を出して、笑いました。
リーシェが、世界で一番、幸せな半身、と、答えました。
——しかし。
グランハイド領で、執事エルヴァードが、亡くなりました。
クリストフが、お悔やみの体で、罠を、敷きました。
リーシェは、知った上で、行く、と、決めました。
「行かない、という選択は、もう、ありません」
次話、第30話「千年前と同じ」。
第4章の、最終話。
そして——千年前と、同じ嵐が、リーシェに、襲いかかります。
ただし。
ブックマーク・評価・感想、本当に、心から、お願いいたします。
弟に会いに行く半身に、☆ひとつ、お力添えを。
花は嵐でも咲きます。
蒼空ルーシェ




