第八話 右側
植物園に行こう、と言い出したのは修だった。
電車で四十分。都心から少し外れた、広い温室のある植物園だ。付き合い始めたころに一度だけ来て、それきりになっていた。
「なんで急に」
「なんとなく。最近、元気なかったし」
元気がなかったのだろうか。自分ではわからなかった。でも、修がそう見ていたのなら、そうなのだろう。
平日の植物園は、人が少なかった。温室の中は湿っていて、温かくて、眼鏡をかけていたら曇っていただろうと思った。見たこともない形の葉が、天井まで伸びていた。
「これ、食べられるのかな」
「食べるなって書いてある」
「書いてないよ」
「顔に書いてある、植物の」
くだらないことを言い合いながら歩いた。ベンチで缶コーヒーを飲んだ。修が売店で、サボテンの形をしたクッキーを買ってきた。頭から食べるか足から食べるかで、本気で言い合った。
楽しかった。久しぶりに、何も考えずに笑った気がした。
修はたくさん写真を撮った。花の写真と、私の写真。私は写真が苦手だけれど、今日は嫌がらなかった。
夜、家に帰ってから、修のスマホの写真を見せてもらった。
「いい顔してる」と修が言った。
本当に、いい顔をしていた。温室の大きな葉の前で、私が笑っている。目を細めて、口を開けて、何かを言いかけている。こんなふうに笑えるんだ、と自分で思った。
写真をめくっていって、ふと気づいた。
どの写真も、私の右側から撮られていた。
私は、右側から撮られるのが嫌いだ。右の頬に小さなほくろがあって、写真だとそれが妙に目立つ。付き合い始めたころに修にそう言って、それから修は、いつも私の左側に立って写真を撮るようになった。何年も、ずっと。
今日の写真は、全部、右側からだった。
右の頬のほくろが、写っていた。
写っていたのに、少しも気にならなかった。むしろ、その小さな点があるほうが、自然な顔に見えた。写真の中の私は、右側から撮られることを、少しも嫌がっていなかった。
「どうした」
「ううん。今日、右から撮ってたんだね」
「え? ああ、そうかも。だめだった?」
「……ううん。いいよ」
修はスマホを受け取って、写真をもう一度見返した。
「やっぱり、いい顔してる」
私は、自分の右の頬に触れた。ほくろは、ちゃんとそこにあった。
写真の中で笑っている人の頬にも、同じ場所に、同じほくろがあった。




