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契約   作者: 時ノやんざ(ときのやんざ)
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7/9

ノア


「くそ……!」


俺は心の中で唱えた。


来い。


次の瞬間、手の中に一枚のカードが現れる。


手のひらに収まるくらいの、小さなカード。


黒い縁。


白い文字。


そして中央には、意味の分からない紋様が刻まれている。


俺はそれを迷わず握り潰した。


グチャ……!


紙を潰した音ではなかった。


もっと湿った、何かの形を無理やり壊すような音。


直後、さっきまで反応していた道具の力が、俺の中へ流れ込んできた。


ナイフの冷たさ。


球体の熱。


真名の奥から湧き上がる、焼けるような痛み。


それらが混ざり合い、胸の奥で暴れ出す。


「っ……!」


視界がぶれる。


爺さんの顔がぼやけて見える。


机。


指輪。


箱。


使用人。


その全部が、少しずつ輪郭を失っていく。


けれど、箱の中身だけは違った。


見えた。


そこに入っていたのは、欠けた輪だった。


指輪、ではない。


腕輪にしては小さく、指輪にしては大きい。


銀色の輪が半分ほど割れ、内側には細かな文字がびっしりと刻まれている。


そしてその中心に、黒い石のようなものが埋め込まれていた。


俺は、それを見た瞬間に理解した。


分かるはずがないのに。


見たことがあるはずがないのに。


それが何なのか、分かってしまった。


「契約具……?」


俺がそう呟くと、爺さんの目がわずかに細くなった。


「やはり読めるか」


「読めるんじゃない。勝手に入ってくるんだよ」


頭の中に、流れ込んでくる。


契約。


封印。


所有者。


継承。


そして。


破棄不可。


「……ふざけるな」


俺は歯を食いしばった。


指輪の内側に浮かんでいた文字が、さらに強く光る。


『契約、確認』


違う。


確認なんかじゃない。


「爺さん」


俺はゆっくり顔を上げた。


「これ、どこで手に入れた」


「答える前に、お前に聞きたい」


「質問してるのはこっちだ」


「お前が右手に握りつぶしたそれ」


爺さんの視線が、俺の右手に向いた。


握り潰したはずのカードの残骸が、まだ指の間にこびりついている。


黒い灰のようになって、ぽろぽろと落ちていた。


「それは、誰から与えられた」


「……知らない」


「知らない?」


「気づいたら使えてた」


爺さんはしばらく黙った。


その沈黙が、嫌だった。


怒っているわけでもない。


驚いているわけでもない。


「そうか」


爺さんは小さく息を吐いた。


その時だった。


箱の中の欠けた輪が、ゆっくりと浮かび上がった。


音もなく。


誰が触れたわけでもなく。


まるで、俺の真名に反応し引き寄せられたかのように。


「おい……」


俺は後ろへ下がろうとした。


だが、体が動かない。


足が床に縫い付けられたように動かない。


ナイフがまた鳴る。


チリ、チリ、と。


球体が胸元で光る。


真名が熱を持つ。


そして欠けた輪が、俺の前で止まった。


内側の文字が、一斉に浮かび上がる。


知らない文字。


知らない言語。


それなのに、意味だけが分かる。


『第一契約者、ノア』


「……は?」


俺は思わず声を漏らした。


爺さんが、低く言った。


「お前の名が刻まれている」


「俺は知らない」


「だろうな。それを知るために、お前を呼んだ」


欠けた輪が、さらに近づいてくる。


だが、その前に。


頭の奥で、声がした。


『見つけた』


女の声だった。


若い。


けれど、どこか冷たい声。


『やっと、繋がった』


次の瞬間、部屋の空気が変わった。


机の上の茶が揺れる。


壁の絵が、かすかに軋む。


窓も開いていないのに、冷たい風が頬を撫でた。


爺さんが初めて、はっきりと表情を変えた。


「まずいな」


「何がだ」


「向こうが気づいた」


「向こう?」


俺が聞き返すより早く、欠けた輪が砕けた。


パキン、と。


乾いた音がした。


銀色の破片が宙に散る。


その破片が光になり、部屋の中央に集まっていく。


光は輪を作った。


扉のような形になった。


その向こう側に、誰かが立っている。


顔は見えない。


けれど、声だけははっきり聞こえた。


『ノア』


俺の真名が、さらに強く焼けた。


膝が崩れそうになる。


それでも、俺は視線を逸らせなかった。


光の向こうの誰かが、ゆっくりと手を伸ばす。


『迎えに来た』


その言葉を聞いた瞬間。


俺の中で、何かが切れた。


「こっちにくるな……!」


俺はナイフを呼び出しそれを抜いた。


チリ、と鳴っていた刃が、今度は低く唸る。


カードの残骸が、黒い灰になって床に落ちる。


俺は睨みつけた。


「俺はまだ、何もしらない」


女の声が、少しだけ笑った気がした。


『なら、思い出させてあげる』


光が弾けた。


白い閃光が部屋を満たす。


最後に見えたのは、爺さんの顔だった。


悔しそうな。


それでいて、どこか安堵したような顔。


「ノア」


爺さんの声が遠ざかる。


「お前は――」


その先は、聞こえなかった。


次の瞬間。


俺の意識は、光の奥へ吸い込まれた。



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