もう1人の記憶
ギルドに戻ると、いつもと変わらないはずの空気が少しだけ違って感じた。
ざわつきはある。
だが、それとは別に――
「……またか」
俺は無意識に周囲を見渡していた。
「どうした?」
誠が声をかけてくる。
「いや……なんでもない」
そう答えるしかなかった。
あの“白”が、頭から離れない。
受付に報告を済ませると、お姉さんは安堵したように微笑んだ。
「無事で何よりです」
「大したことはなかった」
誠が軽く言う。
「それでも、スラム周辺は危険ですから」
お姉さんは少しだけ真面目な顔になる。
報酬を受け取り、俺たちはその場を離れた。
「とりあえず飯でも食うか」
誠が腹をさすりながら言う。
「ああ」
食堂の方へ向かおうとした、その時だった。
「――ねえ」
声がした。
聞き覚えがある。
だが、あり得ない。
「……っ」
振り向く。
そこに立っていたのは――
「高梨……?」
思わず名前が口から出た。
だが、目の前の“それ”は微笑んだまま首を傾げた。
「その名前、懐かしいね」
空気が凍る。
「お前……」
誠が低い声を出す。
「知り合いか?」
「……ああ」
俺は目を逸らさずに答えた。
だが、違う。
こいつは、あの高梨じゃない。
「久しぶり、圭太」
“それ”はそう言った。
「……なんでここにいる」
俺は一歩前に出る。
「どうして、って」
笑っている。
だが、その笑みはあの時と同じ――
冷たい。
「そっちが来たんでしょ?」
「……は?」
意味が分からない。
「ここは“あっち”と繋がってるんだよ」
軽く言う。
まるで当たり前のことのように。
「ふざけるな」
俺は睨みつける。
「お前、何者なんだ」
一瞬だけ、表情が消えた。
そして――
「やっぱり思い出してないんだね」
小さく呟いた。
その瞬間、空気が歪む。
「……っ!」
視界が揺れる。
白が、混ざる。
『……けい……た……』
声が重なる。
「来るな……!」
俺は頭を押さえる。
「圭太!?」
誠が肩を掴む。
「触るな!」
思わず強く振り払う。
誠が驚いた顔をする。
「……悪い」
すぐに我に返る。
だが、もう遅い。
“それ”は一歩近づいていた。
「ねえ、圭太」
距離が近い。
近すぎる。
「あなた、今どこに立ってると思う?」
「……何を言ってる」
息が荒くなる。
「現実?」
首を傾げる。
「それとも――」
その瞬間、周囲の音が消えた。
ギルドのざわめきが、遠くなる。
白が広がる。
「やめろ……!」
俺は叫ぶ。
だが止まらない。
「ここはね」
“それ”が囁く。
「もう境目なの」
ドクン、と心臓が鳴る。
「……境目?」
「そう」
笑う。
「あなたが触れ始めてる場所」
理解が追いつかない。
だが、本能が警告している。
「戻れ……」
俺は一歩下がる。
「これ以上はまずい」
「どうして?」
“それ”は不思議そうに聞く。
「やっと近づいてるのに」
「違う……」
俺は首を振る。
「これは近づいてるんじゃない」
――引きずられている。
その言葉が頭に浮かぶ。
「へえ」
“それ”は少しだけ楽しそうに笑った。
「ちゃんと分かってきてるじゃん」
次の瞬間、頭に強烈な痛みが走る。
「ぐっ……!」
視界が白で埋まる。
断片が流れ込む。
――泣いている少女
――手を伸ばす俺
――崩れていく何か
「……圭太」
はっきりとした声。
「……!」
俺は顔を上げる。
目の前にいる“それ”と、重なる。
同じ顔。
だが、違う。
「……お前は誰だ」
震える声で聞く。
“それ”は一瞬だけ、寂しそうな顔をした。
そして――
「もう一人の記憶だよ」
その言葉と同時に、意識が弾けた。
⸻
「圭太!!」
誠の声。
視界が戻る。
ギルドの中だ。
周囲がざわついている。
「大丈夫か!?」
誠が肩を掴む。
「……ああ」
息を整える。
だが、心臓の音が止まらない。
「今の……」
周囲を見渡す。
もう、いない。
「消えたのか……」
誠が言う。
「いや……」
俺は小さく呟く。
「最初から、ここにいたのかもしれない」
「は?」
誠が眉をひそめる。
「……なんでもない」
俺はごまかす。
だが、はっきりしていた。
あいつは――
“消えた存在”じゃない。
「……記憶」
小さく呟く。
「圭太?」
誠が聞く。
「俺の中にある、もう一つの何かだ」
自分で言っていても、意味が分からない。
だが、それしか説明がつかない。
「やべえな」
誠が笑う。
「お前、どんどん意味わかんなくなってきてるぞ」
「自覚してる」
俺は苦笑する。
だが、冗談じゃない。
これは確実に――
「戻れなくなるな」
俺は空を見上げた。
どこまでが現実で、どこからが“あっち”なのか。
もう、分からなくなり始めている。
それでも――
「……行くしかねえか」
小さく呟いた。
答えは、まだ先にある。




