第五話 旅部(仮)初陣!宇治でまちゃまちゃ
五月二日 土曜日
世間が待ちに待った大型連休、ゴールデンウィークの初日。
待ち合わせ場所である三ノ宮駅の中央口は、朝から大きなキャリーケースを持った旅行客や家族連れでごった返していた。
「慧くーん! こっちこっち!」
人混みの中から、ぴょんぴょんと飛び跳ねて大きく手を振る先輩の姿が見えた。その横には、すでに前田と中井さんの姿もある。
「おはようございます。……って先輩、なんかやけにリュック大きくないですか?」
「ふふん! 旅部の初陣やからな! おやつとかレジャーシートとか、色々詰め込んできたんや!」
動きやすそうなオーバーサイズのパーカーにデニムというボーイッシュな先輩に対し、隣の中井さんは、パステルカラーのカーディガンに白いロングスカートを合わせている。
普段のおしとやかな制服姿とは違う、年相応の女の子らしい可憐な私服姿。あの日の帰り際の一件以来、個別でも時々メッセージのやり取りをするようになっているせいで、朝からやけに心臓が落ち着かない。
「おはよう、蒔田くん」
「あ、ああ、おはよう……中井さん」
挨拶を交わすだけで、なぜか少しだけ変な緊張をしてしまう。
「よし! 全員揃ったな! それじゃあ大貴くん、案内よろしく!」
「了解ッス! まずは京都まで行くッスよ!」
◇ ◇ ◇
ゴールデンウィーク初日ということもあり、乗り込んだ京都方面行きの新快速電車は満員だった。
俺たちはドア付近のスペースに四人で固まるようにして陣取った。
「ここから京都駅まで約五十分! そこで奈良線に乗り換えて、目的の宇治まで行くッス!」
前田が手書きの『旅のしおり』を片手に、得意げに解説する。
「おおーっ! さすが関西が誇る新快速やな! めっちゃ速い!」
先輩の言う通り、確かにめちゃくちゃ速い気がする。
俺が横浜にいた頃に乗っていた電車は、特急券でも買わない限りこんなスピードで爆走することはなかった。追加料金なしの普通の切符だけで乗れるのに、車内は進行方向を向いて座れる旅行列車のような座席になっているのも新鮮だ。
今は連休の満員電車でドア付近に立っているとはいえ、普通の通勤電車とは明らかに違うスピード感と雰囲気に、俺も少しだけテンションが上がっていた。
先輩は満員電車にも関わらず、窓の外を流れる景色に目を輝かせている。
三ノ宮を出発した電車は、芦屋、尼崎と過ぎ、淀川を越えてあっという間に大阪へ。ビル群の景色がみるみるうちに変わり、やがて視界が開けて遠くに京都の山々が見えてくる。この目まぐるしく変わる車窓の風景も、旅の醍醐味の一つだ。
そして前田はというと、先輩を守るようにしてスペースを陣取っているせいで、必然的に俺と中井さんは、ドアの隅へ追いやられるように二人並んで立つ羽目になっていた。
やがて電車が大阪駅に滑り込むと、大きな荷物を持った乗客たちが一斉に降りていき、車内に少しだけ余裕ができた。
運よく、俺たちのすぐ目の前の二人掛けの座席が空いた。
「先輩、前田。席空いたよ」
俺が声をかけると、先輩はドアの窓ガラスにへばりついたまま、振り返りもせずに手をヒラヒラと振った。
「ウチはええよ! ドアの方が窓でかいから外よー見えるし! 大貴くんも見るやろ?」
「はいッス! 俺は先輩の隣でこの素晴らしい車窓を目に焼き付けるッス!」
外の景色に夢中ではしゃぐ先輩と、それに追従する前田。まったく、あの二人は本当にブレない。
「……だそうだけど。中井さん、座る?」
「ふふっ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
俺たちは譲り合うこともなく、空いた進行方向を向いた二人掛けの座席に横並びで腰を下ろした。
特急列車のようにふかふかした座席に身を沈めると、いよいよ『旅』が始まったという実感が湧いてくる。
「(よく考えたら、これ……めちゃくちゃ距離近い……!)」
いくら特急列車のようとはいえ所詮は普通電車。二人で座ると肩と肩が触れ合ってしまう。
「(どうしよう、これ絶対に意識してるの俺だけだよな……)」
布越しに伝わる微かな体温に、俺が一人で勝手に緊張していると、ふいに中井さんが口を開いた。
「こうやって電車に乗って遠出するの、なんだかすごくワクワクするね」
少しだけ身を乗り出し、俺の肩越しに窓の外を眺めながら嬉しそうに微笑む中井さん。その無邪気な横顔を見て、俺は素直に頷いた。
「……うん。最初は急に連れ出されてどうなるかと思ったけど、なんか、本当に旅行に来たって感じがして楽しいよ」
「ふふっ、よかった」
俺が飾らずに本音を返すと、中井さんは柔らかく笑った。
休日に私服姿のクラスメイトと、こうして同じ電車に揺られているという非日常感。それが、新学期の慌ただしさの中でどこか後回しになっていた『高校生活』への期待を、少しずつ引き出していくのを感じていた。
「蒔田くん、京都は初めて?」
「うん、初めてだよ」
「そっか。京都って教科書に載ってるような有名なお寺や神社だけじゃなくて、少し足を延ばすだけで全然違う景色が広がってるんだ。美味しいお抹茶や綺麗な和菓子もあるし、本当にいいところがいっぱいあってね、きっと初めてなら楽しいと思うよ」
中井さんは目を細め、どこか愛おしそうに言葉を紡ぐ。
「今日行く宇治も、街の中心を大きな川が流れてて、京都市内とはまた違ったのんびりした空気が味わえる、すごく素敵な場所なの」
「へえ、そうなんだ。前田の熱苦しいしおりだけだとイマイチ想像がつかなかったけど、中井さんの話を聞いてたら楽しみになってきたよ」
「ふふっ。前田くんが練りに練った『最強ルート』にも期待だね」
穏やかな声でそう笑う彼女につられて、俺も自然と笑みをこぼした。
他愛のない会話を交わしているうちに、俺たちは京都駅に到着し奈良線へと乗り換えた。
そして、青色のラインが入った少し古びた電車に揺られること約三十分。
『──まもなく、宇治、宇治です』
車内に穏やかなアナウンスが響き、電車はゆっくりとホームへ入った。
◇ ◇ ◇
「よし、じゃあ大貴くん! 案内頼んだで!」
俺たちは宇治駅で下車し、さっそく『平等院表参道』と呼ばれる平等院の正門まで続く道へ向かう。
道の両脇には歴史を感じさせる立派な店構えのお茶屋や土産物屋がズラリと軒を連ねている。通り全体に、ほうじ茶や抹茶を焙煎する香ばしい匂いが立ち込めており、ゴールデンウィークの初日ということもあってすでに多くの観光客で賑わっていた。
「もちろんッス! じゃあまずはみんな、喉乾いてないですか?」
前田が先頭を歩きながら、しおりを片手に振り返る。
確かに、初夏の陽気と電車での長距離移動もあって、ちょっと何か飲みたいな。
「うん、ちょっと乾いてる」
「よし、ちょうどいい! なんと今回、みんなで抹茶を点てます! そのためにちゃんと予約もさせていただきやした!」
「えっ、マジで?」
「おおーっ! 大貴くん、めっちゃ有能やん!」
てっきりその辺の出店で抹茶ラテでも買って飲むだけかと思いきや、まさかの体験教室を予約済み。俺は昨日の小テストでも二点を取っていたこいつを、初めて『旅部のブレイン』として少しだけ見直した。
賑やかな参道を少し歩いた先で、前田が立ち止まった。
見上げれば、いかにも歴史のありそうな老舗のお茶屋が建っている。木の温もりが感じられる立派な店構えは、ただそこにあるだけで凛とした良い雰囲気を放っていた。
のれんをくぐって店内へ入り、前田が店員さんに予約番号を伝えると、俺たちは奥の静かな別室へと案内された。
通された体験スペースの机の上には、日常ではまずお目にかからない、ずっしりと重厚な石臼がいくつか鎮座していた。
「本日はよろしくお願いします。皆さまにはまず、この石臼を使って、茶葉を挽くところから体験していただきますね」
和服姿の店員さんがにこやかに説明してくれる。
どうやら、乾燥させた茶葉(碾茶・てんちゃというらしい)をこの石臼でゴリゴリと一定のリズムで挽いて、粉末状の『抹茶』にするところから始まる、本格的な体験コースらしい。
「うおおぉっ! ウチ、こういうのやってみたかったんや!」
さっそく先輩が腕まくりをして、力いっぱい石臼の取っ手を握る。
「おりゃりゃりゃりゃりゃっ!」
「あ、お客さま! そんなに勢いよく回すと摩擦熱でお茶の風味が飛んでしまいますし、粉が粗くなってしまいます! もっとゆっくり、一定のリズムで……!」
「えっ、そうなん!?」
開始五秒で店員さんに怒られる先輩。本当にブレない。
「あははっ! みのり先輩、貸してみて」
思わずといった様子で、中井さんが声を上げて笑った。普段の『ふふっ』という控えめな笑い方とは違う、年相応の無邪気でラフな笑顔だ。
見かねた彼女が楽しそうに先輩と交代し、すっと背筋を伸ばして石臼の取っ手に手を添えた。
「こういうのは力を抜いて……こうだよ」
ゴリ……ゴリ……。
静かな部屋に、一定の心地よい重低音が響き始める。中井さんの流れるような所作は、まるで昔からお茶を嗜んでいるかのように板についていて、思わず見とれてしまうほど絵になっていた。
「おっ、中井さんすごい。なんか様になってるな」
「さすがしーちゃんやぁ……ウチと違ってめっちゃ綺麗や!」
「(いや、先輩、あれはもう論外です……)」
思わず心の中でツッコミを入れてしまう。
「お上手ですよー! その調子で、リズムを保ったまま挽いてみてくださいね」
店員さんからのお墨付きももらい、中井さんは嬉しそうに微笑みながらゆっくりと石臼を回し続ける。
「ふふっ、ありがとう。少し重いけど、お茶のすごくいい香りがして楽しいよ。……蒔田くんもやってみる?」
「お、俺も?」
促されるままに俺も取っ手を握る。見た目以上にずっしりとした手応えがあり、これを均等なリズムで回すのは意外と難しい。
だが、挽きたての茶葉の香りは、ペットボトルの緑茶とは比べ物にならないほど芳醇で、深く深呼吸したくなるような心地よさがあった。
その後、自分たちで挽いたきめ細かい抹茶の粉を茶碗に移し、茶筅を使ってシャカシャカと点てていく。
「うわぁ……美味しい!」
自分で挽いて点てた、濃い緑色の抹茶。
一緒に運ばれてきた上品な和菓子をかじり、茶碗に口をつける。爽やかな甘さの奥に本格的なほろ苦さが広がり、移動で疲れた体にすーっと染み渡っていった。
「いやー、最高ッスね! どうや蒔田! 俺の完璧なプロデュース!」
「……ああ。今回ばかりは、お前の言う通り『最高』だったよ」
ドヤ顔の前田に、俺は素直に負けを認めた。
「……先輩、がっつきすぎです」
ふと横を見ると、出された色鮮やかな茶菓子をリスのようにむさぼる先輩がいた。
「え~、だってこればり美味しいんやもん!」
「ふふっ、確かに美味しいね」
一方、中井さんはというと、添えられた黒文字(和菓子用の細い楊枝)を使って綺麗な和菓子を小さく切り分け、上品に口へと運んでいる。
口の周りに粉をつけて頬張る先輩と、背筋を伸ばして静かに味わう中井さん。同じものを食べているはずなのに、まるで別の生き物を見ているようだった。




