第12話 名古屋でドキドキ
五月十八日 日曜日
雲一つない青空が広がる、絶好の観光日和。
大阪・難波から真っ赤な近鉄特急『ひのとり』に揺られること約二時間。ふかふかの座席で快適な列車の旅を満喫した俺たち旅部の五人は、大勢の観光客でごった返す名古屋駅のコンコース、巨大な『金時計』の下に集結していた。
先週の愛媛ゲリラ合宿とは違い、今日は事前に計画された正式な部活動だ。
それぞれが思い思いの私服に身を包んでいる。
「じゃ、私はさっそく『大人の社会見学』に行ってくるから。夕方五時にまたここに集合な」
「先生、大人の社会見学ってどこ行くんですか?」
「決まっとるやろ。中京競馬場や。愛知の馬場は芝のコンディションが……おっと、これ以上は生徒に教えることやないな」
「ただのギャンブルじゃないですか!」
俺のツッコミを華麗にスルーして、藤原先生は足取りも軽く名鉄線の改札口へと消えていった。
気を取り直したように、先輩がパンパンと手を叩く。
「ほんならウチらも行動開始や! 行くで大貴くん、うちらはまず『名古屋城』を攻め落とす! 金の鯱を拝んだ後は、大須商店街で味噌カツと手羽先の食い倒れ調査や!」
「うおおお! メシ! 行くっす先輩! 俺の胃袋の限界を見せてやるっす!」
「その意気や! あ、大須で生徒会への賄賂も大量に買うから、カゴ持ち頼むで」
「だから俺は荷物持ちかァァ!」
食欲と絶望の狭間で叫ぶ大貴の首根っこを掴み、先輩は嵐のように地下鉄の改札へと消えていった。
残されたその場には、俺と詩乃だけがポツンと取り残された。
「……行っちゃったな」
「うん。……行っちゃったね」
静寂。いや、駅構内だから周囲はものすごく騒がしいはずなのに、なぜか俺と彼女の間だけ、変に静かで甘い空気が流れている気がした。
「えっと……」
俺は誤魔化すように後頭部を掻きながら、隣に立つ詩乃を盗み見た。
今日、待ち合わせ場所に現れた彼女を見た瞬間から、俺の心臓は実のところずっと警鐘を鳴らしっぱなしだった。
淡いミントグリーンのカーディガンに、ふわりと揺れる白いロングスカート。柔道部時代には縁がなかったであろう、女の子らしくて可憐な私服姿。
少しだけ丁寧にセットされた髪からは、いつもよりはっきりと甘いシャンプーの香りが漂ってきている。
「(……やばい。可愛すぎる)」
俺が内心で悶絶していると、詩乃が少しだけ上目遣いでこちらを覗き込んできた。
「ね、慧くん」
「っ、お、おう。なんだ?」
周りに誰もいないからこその、堂々とした下の名前呼び。
その破壊力に少しだけ声が裏返ってしまった俺を見て、詩乃はふわりと微笑んだ。
「その……二人きりになっちゃったね。なんだか、デートみたい」
「ぶっ!」
あまりにもストレートな言葉に、俺は思わずむせてしまった。
「デ、デートって……。一応、部活の調査だから! レポート書かないと、また会長に怒られるし」
「ふふっ、わかってるよ。でも、慧くんと二人で回れるの、すごく楽しみにしてたから」
無邪気に笑う彼女の笑顔は、今日の名古屋の青空よりもずっと眩しかった。
これ以上彼女の顔を見ていると、色々と理性がショートしそうだ。
「……そ、そうだな! せっかく大貴たちが体張ってくれてるんだし、俺たちも楽し……いや、しっかり調査しないとな! で、Bチームの行き先は?」
俺が無理やり話題を変えると、詩乃は持参した小さなガイドブックをパタパタと振った。
「えっとね、歴史があって、緑がいっぱいの場所! 『熱田神宮』に行きたいな!」
◇ ◇ ◇
名鉄名古屋駅から電車に揺られること数分。
神宮前駅を降りて少し歩くと、街の喧騒が嘘のように、深い緑に囲まれた広大な森が現れた。
三種の神器の一つである『草薙神剣』を祀る、全国でも屈指の由緒ある大社、熱田神宮だ。
「わぁ……空気が全然違うね。すごく静か」
巨大な鳥居をくぐり、玉砂利の敷き詰められた参道を歩きながら、詩乃が感嘆の吐息を漏らす。
樹齢千年を超えるという巨大な楠が木陰を作り、初夏の少し汗ばむ陽気を涼やかに和らげてくれていた。
「松山城の時も思ったけど、詩乃ってやっぱり歴史とか古い場所が好きなんだな」
「えへへ、うん。おじいちゃんの影響もあるけど……それに、ここって三種の神器の『草薙神剣』が祀られてるんでしょ? 神話の時代の武具が眠ってるって思うと、なんだかすごくワクワクしちゃって」
目をキラキラと輝かせながら言う詩乃。
松山城の登り石垣に目を輝かせていた時もそうだが、さすがは元武闘派。神聖な場所でも着眼点が少しだけバトル寄りだ。
そんなギャップも彼女らしくて、俺は思わずクスッと笑ってしまった。
「よし、じゃあしっかりお参りして、草薙の剣のパワーをもらっていかないとな」
「うんっ!」
本宮で手を合わせ、静かにお祈りをする。
隣で目を閉じている詩乃の横顔は、木漏れ日に照らされてどこか幻想的だった。
お参りを済ませた後、俺たちは参道の端にある少し開けた場所で立ち止まった。
「……ねえ慧くん、ちょっと写真撮ってもいい?」
「ああ、もちろん。俺も報告書用の写真を撮っとかないと」
詩乃がスマホを取り出し、美しい本宮の建物を背景にパシャリとシャッターを切る。
俺も風景を撮ろうとスマホを構えた。だが、画面越しに見える彼女の横顔があまりにも綺麗で、自然と目が惹きつけられてしまう。
ただの風景写真じゃなくて、この景色の中にいる彼女を残しておきたい。
そう思った俺は、意図して、景色ではなく彼女の姿を画面の中央に収めた。
カシャッ。
「えっ?」
シャッター音に気づいた詩乃が、不思議そうにこちらを振り向いた。
「け、慧くん……? 今、私のこと撮った?」
「ち、違う! これはその……神宮のスケール感を出すために、人物が写ってた方がいいかなって思って! あくまで報告書用の資料として!」
焦って早口で言い訳を並べる俺。
しかし、詩乃は怒るどころか、少しだけ頬を赤く染めて、小さく首を傾げた。
「……ほんと?」
「ほ、ほんとだ!」
「ふーん……」
詩乃は悪戯っぽく目を細めると、トンッと軽く一歩、俺の方へと距離を詰めてきた。
甘い香りが、さっきよりもはっきりと伝わってくる。
「じゃあ……私と一緒に写ろ? 『二人でちゃんと調査してます』って、会長さんへの証拠にもなるし」
「えっ、一緒にって……」
「はい、チーズ!」
有無を言わさず、詩乃が自分のスマホを掲げ、俺の腕にピタリと体を寄せてきた。
その瞬間、密着した腕に、むにゅっとした明らかな『柔らかみ』が押し付けられた。
「(え、ちょっ、当たってる……っ!)」
女の子特有の温もりと、主張するような柔らかな感触。
俺の心臓は、ついに限界を突破して早鐘のように鳴り始めた。
カシャッ。
「ふふっ、撮れた。……慧くん、顔真っ赤だよ?」
「そ、そうかな。今日は歩いて暑いからな」
俺が必死に目を逸らして言い訳をすると、詩乃は不思議そうに小首を傾げた。
そして、自分の視線を少しだけ下に落とし――胸が俺の腕にどう密着しているのかに気づいたらしい。
普通ならここで離れるところだろう。だが、今日の詩乃は少し違った。
「……ふーん? 本当に、暑いだけ?」
詩乃はニシシと悪戯っぽく笑うと、離れるどころか、さらに自分の両腕を俺の腕に絡めて、ギューッと密着してきたのだ。
「っ!? ちょっ、詩乃……!」
「慧くんがえっちなこと考えてるから、暑いんじゃないの?」
腕に押し付けられる感触がさっきよりも強くなり、俺の顔は間違いなく茹でダコのように沸騰した。
下から覗き込んでくる上目遣いと、とびきり小悪魔な笑顔。
……元柔道部のホープは、こういう物理的かつ心理的な攻撃力まで規格外らしい。
俺はもう、心臓の音を誤魔化すのに必死で、何も言い返せずにその場で固まるしかなかった。
「……なんてねっ」
不意に、詩乃がパッと腕を解き、トンッと一歩後ろに下がった。
見ると、からかっていたはずの彼女自身も、耳の裏まで真っ赤に染まっているではないか。
「……ご、ごめん。ちょっとやりすぎちゃった。慧くんがカチコチになってるのが面白くて、つい……」
「……自分からやっておいてなんで照れてるんだよ。こっちの身にもなれっての」
「うぅ……ごめんなさい」
シュンと肩を落として上目遣いで謝られると、これ以上怒る気にもなれなかった。
むしろ、小悪魔モードから一転して素の恥じらいを見せられると、ギャップでさらに心臓を持っていかれそうになる。
「……まあ、いいけどさ。そろそろお腹空かないか? せっかく名古屋に来たんだ、美味いもん食べに行こう」
「うんっ! 私、絶対食べたいものがあるの!」
パッと顔を輝かせた詩乃と共に、俺たちは熱田神宮から電車で少し移動し、地元の人たちで賑わう路地裏の老舗とんかつ屋へとやってきた。
◇ ◇ ◇
「わぁぁ……! すごい! 鉄板でジュージュー言ってるよ!」
「観光客向けのチェーン店もいいけど、せっかくならガチの味噌カツを食べておきたいよね」
目の前に運ばれてきたのは、熱々に熱された鉄板。その上に敷き詰められたキャベツと、ドドンと鎮座するわらじのように巨大なトンカツ。
そして何より目を引くのが、カツ全体を覆い尽くす、漆黒に近い濃厚な八丁味噌のタレだ。鉄板で味噌が焦げる香ばしい匂いが、暴力的なまでに食欲を刺激してくる。
「よし、冷めないうちに……いただきますっ」
箸で分厚いカツを一切れ持ち上げ、フーフーと息を吹きかけてからパクリと口に含んだ詩乃は、「ん〜っ!」と声にならない歓声を上げて頬を手で押さえた。
「美味しいっ! 外の衣はサクサクなのに、お肉がすっごく柔らかい! それにこのお味噌、ただ甘いだけじゃなくて、コクと渋みがあって……ご飯が無限に食べられちゃいそう!」
「本当だ。この濃厚さは別格だな……。キャベツと一緒に食べると、ちょうどいいバランスになる」
俺も思わず顔をほころばせる。
見た目はかなりパンチが効いているが、長年継ぎ足されてきたであろう本格的な八丁味噌のタレは、しつこすぎず奥深い味わいだった。
食欲の赴くままにガチの味噌カツを堪能していると、ふいに制服のポケットの中でスマホが震えた。
『助けて。先輩が大須商店街でエビフライと台湾ラーメン食った直後に、「おやつは味噌カツや!」って言い出した。俺の胃袋と両腕がもげる』
画面には、大貴からのSOSメッセージと共に、両腕に大量の土産袋を提げて白目を剥いている大貴と、その後ろで満面の笑みでピースサインをするみのり先輩の自撮り写真が送られてきていた。
「ぷっ……あはははっ! 大貴くん、すっごく荷物持たされてる!」
「あいつ、マジで地獄を見てるな……。あみだくじで俺がそっちになってたかと思うと、ゾッとするよ」
「ふふっ。私は、慧くんとこっちのチームになれてよかったな」
味噌ダレのついた口元をペーパーで拭きながら、詩乃がニコッと微笑む。
その何気ない一言が嬉しくて、俺は照れ隠しのように残りのカツと白米を胃袋へと流し込んだ。
「さて、お腹もいっぱいになったし……午後の行き先、どうする? 大須商店街とか名古屋城の歴史調査は大貴たちが体張ってくれてるしな」
「それなんだけどね、せっかくの名古屋だし……『水族館』に行きたいな!」
「水族館? 名古屋港のやつか」
「うん! シャチが見られるんだって! 日本でも数ヶ所しかないみたいだし、これも立派な海洋生物の生態調査の報告になると思うの!」
生態調査、というもっともらしい言い訳を用意しているあたり、彼女もすっかり旅部のゲリラ気質に染まってきているらしい。
シャチが見たいと目を輝かせる彼女を前に、俺が断る理由なんて一つもなかった。
「よし、じゃあ午後の作戦は決まりだな。行こう、詩乃」
麦茶を飲み干して立ち上がった俺に、詩乃は「うんっ!」と元気よく頷き、俺の隣へと小走りで並んだ。
◇ ◇ ◇
地下鉄名港線に揺られ、終点の名古屋港駅を降りると、潮の香りが微かに鼻をくすぐった。
目の前に現れたのは、巨大なドーム型の屋根を持つ『名古屋港水族館』だ。
「わぁ……! すっごく大きいね! ねえ慧くん見て、あそこの看板に大きなシャチの絵が描いてあるよ!」
建物の全貌が見えた途端、詩乃はパァッと顔を輝かせ、ピョンピョンと軽く飛び跳ねるように俺の服の袖を引っ張った。
普段の武闘派な姿からは想像もつかない、まるで遊園地に来た子供のようなはしゃぎっぷりだ。
「思ったより大きいな……。日本最大級ってのは伊達じゃないな」
「早く早く、中行こっ! シャチもペンギンも待ってるよー!」
「あ、おいちょっと待ってってー! 水族館は逃げないから!」
グイグイと袖を引いて駆け出そうとする詩乃の力は、元柔道部なだけあって地味に強い。踏ん張らないと本当に引きずられそうだ。
俺は苦笑いしながらも、前のめりな彼女の背中に引っ張られるようにして、慌ててエントランスへと向かっていった。
館内に入ってからの詩乃は、まさに水を得た魚……いや、野に放たれた小動物のようだった。
「わぁっ! 慧くん見て! イルカさんがボールで遊んでるよ!」
「お、おう。器用だなあいつら」
「あっちにはベルーガがいる! おでこがぷにぷにしてて可愛いーっ!」
「ちょ、待てって! 走るな、報告書用の写真撮るから!」
巨大なアクリルガラスに両手をペタンとつき、食い入るように水槽を見つめる詩乃。
イルカがジャンプすれば「おおーっ!」と拍手喝采し、ウミガメが頭上を泳いでいけば「空を飛んでるみたい!」と無邪気に笑う。
さっきの神宮で見せていた少し大人びた横顔や、時折見せてくる小悪魔なからかいはどこへやら。今の彼女はただ純粋に、目の前の光景にワクワクしている等身大の女の子だった。
「ねえねえ、次はペンギンだって!早く行こ!」
「わかった、わかったから袖引っ張るなって。俺の制服が伸びる」
元柔道部仕込みの力強い牽引力にズルズルと引きずられながら、俺は苦笑いと共にスマホのシャッターを切る。
写真フォルダの中には、水槽の生き物たちの写真よりも、ガラスにへばりついて目を輝かせている詩乃の後ろ姿ばかりが増えていた。
「あははっ、ペンギンさん歩くのすっごく早いよ! よちよちって!」
「あいつら陸の上だとどんくさそうに見えるけど、意外と俊敏なんだな……って、動き真似しなくていいから」
ペタペタとペンギンの真似をして歩く詩乃の姿は、あまりにもコミカルで可愛らしくて、俺は思わず吹き出してしまった。
「もう、笑わないでよ! これも立派な『生態調査』なんだから!」
「はいはい。じゃあ中井調査員、あっちのタッチプールでヒトデでも触ってきなさい」
「いく! 慧くんも一緒に触ろ!」
もはや「調査」という言葉がただの魔法の合言葉になっている。
だが、そんなことはどうでもよくなるくらい、彼女の笑顔は眩しかった。
肩肘張った「デート」という言葉よりも、今のこの「ただ一緒に遊んで、ただ笑い合っている時間」が、不思議と俺の心に心地よく馴染んでいた。
◇ ◇ ◇
「ふぅ〜っ、楽しかったー!」
「お疲れ。ほら、冷たいお茶」
「わぁ、ありがとうっ!」
歩き回ってすっかり満足したらしい詩乃は、水族館の出口付近のベンチに座り、俺が自販機で買ってきたペットボトルのお茶を美味しそうに飲んだ。
「いやぁ、まさか全エリアをあんなハイペースで回るとは思わなかったよ。おかげで報告書の写真はバッチリだ」
「えへへ、ちょっとはしゃぎすぎちゃったかも」
少しだけ恥ずかしそうに頬を掻く詩乃。
時刻はちょうど午後四時だ。そろそろ、地獄を見ているであろう先輩たちや、競馬場で大人の社会見学を終えた藤原先生と合流する時間だ。
「よし。じゃあ、ぼちぼち名古屋駅の金時計に戻るか」
「うんっ!」
立ち上がった詩乃は、ポンッとスカートの埃を払うと、満面の笑みで俺の方を振り返った。
「今日は一日、すっごく楽しかった! 連れてきてくれてありがとう、慧くん!」
「……俺はあみだくじで引き当てただけだけどな」
俺がわざとぶっきらぼうに返すと、詩乃は「ふふっ」と笑って、また機嫌良さそうに俺の隣を歩き始めた。
◇ ◇ ◇
午後五時少し前。
地下鉄を乗り継いでJR名古屋駅のコンコースに戻ってきた俺たちは、待ち合わせ場所である巨大な『金時計』の前に到着した。
「おーい! 慧、しーちゃん!」
人混みの中から、みのり先輩がブンブンと大きく手を振っているのが見えた。
その後ろには、この世の終わりみたいな顔をした大貴が、両腕と首から大量の土産袋を提げて白目を剥いている。歩くお土産屋状態だ。
「……大貴、生きてるか?」
「慧……。俺、もう当分、味噌とエビは見たくない……。あと、先輩の歩くペース、完全にバケモン……」
虚ろな目で宙を見つめる大貴の肩を、俺は無言でポンと叩いた。
「大げさやな! これくらいで音を上げとったら、旅部の特攻隊長は務まらんで! で、そっちはどうやった? ちゃんと生徒会に提出できる『調査』はできたんか?」
「はい、バッチリです。ほら」
俺がスマホの画面を見せると、そこにはアクリルガラスにへばりついて、目を輝かせながらペンギンの真似をしている詩乃の写真がドアップで写っていた。
「……お? なんやこれ、ただの可愛いしーちゃんやん」
「立派な海洋生物の生態調査の記録です。生徒会もこれで文句はないはずです」
「ちょっとぉー! その写真は恥ずかしいからあかんって言ったのにー!」
顔を真っ赤にしてポカポカと俺の腕を叩いてくる詩乃を見て、先輩は「アハハハ!」と腹を抱えて大笑いした。
「もう、蒔田くんなんか知らんしっ」
プイッとそっぽを向いてしまう詩乃だったが、俺の腕を叩く力は全然痛くないし、何より耳まで真っ赤に染まっているのが丸わかりで、ちっとも怒っているようには見えなかった。
「おう、揃っとるな」
そこへ、駅の売店で缶ビールとおつまみを買い込んだ藤原先生が、のんびりとした足取りで合流してきた。
心なしか、朝よりも背中から漂う哀愁が強くなっている気がする。
「先生、大人の社会見学はどうだったんですか?」
「……聞くな。名古屋のメシは美味いが、馬券は渋かった。それだけや。さ、帰るぞ。撤収や撤収」
「うおおお……やっと座れる…………」
大貴が涙ぐみながら改札へと向かっていくのを見届けて、俺たちもその後を追った。
行きと同じく、真っ赤な近鉄特急『ひのとり』に乗り込み、ふかふかの座席に深く腰を沈める。
窓の外では、少しずつ夕暮れに染まっていく名古屋の街並みが、ものすごいスピードで後ろへと流れていく。
「ふぁ……」
隣の席から、小さくあくびをする声が聞こえた。
見ると、一日中はしゃぎ回って電池が切れたのか、詩乃がコックリコックリと船を漕ぎ始めている。
「……眠い?」
俺が小さく呟くと、彼女は目を閉じたまま「ん……」と微かに微笑んで、そのままスッと俺の肩に頭を預けてきた。
シャンプーの甘い香りが、フワリと鼻先をくすぐる。
朝からの出来事を思い返すと、心臓がうるさく鳴って、俺まで眠れそうにない。
生徒会への報告書という名目を隠れ蓑にした、俺たちの第一回・公式トラベル。
ドタバタでハチャメチャで、けれどどうしようもなく居心地のいいこの『旅部』での毎日は、まだまだ始まったばかりだ。




