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要らない娘と呼ばれた私を、魔王は千年待っていたそうです ~捨てた公爵家は没落し、私は世界で一番幸せになりました~  作者: 蒼空ルーシェ


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第11話 千年ぶりの庭

 庭園の花が、止まらなくなっていた。


 リーシェが毎朝庭を歩くようになってから、花は日に日に広がっていった。最初に咲いた花壇の一角だけだったのが、隣の花壇に、通路の石畳の隙間に、塀の根元に。どこにリーシェの足が触れたかを覚えているかのように、彼女が歩いた跡をなぞって花が咲いていく。


 白い花だけだった庭に、色が増えた。青い花。薄紅の花。明るい黄色の花。一つとして同じ形はない。


 侍女のエーダが毎朝報告してくれる。


「今日は七つ増えました」

「紫のが初めて咲きましたよ」

「庭師のおじいさんが泣いてます。また」


 庭師はよく泣いた。千年間枯れた庭の世話をし続けた老人にとって、花が咲くことは奇跡というより救済だった。



   ◇



 その日、庭に客が来た。


 城下の子供たちだった。


 魔族の子供は人間の子供とそう変わらない。小さくて、うるさくて、好奇心の塊で、怖いもの知らずだ。角が生えていたり、耳が長かったり、肌の色が青みがかっていたりするけれど、走り回って転んで泣く姿は、人間の子供と同じだった。


「半身さまだ」

「花のひとだ」

「見せて見せて、花咲かせて」


 五人の子供たちが庭園に駆け込んできた。護衛の魔族が慌てて追いかけている。


 リーシェは笑った。公爵家では子供と接する機会がほとんどなかった。弟のアルトが最後に自分と遊んでくれたのは、アルトが八歳の頃だった。それ以降は父に止められた。


「花、見たい?」


 子供たちが目を輝かせた。


 リーシェは花壇の横にしゃがんだ。まだ咲いていない場所。乾いた土に手を当てた。


 光が走った。指先から淡い金色。土の中から、するすると茎が伸びて、小さな花が五つ、並んで咲いた。


 子供たちが歓声を上げた。一人が花に顔を近づけて匂いを嗅いだ。「いい匂い」。別の子がリーシェの手を触った。「あったかい」。


 手を触られた。


 リーシェは一瞬固まった。でもすぐに微笑んだ。小さな手は温かくて、遠慮がなくて、ただ純粋に花を見せてくれた人に触れたかっただけの手だった。


「もっとやって」

「あそこにも咲かせて」

「ぼくの角の周りにも咲く?」


「角の周りは——どうだろう。やってみようか」


 角の生えた男の子が頭を差し出した。リーシェが角の根元に触れると、小さな花が一輪、角の根元に咲いた。男の子が嬉しそうに跳ねた。


「咲いた」


 他の子供たちが「ずるい」「私も」と騒ぎ始めて、リーシェは順番に一輪ずつ咲かせていった。耳の先に。手首に。尻尾の先に。


 子供たちが花を付けて庭を走り回る。笑い声が庭園に響く。千年ぶりの笑い声かもしれない。



   ◇



 塔の窓から、ゼルヴァーンがその光景を見ていた。


 花に囲まれた少女。子供たちの笑い声。リーシェの笑顔。


 あの笑顔は、公爵家では見られなかった笑顔だろう。誰かに求められて、誰かに喜ばれて、自分の力で誰かを笑顔にしている時の——あの顔。


「陛下」


 背後にデミウルゴが立っていた。いつからいたのか。


「千年仕えておりますが、陛下があのように穏やかなお顔をされるのは初めてでございます」


「……顔のことはいい」


「失礼いたしました。しかし事実です」


 ゼルヴァーンは窓から目を離さなかった。リーシェが子供の頭を撫でている。花がまた一つ咲く。


「デミウルゴ」


「はい」


「頼みがある」


 デミウルゴが眼鏡を直した。千年の忠臣は、主の声の温度で何を言おうとしているか察する。


「月の庭園を開けてほしい」


 デミウルゴの手が止まった。


 月の庭園。城の最奥にある庭。千年前——あの方がいた頃、二人だけの場所だった庭。あの方が消えた日から、ゼルヴァーンは誰にも開けさせなかった。


「千年間、閉じておられた場所です」


「知っている」


「よろしいのですか」


 ゼルヴァーンが窓の外を見たまま答えた。


「あの庭に、花を咲かせたい」


 デミウルゴは黙った。


 千年前、月の庭園にはこの城で最も美しい花が咲いていた。あの方が世話をしていた花。あの方が消えた日に、すべて枯れた花。


 千年間、主はあの庭を開けなかった。開ければ枯れた花を見ることになる。枯れた花を見れば、あの日を思い出す。


 今、主は——あの庭を開けると言っている。


 新しい花を咲かせるために。


「承知いたしました」


 デミウルゴが深く頭を下げた。声が少しだけ震えていた。千年の忠臣が、感情を抑えきれなかったのは、これが何度目だろう。最近は増えた。あの少女が来てから。


「明日の夕刻までに整えます」


「……ありがとう」


 ゼルヴァーンが「ありがとう」と言ったのも、千年で数えるほどしかない。デミウルゴは頭を下げたまま、目元を指で押さえた。



   ◇



 庭園の片隅。


 子供たちが帰った後、ナディアが一人で花を見つめていた。


 リーシェが咲かせた花。白い花。千年前に、この庭に咲いていたのと同じ色の花。


 デミウルゴが隣に来た。二人とも無言で、花を見ていた。


 風が吹いた。花弁が揺れた。


「あの方も、こうして笑っておられた」


 ナディアの声は小さかった。独り言のように。でもデミウルゴに聞こえる声だった。聞こえる声量で、言った。


「ナディア」


 デミウルゴの声は低かった。


「大丈夫です」


 ナディアが微笑んだ。穏やかだった。でも紫の瞳が濡れていた。


「もう、大丈夫ですから」


 デミウルゴは何も言わなかった。ただ、二人の間にある距離、手を伸ばせば届くのに、千年間一度も縮まらなかった距離を、そのままにして、花を見ていた。


 千年の沈黙が、花の間に横たわっていた。



   ◇



 夜。


 リーシェは部屋で、今日もらった花を整理していた。子供たちが「お礼」と言って摘んできてくれた庭の花。小さな花束を、ゼルヴァーンがくれた花瓶に挿した。


 花瓶はもう動かない。窓辺に落ち着いた。


 ノックが聞こえた。


 リーシェが扉を開けると、ゼルヴァーンが立っていた。入口に。いつもの距離に。


 でも今日は、何かが違った。少し——ほんの少しだけ、緊張しているように見えた。


「明日の夕方、空けておいてほしい」


「何かあるんですか」


「見せたい場所がある」


 それだけ言って、ゼルヴァーンは背を向けた。


「あの——」


「明日話す」


 足早に去っていく。耳が赤い。またか、とリーシェは思った。でも今日の赤さは、照れではなく、覚悟のような気がした。


 何を見せてくれるのだろう。


 リーシェは窓辺に立った。二つの月が空にある。右の月は丸い。左の月は——やはり、前より少し丸くなっている。


 明日。


 何かが変わる予感がした。


お読みいただきありがとうございます。


角の根元に花を咲かせてもらった男の子は、きっと城下で自慢しているでしょう。


そしてゼルヴァーンが千年間閉ざしていた庭を開く決意をしたこと。

デミウルゴが「ありがとう」に目元を押さえたこと。

ナディアの「もう大丈夫です」がまだ大丈夫ではないこと。


全部、覚えていてください。

いつか、全部つながります。


次回、第12話。第2章最終話。

千年閉ざされていた庭で、魔王は少女の名前を呼びます。


ブックマーク・評価・感想、ありがとうございます。

次話はこの物語の「完結」です。どうか見届けてください。


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