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要らない娘と呼ばれた私を、魔王は千年待っていたそうです ~捨てた公爵家は没落し、私は世界で一番幸せになりました~  作者: 蒼空ルーシェ


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第14話 夜空のドレス

魔王城の仕立て部屋は、城の東塔にあった。


 ナディアに連れられて足を踏み入れた瞬間、リーシェは立ち尽くした。部屋中に布が溢れていた。壁一面の棚に、見たことのない色の生地が巻かれて並んでいる。深い藍。透ける銀。燃えるような朱。月光を閉じ込めたような白。人間の王都の仕立て屋では絶対に見ない色ばかりだった。


 部屋の中央に、三人の魔族の職人がいた。一人は角が三本ある女性で、指先から糸が出る。文字通り、指先から。もう一人は背の低い男性で、手のひらに乗せた宝石が勝手に光る。三人目は銀髪の青年で、何もない空中に鋏を走らせると、布が望みの形に裁断される。


 魔族の仕立ては、魔法だった。


「半身さま。お体の寸法を取らせていただきます」


 角の女性——主任仕立師のカルラが、穏やかに言った。


「陛下から、『最高のものを』とだけ仰せつかっております」


 最高のもの。リーシェは少し居心地が悪かった。公爵家では、リーシェの服は姉のお下がりか、使用人が縫い直したものだった。自分のために仕立てられた服は、一着もない。


「あの——あまり大げさなものは」


「大げさにはいたしません。ただ、ふさわしいものを」


 カルラの目が真剣だった。職人の目だ。最高のものを作る、と決めた人間の目。人間ではないけれど。


 ナディアがリーシェの肩をそっと押した。


「お任せして大丈夫ですよ。カルラは千年前から城の仕立てを任されている方です」


 千年前から。ということは、この人も「あの方」の服を仕立てたことがあるのだろうか。聞けなかった。聞かなくていい。今は自分のことだけ考えよう。



   ◇



 寸法を取り終えると、カルラが生地を選び始めた。


「式典は夜の宮殿で行われます。灯りは蝋燭と魔導灯。肌の色と髪の色から——」


 カルラがリーシェの顔をじっと見た。それから棚に向かい、一巻の布を抜き出した。


 深い深い藍色の生地。


 広げると、光が走った。布の中に星が散りばめられているように、銀の粒子がきらめいている。角度を変えるたびに光の色が変わる。青から紫へ。紫から銀へ。夜空そのものを織り上げたような布だった。


「これは——」


「星織りの布です。魔界の蚕が紡ぐ糸に、月光石の粉を織り込んだもの。千年に一度しか織れない布で、最後に織られたのは——」


 カルラが言葉を切った。千年前。最後に織られたのは千年前。


「残りはこの一巻だけです。陛下がお使いになるようにと、取っておいたのですが。今朝、陛下自らいらっしゃって『これを使え』と」


 リーシェは布に触れた。指先に吸いつくような手触り。軽い。こんなに美しいのに、羽のように軽い。


「贅沢すぎます——」


「陛下がそうおっしゃると思って、先に確認いたしました」


 カルラが少しだけ笑った。


「『贅沢と言われたらどうしましょう』と伺いましたら、陛下は『贅沢ではない。ふさわしいだけだ』と」


 リーシェは返す言葉がなかった。



   ◇



 三日後。


 ドレスが仕上がった。


 仕立て部屋の姿見の前に立たされたリーシェは、鏡に映った自分を見て、息を忘れた。


 夜空のドレス。


 深い藍色の生地が体に沿って流れている。肩は露出せず、鎖骨のすぐ下から始まる上品なラインに、長い袖。袖口に向かって生地が薄くなり、手首の先は透ける銀になっている。


 スカートは足首まで届き、裾に向かうにつれて銀の粒子が密になっていく。歩くたびに裾が揺れて、星が流れるように光が走る。


 そして——腰から胸にかけて、花の刺繍。リーシェが庭園に咲かせた花をそのまま写し取ったような、白と淡い金の糸で縫い上げた花々。カルラが三日三晩かけて、一針ずつ縫ったものだと後で聞いた。


 髪はナディアが整えてくれた。いつも結んでいない髪を緩やかに編み上げ、銀の髪飾りを一つだけ。弟の花を模した飾り。リーシェが頼んだものだった。


 鏡の中に、知らない人がいた。


 いや——知っている。これは自分だ。十七年間「出来損ない」と呼ばれ続けた自分だ。でも鏡の中のこの人は、出来損ないには見えない。


「……これが、私?」


 声が小さかった。信じられなかった。


「ええ。あなたです」


 ナディアが後ろに立って、鏡越しにリーシェを見ていた。紫の瞳が潤んでいた。いつもの翳りとは違う。


「美しい方」


 ナディアの声が震えた。


「本当に——美しい方です」


 リーシェは泣きそうになった。「美しい」と言われたのは初めてだった。公爵家では一度も。社交界でも一度も。鏡を見ても思ったことがなかった。


 でも今、鏡の中にいるこの人は——美しかった。


 ドレスのおかげではない。髪飾りのおかげでもない。この場所で、この人たちの中で、必要とされ、大切にされ、名前を呼ばれて。そうやって過ごした日々が、顔に出ているのだと思った。


 鏡の中の自分の目に、光があった。公爵家にいた頃にはなかった光。ゼルヴァーンと同じ夜空の色のドレスを纏って、花の刺繍を胸に、弟の花を髪に挿した少女。


 ——これが、今の私だ。



   ◇



 廊下に出た。


 ゼルヴァーンが待っていた。


 黒い礼装。銀灰色の髪を後ろに流し、首元に月光石の留め具。普段の威圧的な空気はなりを潜めて、ただ静かに立っていた。


 リーシェが角を曲がった瞬間、ゼルヴァーンの目がリーシェを捉えた。


 動きが止まった。


 完全に。


 瞬きも呼吸も忘れたように、金の瞳がリーシェに固定された。口が開きかけて、閉じた。もう一度開いて、また閉じた。


 デミウルゴが後ろで、眼鏡を押さえていた。笑いを堪えている。千年仕えて初めて見る、主の「言葉を失った」顔。


 リーシェは少し照れながら、ゼルヴァーンの前に立った。


「あの——似合いますか?」


 沈黙。


 長い沈黙。


 ゼルヴァーンが口を開いた。出てきた声は掠れていた。


「……困った」


「え?」


「このまま誰にも見せたくない」


 リーシェの頬が熱くなった。


「見せに行くんですよね? 式典に」


「わかっている。わかっているが——」


 ゼルヴァーンが目を逸らした。耳が赤い。首まで赤い。千年の魔王が、首まで赤くなっている。


「……綺麗だ」


 小さな声だった。リーシェにしか聞こえない声。


「とても」


 リーシェは微笑んだ。泣きそうだったけど、泣かなかった。今日は笑う日だ。


「ありがとうございます」


 ゼルヴァーンが咳払いをした。姿勢を正した。無理やり魔王の顔に戻した。でも耳は赤いままだった。


「では——行くか」


 腕を差し出した。エスコートの形。


 リーシェは一瞬、見つめた。差し出された腕を。あの夜、手が触れた時の温かさを思い出した。


 腕に手を添えた。


 布越しに。でも確かに。


 二人で歩き出した。廊下を。城の正門へ。式典が待つ、人間の王都へ。


 リーシェが捨てられた場所へ。


 今度は——魔王の腕で。



   ◇



 背後で、デミウルゴがナディアの隣に立っていた。


 二人の背中を見送りながら。夜空のドレスと黒い礼装が、廊下の光の中で並んで歩いていく。


「千年仕えておりますが」


 デミウルゴが呟いた。いつもの定型句。しかし声が少しだけ揺れていた。


「陛下が誰かと並んで歩かれるのは、初めてです」


 ナディアが小さく頷いた。


「……初めて、ではないですよ」


「ええ。千年ぶり、ですね」


 二人はそれ以上何も言わなかった。


 廊下の窓から、二つの月が見えていた。

魔王城の仕立て部屋は、城の東塔にあった。


 ナディアに連れられて足を踏み入れた瞬間、リーシェは立ち尽くした。部屋中に布が溢れていた。壁一面の棚に、見たことのない色の生地が巻かれて並んでいる。深い藍。透ける銀。燃えるような朱。月光を閉じ込めたような白。人間の王都の仕立て屋では絶対に見ない色ばかりだった。


 部屋の中央に、三人の魔族の職人がいた。一人は角が三本ある女性で、指先から糸が出る。文字通り、指先から。もう一人は背の低い男性で、手のひらに乗せた宝石が勝手に光る。三人目は銀髪の青年で、何もない空中に鋏を走らせると、布が望みの形に裁断される。


 魔族の仕立ては、魔法だった。


「半身さま。お体の寸法を取らせていただきます」


 角の女性——主任仕立師のカルラが、穏やかに言った。


「陛下から、『最高のものを』とだけ仰せつかっております」


 最高のもの。リーシェは少し居心地が悪かった。公爵家では、リーシェの服は姉のお下がりか、使用人が縫い直したものだった。自分のために仕立てられた服は、一着もない。


「あの——あまり大げさなものは」


「大げさにはいたしません。ただ、ふさわしいものを」


 カルラの目が真剣だった。職人の目だ。最高のものを作る、と決めた人間の目。人間ではないけれど。


 ナディアがリーシェの肩をそっと押した。


「お任せして大丈夫ですよ。カルラは千年前から城の仕立てを任されている方です」


 千年前から。ということは、この人も「あの方」の服を仕立てたことがあるのだろうか。聞けなかった。聞かなくていい。今は自分のことだけ考えよう。



   ◇



 寸法を取り終えると、カルラが生地を選び始めた。


「式典は夜の宮殿で行われます。灯りは蝋燭と魔導灯。肌の色と髪の色から——」


 カルラがリーシェの顔をじっと見た。それから棚に向かい、一巻の布を抜き出した。


 深い深い藍色の生地。


 広げると、光が走った。布の中に星が散りばめられているように、銀の粒子がきらめいている。角度を変えるたびに光の色が変わる。青から紫へ。紫から銀へ。夜空そのものを織り上げたような布だった。


「これは——」


「星織りの布です。魔界の蚕が紡ぐ糸に、月光石の粉を織り込んだもの。千年に一度しか織れない布で、最後に織られたのは——」


 カルラが言葉を切った。千年前。最後に織られたのは千年前。


「残りはこの一巻だけです。陛下がお使いになるようにと、取っておいたのですが。今朝、陛下自らいらっしゃって『これを使え』と」


 リーシェは布に触れた。指先に吸いつくような手触り。軽い。こんなに美しいのに、羽のように軽い。


「贅沢すぎます——」


「陛下がそうおっしゃると思って、先に確認いたしました」


 カルラが少しだけ笑った。


「『贅沢と言われたらどうしましょう』と伺いましたら、陛下は『贅沢ではない。ふさわしいだけだ』と」


 リーシェは返す言葉がなかった。



   ◇



 三日後。


 ドレスが仕上がった。


 仕立て部屋の姿見の前に立たされたリーシェは、鏡に映った自分を見て、息を忘れた。


 夜空のドレス。


 深い藍色の生地が体に沿って流れている。肩は露出せず、鎖骨のすぐ下から始まる上品なラインに、長い袖。袖口に向かって生地が薄くなり、手首の先は透ける銀になっている。


 スカートは足首まで届き、裾に向かうにつれて銀の粒子が密になっていく。歩くたびに裾が揺れて、星が流れるように光が走る。


 そして——腰から胸にかけて、花の刺繍。リーシェが庭園に咲かせた花をそのまま写し取ったような、白と淡い金の糸で縫い上げた花々。カルラが三日三晩かけて、一針ずつ縫ったものだと後で聞いた。


 髪はナディアが整えてくれた。いつも結んでいない髪を緩やかに編み上げ、銀の髪飾りを一つだけ。弟の花を模した飾り。リーシェが頼んだものだった。


 鏡の中に、知らない人がいた。


 いや——知っている。これは自分だ。十七年間「出来損ない」と呼ばれ続けた自分だ。でも鏡の中のこの人は、出来損ないには見えない。


「……これが、私?」


 声が小さかった。信じられなかった。


「ええ。あなたです」


 ナディアが後ろに立って、鏡越しにリーシェを見ていた。紫の瞳が潤んでいた。いつもの翳りとは違う。


「美しい方」


 ナディアの声が震えた。


「本当に——美しい方です」


 リーシェは泣きそうになった。「美しい」と言われたのは初めてだった。公爵家では一度も。社交界でも一度も。鏡を見ても思ったことがなかった。


 でも今、鏡の中にいるこの人は——美しかった。


 ドレスのおかげではない。髪飾りのおかげでもない。この場所で、この人たちの中で、必要とされ、大切にされ、名前を呼ばれて。そうやって過ごした日々が、顔に出ているのだと思った。


 鏡の中の自分の目に、光があった。公爵家にいた頃にはなかった光。ゼルヴァーンと同じ夜空の色のドレスを纏って、花の刺繍を胸に、弟の花を髪に挿した少女。


 ——これが、今の私だ。



   ◇



 廊下に出た。


 ゼルヴァーンが待っていた。


 黒い礼装。銀灰色の髪を後ろに流し、首元に月光石の留め具。普段の威圧的な空気はなりを潜めて、ただ静かに立っていた。


 リーシェが角を曲がった瞬間、ゼルヴァーンの目がリーシェを捉えた。


 動きが止まった。


 完全に。


 瞬きも呼吸も忘れたように、金の瞳がリーシェに固定された。口が開きかけて、閉じた。もう一度開いて、また閉じた。


 デミウルゴが後ろで、眼鏡を押さえていた。笑いを堪えている。千年仕えて初めて見る、主の「言葉を失った」顔。


 リーシェは少し照れながら、ゼルヴァーンの前に立った。


「あの——似合いますか?」


 沈黙。


 長い沈黙。


 ゼルヴァーンが口を開いた。出てきた声は掠れていた。


「……困った」


「え?」


「このまま誰にも見せたくない」


 リーシェの頬が熱くなった。


「見せに行くんですよね? 式典に」


「わかっている。わかっているが——」


 ゼルヴァーンが目を逸らした。耳が赤い。首まで赤い。千年の魔王が、首まで赤くなっている。


「……綺麗だ」


 小さな声だった。リーシェにしか聞こえない声。


「とても」


 リーシェは微笑んだ。泣きそうだったけど、泣かなかった。今日は笑う日だ。


「ありがとうございます」


 ゼルヴァーンが咳払いをした。姿勢を正した。無理やり魔王の顔に戻した。でも耳は赤いままだった。


「では——行くか」


 腕を差し出した。エスコートの形。


 リーシェは一瞬、見つめた。差し出された腕を。あの夜、手が触れた時の温かさを思い出した。


 腕に手を添えた。


 布越しに。でも確かに。


 二人で歩き出した。廊下を。城の正門へ。式典が待つ、人間の王都へ。


 リーシェが捨てられた場所へ。


 今度は——魔王の腕で。



   ◇



 背後で、デミウルゴがナディアの隣に立っていた。


 二人の背中を見送りながら。夜空のドレスと黒い礼装が、廊下の光の中で並んで歩いていく。


「千年仕えておりますが」


 デミウルゴが呟いた。いつもの定型句。しかし声が少しだけ揺れていた。


「陛下が誰かと並んで歩かれるのは、初めてです」


 ナディアが小さく頷いた。


「……初めて、ではないですよ」


「ええ。千年ぶり、ですね」


 二人はそれ以上何も言わなかった。


 廊下の窓から、二つの月が見えていた。

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