第四話 旅部、結成(仮)!
四月二十四日 金曜日
六甲山の展望台で『百万ドルの夜景』を見下ろしてから、早いもので二週間が過ぎていた。
新学期のバタバタとした空気もようやく落ち着きを見せ始めた頃。明日から週末、そしてその先にはゴールデンウィークが控えているということもあり、昼休みの教室はどこか浮き足立った空気に包まれていた。
そんな中、俺は自分の席で弁当を広げながら、目の前で鬼気迫る表情でスマホの画面をスクロールしている前田に呆れ声を出した。
「おい前田。お前、さっきから飯も食わずに何やってるんだよ」
「静かにしろ蒔田。今、ゴールデンウィークに向けて『関西の穴場・絶景スポット十選』をリストアップしてるとこやねん。みのり先輩に『大貴くんにしか頼めへん』って任された大事なミッションなんや……!」
「お前、完全にあの人のパシリになってる自覚ある?」
「パシリちゃうわ! 『旅部のブレイン』や!」
鼻息を荒くする前田を見ながら、俺は深いため息をついた。
六甲山でのあの日、夜景に感動して「一生ついていく」と宣言した前田だったが、その翌日、先輩にあっさりと捕獲された。
『大貴くんのその行動力と情報収集能力、見込んでたで! ウチの右腕になってくれへん!?』
そんな先輩の調子のいい言葉(と上目遣い)に完全に骨抜きにされた前田は、「俺に任せてください!」と二つ返事で『部活動 設立申請書』の四人目の枠に名前を書き込んでしまったのだ。
それ以来、前田は先輩にいいように使われ、休日の電車の時刻表調べから観光地のリサーチまで、嬉々として雑用をこなしている。本人が幸せそうだから俺からは何も言わないが、傍から見れば完全に手のひらの上で転がされていた。
「……で、その『旅部のブレイン様』に聞きたいんだけど。肝心の顧問は見つかりそうなのか?」
俺の痛いところを突く質問に、前田の手がピタッと止まった。
そう。部員が四人揃い、これで晴れて「旅部」結成だ!……と喜んだのも束の間。部活動として学校に認めてもらうには「顧問の先生」が必要不可欠だったのだ。
というのも、既存の部活なら学校が自動的に顧問を割り振るが、ゼロから新設する場合、自分たちで引き受けてくれる先生をスカウトしなければならないらしい。
しかし、実績もない、何をするのかもよく分からない怪しげな部活に名前を貸してくれるような物好きな教師はそう簡単に見つからず、この二週間、俺たちは完全に暗礁に乗り上げていた。
周りのクラスメイトたちは、すでに仮入部期間を終えて新しい部活に正式に所属し始めている。五月を目前に控えたこの時期、どこの部も新入生を迎えて本格的に始動しているというのに、俺たちはまだスタートラインにすら立てていないのだ。
「そ、それは……俺の管轄外や。先輩がなんとかするって言うとったし……」
前田が目を泳がせたその時、教室の扉がガラッと開いた。
「慧くーん! 大貴くーん!」
もはや見慣れた光景になりつつある。嵐のような井上先輩の登場に、クラスメイトたちは「またか」という顔で一瞥し、すぐに金曜日の気の抜けた日常に戻っていった。たった二週間でこの適応力、うちのクラスも大概だ。
「先輩、廊下は走っちゃダメですよ……」
その後ろから、少し息を切らした中井さんが小走りでついてくる。相変わらずおしとやかで、少し乱れた髪を直す仕草がまた絵になっていた。
「おおっ! みのり先輩! 頼まれてた連休のリスト、ばっちり完成してますよ!」
「ほんま!? さすが大貴くん、頼りになるわぁ!」
「へへっ、任せてください!」
犬のように先輩に褒められて尻尾を千切れんばかりに振る前田を横目に、俺は本題を切り出した。
「で、先輩。顧問探しはどうなりましたか? もう二週間経ちますけど」
「うっ……」
先輩が、分かりやすくピタッと固まった。
「……先輩。まさか、何も進んでないんですか?」
「そ、そそそそんなわけないやろ! ちゃんと全学年の先生に声かけまくって……全滅しただけや!」
「それ何も進んでないのと同じですよ」
「うわぁぁん! しーちゃん! 慧くんがいじめるー!」
頼みの綱とばかりに中井さんに泣きつく先輩。
中井さんは困ったようにふふっと笑うと、少し考え込むように小首を傾げた。
「そうですね……それなら、地理の藤原先生はどうでしょうか?」
「地理の先生?」
「はい。私、今日の午前中の授業が藤原先生だったんですけど、週末にご自身が行かれた旅行の話をずっとされてて。若い頃はよくバックパッカーもされていたみたいで、すごく旅がお好きな方ですよ」
さすがは探求科。観察眼が鋭い。
「それや! さすがしーちゃん、完璧な人選や! よし、さっそく藤原先生のところへ突撃やー!」
先輩は満面の笑みで復活すると、申請書を握りしめ、教室を飛び出していった。
「あ、待ってください先輩!」
中井さんが慌てて追いかける。
「俺たちも行くぞ蒔田!」
「いや、俺たちはもう飯食おうぜ……」
弁当の蓋を閉める暇もなく、俺は前田に背中を押されて教室を出る羽目になった。
「(飯食えずに昼休み終わりそう……)」
◇ ◇ ◇
職員室の入り口。
俺たちは扉の影から、中の様子を固唾を呑んで見守っていた。
「えー、で、君らがその『旅部』を作りたいと」
「はい! それで、藤原先生にぜひ顧問をお願いしたいんです!」
白髪交じりの温和そうな男性教師──藤原先生に対し、先輩が身を乗り出して力説している。
「うーん……気持ちは分かるんやけどな。私も色々と忙しくて、新しい部活の面倒まで見れるかどうか……」
藤原先生は困ったように頭を掻いている。やはり、そう簡単に首を縦には振ってくれないようだ。
「そこをなんとか! 名前を貸してくださるだけでいいんです!」
「いや、そういうわけにもいかんやろ……」
押し問答が続く。このままでは今回も却下されそうな雰囲気だ。
俺が助け舟を出すべきか迷っていると、不意に中井さんがすっと先輩の横に並び立った。
「藤原先生。今日の授業で仰っていた、先生が学生時代に回られたという東南アジアのお話、とても面白かったです」
「おっ、確か君は……三組の中井さんやね。雑談までしっかり聞いてくれとったんやな」
「はい。私たち『旅部』は、ただ旅行に行くだけではなく、その土地の歴史や風土、文化を深く学ぶことを目的としています。活動の報告として、旅の記録をまとめたレポートを定期的に提出いたしますので、ぜひ先生の専門的なご意見を伺えないでしょうか」
中井さんの理路整然とした言葉に、藤原先生の目が少しだけ丸くなった。
「それに」
中井さんはふわりと、とびきり可憐な笑みを浮かべる。
「先生がご存知の素晴らしい景色の数々を、私たちにもたくさん教えていただきたいんです」
「…………」
藤原先生は数秒間沈黙したあと、大きく咳払いをした。
「……こほん。まぁ、そこまで熱心に言うなら、若い学生の探求心を無下にするわけにはいかんな。レポートの提出を条件に、それの内容次第では引き受けよう」
「ほんまですか!? ありがとうございます先生!」
先輩が歓喜の声を上げる。
「ただし、この申請書は私が一旦預かっておく」
「えっ?」
「本当に君たちが真面目に活動するかどうか、まずは最初の旅のレポートを提出しなさい。それがしっかり書けていたら、その時にこの申請書にハンコを押して、正式に学校に提出してやろう。それまではまだ『仮』の部活や」
「望むところです! 絶対すんごいレポート書いたるから、待っといてくださいね!」
廊下で見ていた俺と前田は、顔を見合わせた。
「中井さん……交渉術のバケモノかよ」
「やっぱ探求科は頭いいんだな……」
そして俺たちは、普段のおしとやかで可愛い雰囲気からは想像もつかない彼女の頭の回転の速さに、どちらからともなく無言で深く頷き合った。
「やったーーーっ!!!」
その直後、勢いよく扉を開けて飛び出してきた先輩に危うく轢かれそうになる。
「慧くん! 大貴くん! 聞いた!? 条件付きやけど、これで顧問ゲットや!」
バシバシと俺たちの背中を叩きながら、先輩が飛び跳ねている。その後ろから、中井さんが「失礼しました」と静かに職員室の扉を閉めて出てきた。
「中井さん……マジですげぇわ。俺、一生ついていくッス」
前田がなぜか中井さんに向かって拝むようなポーズをとっている。中井さんはきょとんとした後、「ふふっ、藤原先生が優しくてよかったね」と可憐に微笑んだ。その姿はやっぱり、どこにでもいる清楚で可愛い女の子そのもので、俺たちはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「よしっ! 最大の壁は越えた! 放課後、いつものカフェで第一回ミーティングを開くで!」
◇ ◇ ◇
放課後。
いつもの駅前のカフェ。窓際の四人掛けテーブルには、運ばれてきたばかりのアイスティーやコーヒーのグラスが並んでいた。
「いやー、長かった! 二週間も足踏みしたけど、これでようやく私の野望の第一歩が踏み出せたで!」
先輩がストローを咥えてアイスティーを一気に半分ほど飲み干し、満足げに鼻を鳴らす。
「ですね! 俺たちの旅部としての青春が、いよいよここから始まるんスね!」
前田も自分のメロンソーダの氷をカランと鳴らしながら、身を乗り出して深く頷く。
「いや、まだ始まってないですよ。藤原先生に申請書保留にされてるじゃないですか。最初のレポート出して認めてもらうまでは、俺たちまだただの同好会未満の集まりですよ」
俺が現実的なツッコミを入れると、先輩は「分かっとるわ!」と笑って言い返してきた。
「せやから、さっそくその『実績』を作るための旅の計画を立てるんや! ただの旅行ちゃうで。藤原先生を唸らせるような、完璧な初陣にするんや!」
「はいっ! 先輩、実は俺、連休に向けた行き先リスト、もう完璧に作ってあります!」
「おおっ! さすがウチの有能なブレインや! 仕事が早い!」
目を輝かせる先輩と、褒められてデレデレになっている前田。すでに前田のテーブルの上には、付箋がびっしり貼られたガイドブックとノートが広げられている。
向かいの席の中井さんは、「ふふっ、これから忙しくなりそうだね」と微笑みながら、グラスの水滴を指でなぞっていた。
……ちなみに言っておくと、この二週間一緒に過ごしてきて分かったことだが、前田はめっちゃバカである。つい昨日の数学の小テストでも、俺の隣で目を疑うような一桁の点数を叩き出していた。
「……先輩。こいつをブレイン扱いしてますけど、前田こないだの小テスト二点でしたよ」
「ばっ、お前! 二人の前でバラすなや! 俺の尊厳が!」
「えーっ、そうなん!? あはは! まあ旅の知識と学校の勉強は別腹やから気にせんでええよ!」
カラカラと笑って前田の肩を叩く先輩。
「はぁ……先輩ってホント、能天気というか……」
俺が呆れてため息をついた、その時だった。
「ふふっ、みのり先輩にそう言ってもらえると救われるね。先輩、ああ見えて探求科でずっと学年トップクラスなのに」
向かいの席の中井さんが、グラスのストローを弄りながら、とんでもない爆弾をさらりと落とした。
「え、学年トップ……?」
俺は中井さんのその発言に目を丸くした。
「うん、そうだよ? みのり先輩って中学の時からめっちゃ頭よくて、ずっと指五本に入るくらいだったよ」
「しーちゃん! それは言わんって約束やんか!」
先輩が顔を真っ赤にして慌てふためいている。
「えっ……待って。探求科って、中井さんと同じ特進クラスですよね? しかも学年で指五本に入るって……?」
俺は本気で世界がバグったのかと自分の目を疑った。
こんなに行き当たりばったりで、隙あらば人を拉致し、ポンコツっぷりを遺憾なく発揮しているこの人が、正真正銘の『超秀才』!?
「天は二物を与えすぎやろ……俺の尊厳、完全に消滅したわ……」
がっくりと机に突っ伏して嘆く前田。俺も同感だ。世の中の理不尽を呪いたくなる。
「ま、まあまあ! 成績のことなんて今はええやん! 大事なのは部活(仮)の初陣やで!」
先輩がパンッと手を叩き、顔を赤いまま強引にガイドブックへと話を戻した。
「ほら、大貴くん! そのリストの中で、どっかレポートのネタになりそうなええとこないの?」
「えっと……」
前田が気を取り直してノートをめくろうとした時、向かいの席の中井さんが、ガイドブックのあるページをすっと指差した。
「あ、ここはどうかな?」
「ん? しーちゃん、どこどこ?」
「京都の『平等院』。十円玉の裏に描かれてる有名な場所だし、今の時期なら藤の花がちょうど見頃のはずだよ。歴史のある場所だから、レポートも書きやすいんじゃないかな」
「おおっ! 平等院! ええやん!」
先輩が身を乗り出して目を輝かせた。
「歴史も学べて景色も綺麗なら、藤原先生を唸らせるレポートにはもってこいやな! よし、旅部の初陣は京都の『平等院』に決定や!」
「了解ッス! 明日の朝までに完璧なルートと予算を割り出しておきます!」
前田もすっかりいつもの調子を取り戻し、得意げに胸を張った。
「あ、そうや! 部活のグループPINEつくろ!」
先輩は思い出したかのようにスマホを取り出す。
「え、今ですか?」
「せや! 連絡網は大事やからな。えーっと、慧くんとしーちゃんと、大貴くんの連絡先も交換して……よし、できた!」
ピコン、ピコン。
俺と前田、そして中井さんのスマホが、ほぼ同時に短い通知音を鳴らす。
画面を開くと、『最強旅部(仮)』という、ツッコミどころ満載な名前のグループトークに招待されていた。
「うおぉぉ! みのり先輩と詩乃ちゃんのいるグループ……! 家宝にするッス!!」
「前田、俺もいるからな。忘れるなよ」
「ふふっ。これなら、いつでも相談できるね」
さっそくクマがハイテンションで踊るスタンプを連続で送りつけてくる先輩に、中井さんが可愛らしい猫のスタンプで返信している。
ドタバタと騒がしいやり取りを眺めながら、俺も画面に『よろしく』とだけ短く打って送信した。
◇ ◇ ◇
店を出て、それぞれの帰路につくため駅の改札へと向かう道中。
相変わらず騒がしい先輩と、すっかり舎弟と化して「先輩の荷物持ちますよ!」とまとわりつく前田が数歩前を歩き、俺はその後ろを中井さんと並んで歩いていた。
すると俺のスマホが短くブルっと震えた。
グループからの通知にしては控えめな振動。取り出して画面を見ると、PINEの通知画面には、さっきのグループからではなく、個別での友達追加を知らせるメッセージが表示されていた。
『中井詩乃があなたを友達に追加しました』
「えっ」
思わず隣を見ると、スマホを両手で持った中井さんとバッチリ目が合った。
彼女は俺の顔を見ると、ふわりと可憐に微笑み、自分の唇にそっと人差し指を当てた。
「……前田くんには内緒ね。彼に教えると、毎日スタンプが飛んできて大変そうだから」
前を歩く二人に聞こえないほどの小さな声で、少しだけ悪戯っぽく囁かれる。
「あ、ああ……分かった。よろしく」
俺がドギマギしながら慌てて『追加』のボタンを押し返すと、中井さんは嬉しそうにコクリと頷いた。
普段のおしとやかな雰囲気の中に、ふと見え隠れするこういう女の子らしい抜け目なさ。正直、めちゃくちゃ心臓に悪い。
そんな俺の焦りなど知る由もなく、手元のスマホがブルブルと連続で震え出した。
画面を開くと、できたばかりのグループ内で、前田と先輩が無意味なスタンプ合戦を繰り広げている。数歩前を歩く二人の騒がしい笑い声が、そのまま画面の中で飛び跳ねているみたいだった。
次々と更新されていく賑やかなトーク履歴。それを見つめていると、これからこのメンバーでどんな場所に連れ回されるのだろうかと、呆れ半分、楽しみ半分の気持ちで自然と口元が緩んでしまった。
見知らぬ街、知らない駅。
入学初日、急かされるように点滅していた地図アプリの青い点は、もう気にならない。
俺の高校生活の三年間という舞台は、どうやら最高に騒がしくて、最高に退屈しない旅になりそうだ。




