第十一話 遺失届
財布をなくした。
今度は、はっきりわかった。会社を出るときには、確かにあった。駅の改札で、定期入れと一緒に鞄から出した。そのあと、どこかで落とした。
警察署に行った。今度は、自分で遺失届を出すためだ。
窓口で用紙をもらって、長椅子に座った。品名、色、形、中身、なくした日時、なくした場所。欄がたくさんあった。
私は、ペンを持った。
今度こそ、ちゃんと書こうと思った。紺色と、普通の、だけで終わらせないように。
『品名:財布(二つ折り)』
『色:焦げ茶色。革。全体に少し色が抜けている』
『特徴:右下の角が擦れて、白っぽくなっている。小銭入れのファスナーの引き手に、赤い糸が一本結んである(取れかけている)』
『中身:運転免許証、保険証、キャッシュカード一枚、クレジットカード一枚、ポイントカード三枚(薬局、パン屋、書店)、現金およそ六千円、レシート数枚、修と撮った証明写真の余り一枚』
書きながら、自分でも驚いた。こんなに言えるのだ、と思った。毎日触っている物の形を、私はちゃんと覚えていた。傘のときとは違う。今度は、ちゃんと私の物だと言える。
用紙を窓口に出した。年配の警察官が受け取って、老眼鏡を額から下ろした。
「詳しく書いていただいて、助かります」
警察官は、私の書いた内容をパソコンに打ち込み始めた。途中で、手が止まった。
「ああ、これは」
「見つかってますか」
「ええ、届いてますね。ただ」
警察官は、画面をもう一度確かめた。
「この内容の物件は、もう返還されていますね。昨日、ご本人様に」
「本人は、私です」
「ええ」
警察官は、私の顔を見た。それから、画面を見た。もう一度、私の顔を見た。
「特徴が、すべて一致しています。赤い糸のことも、証明写真のことも。昨日いらした方が、同じことをおっしゃっていたようで」
私は、カウンターの縁をつかんだ。
「昨日は、なくしていません。なくしたのは、今日です」
「なるほど」
警察官の声は、穏やかだった。困っている人を前にした、慣れた穏やかさだった。
「念のため、身分証明書をお持ちですか」
身分証明書は、財布の中だった。
保険証も、財布の中だった。
スマホを出した。何か、私が私だと示せるものがないかと思って、画面をめくった。写真。修と撮った海の写真。植物園の写真は、修のスマホの中だ。私のスマホにあるのは、私が撮ったものばかりで、そこに私は写っていなかった。
「……ありません」
「そうですか」
警察官は、少し考えてから言った。
「ご家族の方に、確認してみられてはどうでしょう。もしかしたら、ご家族がもう受け取られているのかもしれません。こういう行き違いは、たまにあるんですよ」
ご家族。同居の、ご家族。
私は頭を下げて、警察署を出た。
外は、もう暗かった。財布がないので、電車に乗れなかった。定期入れは鞄にあったけれど、残高が足りるかどうか、わからなかった。
私は、家まで歩くことにした。




