第四話 受理番号
スマホをなくすと、世界から急に音が消える。
朝、駅のホームで鞄に手を入れて、ないと気づいた。上着のポケット、鞄の内ポケット、もう一度鞄の底。ない。電車が来て、乗るしかなくて、乗った。吊り革につかまりながら、頭の中で今朝の動きを巻き戻した。歯を磨いて、充電器から抜いて、玄関で靴を履いて——そこから先が思い出せない。
会社に着いて、すぐ机の電話から自分の番号にかけた。呼び出し音が鳴って、鳴り続けて、切れた。
「落とした?」と野口さんが言った。「止めた? カード」
「止めたほうがいいですかね」
「とりあえず携帯会社に連絡しなよ。私、去年それで一日仕事にならなかった」
携帯会社に連絡して、紛失の手続きをした。午前中は、何をしても指が勝手にスマホを探した。時刻を確かめようとして、ないことに気づく。メッセージが来ているかもしれないと思って、ないことに気づく。たった一台の機械に、私はこんなに寄りかかっていたのかと、少し情けなくなった。
昼過ぎに、会社のパソコンにメールが届いた。携帯会社からだった。
『お客様の携帯電話機が、拾得物として警察署に届けられました』
ほっとして、椅子の背にもたれた。日本はやっぱり、落とし物が戻ってくる国なのだ。
仕事を早めに切り上げて、警察署へ行った。会計課の窓口で、メールの画面を印刷したものと、免許証を出した。
「三木透子さん。少々お待ちください」
若い警察官が、パソコンの画面を見て、眉を少し寄せた。
「ええと……二件ありますね」
「二件?」
「同じ機種で、同じケースの物件が、もう一件届いていまして」
警察官は、画面を私のほうに向けかけて、やめた。
「こちらの一件は、三木さんのお電話番号で照会がかかっているので、間違いなく三木さんのものです。もう一件は、四日前に届いたものなんですが」
「四日前は、なくしてないです」
「ええ。そちらはもう、返還済みになってますね」
警察官は、何でもないことのように言った。
「どなたに」
「同居のご家族の方、と記録されています」
修だ、と思った。でも、修は何も言っていなかった。四日前に私がスマホをなくして、修が警察まで取りに来たのなら、私が覚えていないはずがない。
「すみません、それ、間違いじゃないですか」
「同じ機種ですから、似た物件が重なることはあります。記録の上では、別の方の物件かもしれません。こちらで確認しておきますね」
警察官は丁寧に頭を下げて、私のスマホを差し出した。見慣れた黒いケース。角の小さな傷。指紋で開くと、ロック画面に、去年の夏に修と撮った海の写真が出た。
私のだ、と思った。
家に帰って、修に話した。
「四日前? 取りに行ってないよ」
「だよね」
「警察のミスだろ。同じ機種なんて山ほどあるし」
修はテレビを見ながら言った。本当に、何も知らない顔だった。
その夜、寝る前に、いつもどおりアラームを確かめた。
六時十分に、セットされていた。
私は、六時十五分に起きる。五分だけ長く寝たくて、何年もずっと、十五分にしてきた。
設定を十五分に戻して、スマホを伏せて、目を閉じた。
五分早く起きる人のことを、考えないようにした。




