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ヒロの姉

 翌日、学校が終わると、ヒロがオレの自宅にやってきた。


 その手には、黒革製のケースを携えていた。


「結構苦労したんだぜ。ほら、姉貴の友だちに頼んで借りてきてやったぞ。」

 ヒロは、そう言いながら、オレにその黒革製のケースを手渡した。


 オレがその黒革製のケースを開けると、その中には、少々使い込んだと思われるゴーグルとヘッドセットが入っていた。


「使い方は、そのケースの上蓋のポケットに取説が入っているから、自分で見ろ。お前んちには大型スクリーンといった代物はないから、とりあえずはその机の上にあるモニターを使いな。」

 ヒロが意外と親切に教えてくれた。


 オレは、ケースの上蓋のポケットから取扱説明の入ったマイクロチップを取り出すと、自分の腕時計型の端末のスロットにこれを入れた。

 そして、使い方を一通り見た上で、ゴーグルとヘッドセットを装着して、机の上にあるモニターと通信できるように設定をした。


 ゴーグルとヘッドセットは最軽量化されているというだけあって、ほとんど装着していても異物感を感じない。

 身体を動かしてみると、モニター上に写ったオレの3Dアバターが同じ動きを再現した。


 オレは、いったんゴーグルとヘッドセットを外し、ヒロに聞いた。

「それで、レクチャーしてくれる人物はどうなった?」


「ほんと、お前はせっかちだな。それもなんとか手配できたよ。ボクとしては、あんまりお勧めしたくない人物だがな。急なことだったので、仕方なく、身近なところで手を打った。」

 ヒロが、少し顔をしかめながら答えてくれた。


「ヒロ、ありがとう。で、誰だ?もったいぶらずに教えてくれよ。」

 オレは、ヒロに手を合わせて感謝を伝えながらも、答えを急かせた。


「ボクの姉貴だよ。」


「お姉さん?そう言えば、お前、さっき道具もお姉さんの友だちから借りたって言っていたよな。ヒロ、お前、お姉さんがいたのか?」


「今ごろ、気付いたのか、遅いよ。そういうことは、もう少し早く突っ込め。」

 ヒロが、少し冗談っぽく言って、ヒロの姉のことを話してくれた。



 ヒロの話しによると、ヒロには十歳年上の姉がおり、その姉は、現在、東ブロックの役所に勤めている。

 所属は、総務部の人事課、職員研修を担当している。

 学生時代からスポーツ万能で、今は趣味でKAZをやっており、週に二~三回は道場にも通っているらしい。


「今日、姉貴の勤めが終わったらハヤタに紹介することになっている。言っとくけど、ボクの姉貴はボクと違ってきついぜ。きっと、スパルタになるので、覚悟しとけよ。」


 見るからに文化系のヒロに、超体育会系と思われる姉がいるというのも意外だったが、ここまでのヒロの段取りの良さには舌を巻くものがあった。

 頼んだ翌日に、ここまでの対応ができるというのは本当にたいしたものだ。

 超天才ハッカーだというだけでもすごいのに、さらにこのような迅速な対応力や段取力をヒロが有していることに、オレは正直驚いていた。



 その後、しばらくオレの部屋で過ごしたあと、オレはヒロと連れ立って、ヒロの姉と待ち合わせているカフェに向かった。

 そのカフェは、東ブロックと南ブロックのちょうど境ぐらいにある少しお洒落な雰囲気のするカフェだった。


 オレとヒロが空調の効いた店の中に入ると、客はまばらで、十人くらいは座れると思われるカウンター席の真ん中あたりに一人の女性が腰掛けていた。

 ヒロがオレの方を見て、無言でそのカウンター席に座っている女性の背中を指さしたので、その女性がヒロの姉であることが分かった。


 オレは、ヒロの話を聞いて、ごつい体格の女性を想像していたが、そのカウンター席に座っている女性は、座っていても長身であることが分かる、細見で全体的に引き締まった体つきをした女性であった。


「姉貴、お待たせ。」

 ヒロが、そのカウンター席に座っている女性に声をかけた。


 その女性は、椅子に座ったままで、こちらを振り向くと、笑顔で「こんにちは。」と挨拶してくれた。

 ヒロの姉の容姿は、これもオレがヒロの話を聞いて想像していたのとは、全く異なっていた。


 オレは、失礼ながら、格闘技選手にありがちな、化粧っけのないごつい顔の女性を想像していた。

 しかし、オレの目の前には、肩までの長さのサラサラとした黒髪をなびかせている、とびっきりの美人がいた。

 よくよく考えてみれば、弟のヒロがなかなかの美男子であることからすれば、その姉も美人であろうことは容易に想像のつくことだった。


「あら遅かったのね。仕事が思ったよりも早く片付いたので、早めに着いちゃって。こんにちは、そちらがハヤタくん。」

 ヒロの姉の声は、アニメの声優のような可愛くて甘ったるい声だった。


「こんにちは。はじめまして、姫野ハヤタです。この度はお世話になります。」

 オレは、軽くおじぎをしながら挨拶をした。


「とりあえず座ろうぜ。ハヤタは、姉貴の左横に座りな。」

 オレは、ヒロに言われるままに、ヒロの姉の左隣の席に座った。


 その長い黒髪から、シャンプーの良い香りがしてきた。

 ヒロは、ヒロの姉を挟むように、右隣の席に腰掛けた。


 席に着くと、ヒロがあらためて、姉の紹介をしてくれた。

「ハヤタ、これが話していた、ボクの姉貴の『ミツキ』、『松村ミツキ』二十五歳、独身。」


「年齢は余分でしょ。あんたハヤタくんに、私のことどんな風に話したのよ。どうせ、ろくな話しはしていないんでしょう。」

 ミツキさんが、笑いながら返した。


「とても素敵なお姉様だとお聞きしています。」

 オレは、何か気の利いたことを言わなければと思ったが、その思いとは裏腹に、このような台詞しか思い浮かばなかった。


「まあ、いいわ。これからあなたのことは『ハヤタくん』って呼べばいいのかしら。」

 オレは、どこかで聞いた台詞だなと思った。

 姉弟だけあって、まずは呼び方から入るところがヒロと似ている。


「いいえ、『ハヤタ』と呼び捨てで結構です。オレは今日からは『ミツキさん』の弟子ですから。」


「弟子ねえ。じゃあ、私のことは『ミツキさん』ではなくて、『師匠』と呼びなさい。」

 ミツキさんが茶目っ気たっぷりに言った。


 オレからすれば、「師匠」の方が呼びやすい。

 よって、このミツキさんの冗談に乗っからせてもらうことにした。

 ただ、この時点では、単なるミツキさんの冗談に過ぎなかったが、その後、この「師匠」という呼び名がピッタリであったことが分かる……。


「分かりました。じゃあ、『師匠』と呼ばせていただきます。」


「やあね。冗談よ。ハヤタがどうしてもっていうのなら、私はそれでもいいけど。」


「どうしてもです。オレは、母親のことを『ユイさん』と呼んでいるので、外では女性に対して同じような呼び方をするのは勘弁してもらいたいんです。」

オレは、全く理由になっていないと思いながらも、そのように言った。


「そうなんだよ。ハヤタとこの親子って変わっていて、本当にこいつ母親のことを『ユイさん』って呼んでるんだぜ。」

 ヒロも、助け船にはならないようなフォローをした。


「分かった、分かった。じゃあ『師匠』でいいわよ。」

 それでも、ミツキさんは、あきらめたように「師匠」と呼ぶのを認めてくれた。


「それで、ハヤタは、私に、KAZのレクチャーをして欲しいのよね。KAZの選手にでもなりたいの?」

 どうやら、ミツキさんは、ヒロから、なぜオレがKAZのレクチャーを受けたいのか、その目的までは聞いていない様子だった。


「まあ、そんなところです。対戦してみたい相手がいるんですが、それが……。」

 オレは、あからさまに綾瀬ミカと付き合いたいからだと説明するのは憚られたものの、綾瀬ミカと対戦して勝ちたいということまでは伝えておく必要があると考えたので、その旨を答えた。


「綾瀬ミカって、あの高校生チャンピオンの?」


「はい。その綾瀬ミカさんです。」


「あなた、これから初めてKAZをやるのよね。そのずぶの素人が高校生チャンピオンと対戦するって?ハヤタ、あなた本気なの?」

 やはり、ミツキさんもヒロと同じリアクションをした。


「本気です。どうせやるのなら、トップを目指したいと思いまして。」

 オレは、バレバレとは思いながらも、口からでまかせを言った。


「ふーん、トップを目指したいね。まっいいか。どうせ教えるなら、それぐらい威勢のいい子の方がやり甲斐もあるしね。」

 不思議とミツキさんは、それ以上、この点について突っ込んでくることはなかった。


「確認するけど、ハヤタは、これまでに格闘技の経験は全くないのよね。」


「はい。ありません。」


「格闘技ゲームの経験は?」


「そちらの方は、人並みにはあります。普通にコントローラーを使ってやるものですが。さすがにフルダイブ型VRを使ったものは、やったことがありません。」


 このようなやり取りのあと、ミツキさんから、今後のレクチャーについての提案があった。

「分かったわ。それじゃあ、まずはリアルの格闘技からね。ハヤタは、次の六連休は何か予定があるの?もしなければ、その連休を使って、前半の四日間でリアルの格闘技を一通りやって、残りの二日間はKAZに慣れるために実戦形式の対戦をやることにするわ。」


 ちょうど、来週の週末から六連休がひかえていた。オレは、特に予定もなかったので、ミツキさんの提案どおりにKAZのレクチャーをしてもらうことにした。


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