第13話 予算枯渇、大ピンチ
五月二十日 火曜日
名古屋への第一回・公式トラベルから数日が経った、放課後の部室。
俺たち旅部の雰囲気は、お世辞にも良いとは言えなかった。いや、正確には「お通夜」に近い。
「……マイナス、です」
長机の上に広げられた部費の出納帳と、大量のレシート。
それらを前にして、我が旅部の会計担当である詩乃が、この世の終わりのような青ざめた顔でぽつりと呟いた。
「えっと……今学期の旅部に割り当てられた部費の残高、完全にマイナスです……」
「なっ……!?」
俺は思わずパイプ椅子から立ち上がり、出納帳を覗き込んだ。
そこには、俺と詩乃が提出したBチームの健全な交通費と水族館の入場料を『遥かに凌駕する』、恐ろしい額の赤字が記されていた。
「おい大貴! 井上先輩! これどういうことだよ!」
俺がバンッと机を叩いて振り返ると、大貴はスッと目を逸らして天井のシミを数え始め、みのり先輩は腕を組んで堂々と開き直っていた。
「どういうことも何も、必要経費やないか! 生徒会という巨大権力に対する『外交』には、相応の金がかかるんや!」
「必要経費!? じゃあ読み上げるぞ! 『特上ひつまぶし・三人前』『純金箔貼り・金の鯱オブジェ(部室の隅で光ってるやつ)』『大須商店街・食べ歩き全店舗制覇の記録』……極めつけはこれだ! 『移動用・観光タクシーの半日貸切代』と『高級マッサージ店でのVIP疲労回復コース』!」
「「あ」」
俺がレシートを突きつけると、先輩と大貴はビクッと肩を揺らした。
「タクシー貸切!? 地下鉄で数百円の距離を、なんで数万円もかけて移動してんだよ! しかもマッサージってなんだ!」
「し、しゃーないやろ! 大須商店街で食い倒れてたら、大貴が『もう一歩も歩けないっす、足の裏が爆発するっす』って泣き言を言い出したんや! ゲリラ組織たるもの、疲弊した隊員を安全かつ快適に回復・撤退させるのは当然の戦術や!」
「はぁ……だいたい、こんなふざけた領収書、あの会長が通すわけないだろ!」
部屋の隅で競馬新聞を読んでいた藤原先生が「俺は自分の小遣いで遊んだからセーフやな」と無関係を装ってコーヒーを啜る中、俺が頭を抱えると、詩乃が涙目でコクコクと頷いた。
「う、うん……。今日のお昼休みに生徒会室に提出しに行ったんだけど、会長、すっごく笑顔でレシートを破り捨てて……『次、こんなふざけた経費請求を持ってきたら部を潰す』って……」
あの氷の生徒会長の静かな怒りが目に浮かぶ。詩乃にとってはトラウマものだっただろう。俺は可哀想なウチの会計の肩をポンポンと叩いて慰めた。
「つまり、生徒会からの部費の支給はストップ。現在の俺たちの部費は『ゼロ』ってことか」
「ゼロどころか、立替分があるから実質借金やな! ガハハ!」
「笑い事じゃないですよ先輩! これじゃ次の旅行はおろか、部室で飲むコーヒー代すら出ないじゃないですか!」
俺の叫びに、大貴が「マジかよ……」と絶望の表情を浮かべる。
どうするんだこれ。公式トラベル第一回にして、いきなり活動停止の危機じゃないか。
重苦しい空気が漂う中、みのり先輩はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ホワイトボードの前に立った。
「ふっふっふ……甘いわ慧! ゲリラ組織たるもの、資金源を絶たれた時のサバイバル術くらい身につけておかんかい!」
「サバイバル術……?」
「金がないなら、稼げばええんや! というわけで、我が旅部の次なるミッションはこれや!」
先輩が赤ペンでホワイトボードに大きく書き殴った文字。
それは――。
『旅部・資金調達作戦! 目指せ一攫千金アルバイト!』
「アルバイトォ!?」
「せや! ちょうどええ案件が舞い込んできたんや。今度の土日、地元・神戸の海辺でやるフェスの『設営&運営スタッフ』! 日給は破格の二万! これで赤字を補填して、夏休みの超大型合宿の資金を稼ぐで!」
得意げに言い放つ先輩を前に、俺と詩乃は顔を見合わせた。
旅行の計画を立てるはずが、まさかの肉体労働。
「……慧くん。私たち、旅行部じゃなくて何でも屋になっちゃったね」
「そうだな……」
苦笑いする詩乃の横顔を見て、俺は小さくため息をついた。
「……こほん。お前ら、うちの校則には目を通したか?」
藤原先生が俺たちを指さして言う。
「いや、見てないですけど……」
「うちはアルバイト禁止だ」
「「ガーン!」」
「じ、じゃあどうするんですか!俺たちにそのまま死ねと言うんですか!」
「まあまあ、落ち着け」
先生がそう言ってポケットから1枚の紙切れを取り出した。
「アルバイト特別許可証だ」
「「おぉ!」」
先生の救いの一言で部室内は一気に盛り上がった。
「先生、うちらを救ってくれるんか!?さすが藤原っち〜!」
先輩が歓喜の声をあげるが先生はそれを制止する。
「だが!申請には正当なしっかりとした理由が必要になる。もちろん、今回のようなほぼ私用のための目的では許可は降りない」
「え〜!部活のためって至極真っ当な理由やと思うけどな〜」
「いや、先輩が旅行行きたいだけでしょ」
「そ、そんなことあらへんわ!『旅部』のみんなのために部長として奔走してるだけや!」
苦し紛れの先輩の言い訳に横にいる詩乃も「……あはは」と呆れている。
「まあ待て、まだ無理と決まった訳ではない。私に案がある」
先生はそう言って教室から出ていってしまった。
────そして十五分後。
ガラガラッ、と勢いよく部室のドアが開き、藤原先生がドヤ顔で戻ってきた。
「待たせたな。ミッション・コンプリートだ」
バンッ!と長机に叩きつけられた『アルバイト特別許可証』。
そこにはなんと、『承認』印が、燦然と輝いていた。
「うおおおおっ!? マジでハンコ押してある!」
「さすが藤原っち! 一生ついていくで!」
大貴と先輩が諸手を挙げて歓喜する。
しかし、俺はどうにも腑に落ちなかった。
「ちょっと待ってください。こんなあっさり許可を出されるわけないでしょ。先生、一体どんな手品を使ったんですか?」
「人聞きの悪いことを言うな。私はただ、今回の件を『地元・神戸の観光イベントにおける、運営実態のフィールドワークおよび地域交流』として申請しただけだ」
「フィールドワーク……」
「そうだ。あくまで我々は『調査』としてフェスに参加する。その過程で『たまたま』謝礼が発生するだけだ、と論破してやったのさ」
なるほど、建前としては完璧だ。
だが、先生はそこでフッと悪党のような笑みを浮かべ、言葉を区切った。
「ただし、だ。許可を出す代わりに、一つの『条件』を突きつけられた」
「「条件?」」
「ああ。来月の生徒会広報誌に、我が旅部の『地域貢献レポート』を見開きで掲載することになった。そこに、お前たちがフェスを『心から楽しみ、健全に活動している姿』を収めた写真を何枚も提出しろ、とな」
その言葉に、部室の空気がピシリと凍りついた。
「……健全に楽しんでいる姿、っすか?」
大貴が顔を引きつらせる。
みのり先輩も、サーッと血の気を引かせて後ずさった。
「アホか! ウチらがやるのは『設営&運営スタッフ』やぞ! 炎天下の海辺でテント張って、機材運んで、ゴミ拾いするんや! そんなん、汗だくで死んだ魚みたいな顔になるに決まっとるやろ!」
「そうっすよ! 俺の屍みたいな顔面を広報誌に載せられたら、『やはり実態はただの労働ですね』って一発で廃部食らうじゃないですか!」
「だからこそ、だ」
パチン、と指を鳴らし、藤原先生はなぜか俺の肩をガシッと掴んだ。
「お前の出番だぞ、慧」
「……はい? 俺ですか?」
「お前、パソコンでのデジタル画像編集が得意だろう。フェス当日は隙を見て写真を撮りまくれ。そして後日、大貴たちの死にそうな顔に『笑顔の別写真』を綺麗に合成するんだ」
「はあ!?」
「ついでに、背景に写り込んだ『スタッフ専用』みたいな余計な文字や看板も、ツールで綺麗に消去・修正しておけ。そうすれば、ただ純粋にフェスを楽しんでいるキラキラした青春ドキュメンタリー写真の完成だ」
サラッととんでもない隠蔽工作を指示してくる不良顧問。
「な……! 生徒の特技を公文書偽造みたいなことに使わせる気ですか!」
「人聞きの悪いことを言うな。『思い出の最適化』と言え」
「言い方の問題じゃないですよ!」
俺が抗議の声を上げようとした、その時だった。
「それ、すっごく名案かも……!」
ひょいっと身を乗り出してきたのは、詩乃だった。なぜか頬をほんのりピンク色に染めて、目をキラキラさせている。
「えっ、詩乃?」
「だって、慧くんが写真を撮って、編集してくれるんだよね? それなら、笑顔の素材集めとか……ツーショットとかもいっぱい撮らないと不自然だし……その、『撮影会』とかもできるよねっ!」
「お、おう? まぁ、色んな背景や構図の写真は必要になるけど……」
「ふふっ、決まりだね! "二人"で完璧な『思い出』を作ろっ!」
「(二人……? なんか詩乃だけ目的が違うような……?)」
俺が呆気に取られていると、詩乃はギュッと両拳を握りしめて嬉しそうに微笑んだ。
どうやら彼女の頭の中では、炎天下の重労働や生徒会への恐怖よりも、『慧との共同作業(という名の抜け駆けデート)』への期待が完全に勝ってしまっているらしい。
「ほら、しーちゃんもこう言っとるで、慧。しーちゃんとツーショット撮り放題とか、なんて幸せ者や!」
「先輩は黙っててください!」
完全に舞い上がっている詩乃と、他力本願な先輩や大貴、そしてニヤニヤしている不良顧問。
こんな状況で、俺ひとりが正論を吐いて逃げられるわけがなかった。
「……わかったよ。やればいいんだろ、やれば! その代わり、合成の素材にするから、なるべくいろんな角度で写真撮らせろよな!」
「よっしゃあ! さすが慧や! これで気兼ねなく働けるで!」
「慧、マジでお前は旅部の救世主だ!」
こうして俺たちは、赤字返済のための過酷な肉体労働と、生徒会を欺くための『写真偽造ミッション』という二つの重い十字架を背負って、週末の神戸へと向かうことになったのだった。




