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旅部!  作者: ひ~と
12/13

第10.5話 じゃこ天とオーシャンビュー!

 五月十日 土曜日


「うおおおお! た、高いっす! 先生、これベルトも何もないんすけど落ちないんすか!?」

「男がギャーギャー騒ぐな大貴。景色を楽しめ景色を」

 翌朝。旅館の豪華な朝食を平らげた俺たちは、愛媛観光の最初の目玉である『松山城』へとやってきていた。

 標高百三十二メートルの勝山山頂にそびえる城に向かって、俺たちは今、一人乗りの観光リフトで空中散歩の真っ最中だ。

 大貴がビビって足をバタバタさせているすぐ後ろで、中井さん――いや、詩乃が、リフトの上から眼下の松山市街を見下ろして目を輝かせていた。

「わぁ……風が気持ちいいね、蒔田くん!」

 前を乗る俺に向かって、詩乃が少しだけ声を張る。

 昨日の夜の密会を経て、俺たちの間には『みんなの前では名字、気を抜いた時や二人だけの時は名前』という、暗黙の、そして秘密のルールが出来上がっていた。

「うん。今日はめちゃくちゃいい天気だし、絶好の観光日和だな」

 俺が振り返って笑い返すと、詩乃は後ろの大貴たちから見えない角度で、声には出さずに『ね、慧くん』と小さく口パクをしてから、ふわりと花が咲くような笑顔を見せた。

 そんな俺たちの甘い空気を、リフトの終点に到着するなり先輩がぶち壊しに来る。

「はい到着ー! さあ行くでウチの部員たちよ! いざ、松山城本丸へ攻め入るんや!」

「先輩、テンション高すぎませんか……」

 意気揚々と先陣を切る先輩に続き、俺たちは本丸広場へと足を踏み入れた。

 広大な敷地の奥にそびえ立つのは、黒い下見板張りと白い漆喰しっくいのコントラストが美しい、荘厳な天守閣だった。

「おおーっ、すげえ! めっちゃデカいっすね!」

「……うん。すごく、立派。それに……なんて堅牢な造りなんだろう」

 天守閣を見上げながら、大貴が無邪気に感嘆の声を上げる横で。

 なぜか詩乃が、口元に手を当てて真剣な――まるで試合前の武道家のような眼差しで石垣を睨みつけていた。

「中井さん? どうかしたの?」

「あっ……ご、ごめんね。お城の造りを見てたら、つい感心しちゃって」

 詩乃はハッとして、照れくさそうに頬を掻いた。

「感心って、どのへんに?」

「えっとね、あそこに見える石垣があるでしょ? あれ、『登り石垣』って言って、山の斜面を登るように作られてるの。全国でも凄く珍しいんだよ」

「へえ、そうなのか。なんか意味があるの?」

「うん。敵が山の斜面を横移動して攻めてくるのを防ぐための防衛ラインなんだって。例えるなら、柔道で相手の横移動を足払いで封じるみたいな……すごく理にかなった、完璧な防御の型だなって」

 目をキラキラと輝かせながら、石垣の『防御力』について熱弁を振るう詩乃。

「(……お城の解説で柔道の足払いが出てくる女子高生、初めて見た)」

 さすがは物理最強ヒロイン。歴史的建造物を見る視点も完全に武闘派だった。

 とはいえ、自分の好きなものを一生懸命に語るその姿は、小動物のように愛らしくて、俺は思わずクスッと笑ってしまった。

「な、なんか変なこと言っちゃったかな……?」

「いや。そういうの好きだなんて知らなかったから、ちょっと意外だっただけ」

「……おじいちゃんが時代劇とかお城が好きでね。昔、よく地元の明石城にも連れて行ってもらってたの」

「ああ、明石公園のところか。そういやあそこも明石城があったな」

「うん。でも、あそこは天守閣が残ってないから……こうやって、こんなに大きくて立派な天守閣がある本物のお城を見られて、すごく嬉しい」

 はにかむ彼女の横顔は、本当に嬉しそうだった。

「よし! ほんなら天守閣をバックに、旅部初の記念撮影といこか!」

 先輩の鶴の一声で、俺たちは広場のベストポジションに集まった。

 大貴がスマホを構え、自撮りモードで全員を画面に収めようと腕を伸ばす。

「うおっ、五人だと結構キツいっすね。もっと寄って寄って!」

「おわっ」

 大貴に急かされ、俺は隣にいた詩乃と肩がぶつかるほど密着してしまった。

「あっ……ご、ごめん」

「ううん、大丈夫」

 カメラの死角で、詩乃の小さな手が俺の服の袖をキュッと掴む。

 昨日の夜の秘密を思い出すようなその仕草に、俺の顔は一瞬で熱くなった。

「はい、チーズ! ……じゃなくて、愛媛やから『みかーん!』でいくで!」

「なんすかそれ! はい、みかーん!」


 カシャッ。


 青空と立派な松山城、そして少しだけ顔を赤くした俺と詩乃の姿が、旅部の記念すべき一枚目の写真として記録された。


 ◇ ◇ ◇


 松山城を後にした俺たちは、藤原先生の運転するミニバンに揺られ、海沿いの国道――通称『夕やけこやけライン』を南下していた。

「先生、次はどこに向かってるんですか?」

「ふっふっふ。愛媛に来て、ここを外すわけにはいかんからな。旅人たちの聖地、『下灘しもなだ駅』や!」

 先生が誇らしげに宣言してから数十分後。

 車は、海沿いの小さな無人駅の前に停車した。

「うわぁ……」

 車から降りた瞬間、詩乃から感嘆の吐息が漏れた。

 俺も言葉を失い、目の前に広がる景色に見入ってしまった。

 古びたプラットホームのすぐ向こう側には、視界を遮るものが何一つない、見渡す限りの青い海が広がっていたのだ。

 初夏の太陽の光を反射して、瀬戸内海がキラキラと宝石のように輝いている。

「すげえ……本当に、海の一番近くにある駅なんすね」

「せやろ? よく映画のロケ地やポスターにもなってる、日本一海に近い駅の一つや。夕日も綺麗なんやけど、この真っ青な昼間の海も最高にエモいやろ?」

 先輩がドヤ顔で解説する横で、詩乃はふらふらと吸い寄せられるようにプラットホームのベンチへと歩いていった。

 海風が、彼女の長い髪を優しく揺らす。

 その光景が、一枚の絵画のようにあまりにも綺麗で。


「……蒔田くん、来て」


 詩乃が振り返り、俺に向かって小さく手招きをした。

 俺は少しだけ早歩きで彼女の隣へと向かい、青いベンチに二人で腰を下ろした。

「すごいね。波の音しか聞こえない」

「ああ。時間が止まってるみたいだ」

 穏やかな瀬戸内の波音が、心地よいBGMのように響く。

 大貴や先輩たちは少し離れた場所でキャッキャと写真を撮り合っていて、まるでここだけが二人だけの空間のように感じられた。


「……ねえ、慧くん」


 波音に紛れるほどの小さな声。

 誰にも聞こえない、二人だけの秘密の呼び方。

「ん?」

「私ね、昨日『旅部』を意味のある場所にしたいって言ったでしょ」

「ああ、覚えてるよ」

「今日、松山城を見て、この海を見て……やっぱり、間違ってなかったなって思ったの。慧くんたちと一緒に、もっと色んな綺麗な景色を見たいな」

 潮風に目を細めながら、詩乃はとびきり優しい笑顔を見せた。

 その言葉は、俺の胸の奥にじんわりと温かく染み込んでいく。

「……そうだな。俺たちの旅は、まだまだこれからだしな」

 俺も釣られるように笑い返し、目の前の青い海を眺めた。

 ただのゲリラ合宿から始まったこの旅。

 だけど今、俺の隣で笑う彼女の存在が、この旅を何よりも特別で、かけがえのないものに変えてくれていた。

「おーい! そこの二人! いつまで青春の1ページ刻んどんねん! 波の音に紛れてもウチの目は誤魔化せへんでー!」

 静かな波音とエモい雰囲気を真っ二つに切り裂くように、少し離れた場所から先輩のデリカシー皆無な大声が響き渡った。

「っ……別に、何も刻んでませんよ!」

 俺は慌ててベンチから立ち上がり、詩乃も顔を真っ赤にしてパタパタと手で頬を扇いでいる。

「怪しいなぁ〜。まあええわ! 海も満喫したことやし、ここから愛媛のグルメとお土産の回収ラッシュに入るで! まずは松山駅へUターンや!」

 先輩が高らかに宣言し、横で大貴が「っしゃあああ! 食うぞおお!」とガッツポーズを決めた。


 ◇ ◇ ◇


「あふっ、あふっ! んまっ! 何すかこれ、魚の旨味が爆発してるっす!」

「揚げたて最高や~! ビール飲みたくなるわぁ……」

 下灘駅から車で戻り、俺たちがやってきたのは『JR松山駅』。

 その構内にある有名なじゃこ天屋さんで、俺たちは注文してからその場で揚げてくれる、熱々のじゃこ天にかじりついていた。

「ハフッ……ん〜! ほんとに美味しい! 外はサクサクで、中はふわふわ!」

 両手でじゃこ天を持った詩乃が、熱そうにハフハフと息を吹きかけながら、とびきりの笑顔を向けてくる。

「ああ、スーパーで売ってるやつとは全然違うな。骨のジャリッとした食感もクセになる」

「ふっふっふ。愛媛に来て松山駅のじゃこ天を食わずして帰るなど、旅部としてはあり得へんからな!」

 満足げに頷く先輩を筆頭に、全員で熱々のじゃこ天を完食。

「よし、お土産用のじゃこ天もこうたところで次や!」

 先輩の野望はこれだけでは終わらなかった。

「小腹も満たしたし、いよいよこの旅の最終目的地に向かうで! 大貴くん、念願のデカいサービスエリアや!」

「マジっすか!? うおおおお!」

「ただのSAやないで。愛媛のもう一つの絶景……『しまなみ海道』の玄関口や!」


 ◇ ◇ ◇


 松山からさらに車を北へと走らせること約一時間。

 俺たちが到着したのは、今治市にある巨大なサービスエリアだった。

 展望台へと続く階段を上ると、そこには――

「うわぁ……! すごい、おっきい橋……!」

 瀬戸内海に浮かぶ島々を縫うように架かる、巨大な『来島海峡大橋くるしまかいきょうおおはし』。

 太陽の光を反射して輝く海と、雄大な吊り橋のパノラマに、俺たち全員が息を呑んだ。

「すごいな……明石海峡大橋とはまた違った迫力がある」

「せやろ? ここから見るしまなみ海道の景色は、まさに愛媛観光のフィナーレにふさわしいやろ!」

 絶景をバックに全員で写真を撮り終えると、大貴と詩乃は「みかんソフト!」と目を輝かせてフードコーナーへと吸い込まれていく。

 一方の俺はというと――

「ちょっ……先輩! なんで俺が全部カゴ持たされてるんですか!」

「ええやんか。ウチは頭脳労働担当やし、しーちゃんは今おやつタイムや。消去法であんたが荷物持ちやで。ほら、この『タルト』と『坊っちゃん団子』、あとこの『今治タオル』もカゴに入れといて!」

 お土産コーナーの広大な通路で、俺はすでに三つめの買い物カゴを腕に下げてプルプルと震えていた。

 前を歩く先輩は、まるで宝探しでもするかのように次々と愛媛の名産品をカゴに放り込んでいく。

「買いすぎでしょ! 誰に配るんですかこんなに!」

「半分はウチの胃袋に消える予定や。残りは……まあ、生徒会への賄賂やな。これだけ献上しとけば、なりそこないみたいな部活でもしばらくは目を瞑ってくれるやろ」

「計算高いな……」

 俺が呆れながらため息をつくと、先輩はふふんと得意げに鼻を鳴らし、ふいに歩みを止めた。

 そして、棚から視線を外し、俺の方をじっと見つめてきた。

 眼鏡の奥の瞳が、いつものふざけた調子から、少しだけ真剣な色に変わる。

「……慧くん。あんた、巻き込まれてどうやった?」

「え?」

「突然掃除させられて、車に乗せられて。理不尽なことばっかりやったやろけど……楽しんでくれてるか?」

 不意打ちのような、先輩からの真面目な問いかけ。

 いつも強引でマイペースで、周りを振り回してばかりのこの人が、そんな風に気を使っていたなんて思わなかった。

 俺は少しだけ言葉に詰まり――やがて、両腕の重たいカゴを少し持ち直してから、正直に答えた。

「……まあ、最悪な週末になるかと思ってましたけど。でも」

「でも?」

「今は、この部活に入ってよかったと思ってますよ。……先輩のおかげで、面白い景色が見られましたから。あのじゃこ天も美味かったですし」

 俺が少しだけ視線を逸らしてそう言うと、先輩は目を丸くした後、今日一番の、まるで太陽みたいに明るい笑顔を浮かべた。

「……そっか。ウチもな、卒業する前に、なんかこう……バカみたいに全力で青春できる場所を作りたかったんよ。だから、慧くんを巻き込めて正解やったわ」

 それは、間違いなく『先輩』としての素顔だった。

 この人が部長でよかったと、不覚にも俺が感心してしまった、その直後。

「というわけで! これからもウチの忠実な下僕として、しっかり荷物持ち頼むで!  ほら、この『丸ごとみかん大福』も追加や!」

「あ、重っ!? ちょっと、さっきの感動を返せ!」

「あはははっ! 青春には体力も必要やでー!」

 ズシリと追加された重みに俺が悲鳴を上げると、先輩は腹を抱えて大笑いしながらレジへと駆けていった。

 ……前言撤回。やっぱりこの人は、最後までドタバタのトラブルメーカーだ。


 ◇ ◇ ◇


「さあ、愛媛に別れを告げて、兵庫に帰還するでー!」

 大量のお土産とカロリーを満載したミニバンは、今治を出発し、高速道路へと乗った。

 行きとは違い、太陽を背にしながら、車はひたすらに東へと駆け抜けていく。

 ――数時間後。

「ごぉぉぉ……」

「むにゃ……ドロー4……ウノ……」

 窓の外の景色が茜色に染まり始めた頃。

 車内には、大貴のやかましいいびきと、助手席で首をカクンカクンと揺らす先輩の寝言だけが響いていた。

 あれだけはしゃぎ回っていたのだ。無理もない。かくいう俺も、襲い来る睡魔と必死に戦っていた。

「……ふふっ」

 隣から聞こえた小さな笑い声に、俺は重たいまぶたをこじ開けた。

 見ると、詩乃が口元に手を当てて、眠りこける大貴たちを見て笑っていた。

「どうした?」

「ううん。なんだか、本当にあっという間だったなぁって思って。……眠い?」

「……ちょっとだけ。詩乃は眠くない?」

「私は大丈夫。先生の運転、すごく丁寧だから乗り心地いいし」

「聞こえとるぞ〜。もっと褒めてええんやで〜」

 運転席から先生のご機嫌な声が返ってきた。

「先生、運転上手いですよね」

「伊達に学生時代、バックパッカーとして世界中を飛び回ってないからな~。海外のボコボコな未舗装路をボロ車で走り抜けてきた俺からすれば、日本の綺麗に舗装された高速道路なんて揺りかごみたいなもんや」

「へえ……先生にも、そんなサバイバルな過去があったんですね」

「おうよ。だから安心して寝とけ。神戸まで揺らさず安全に送り届けたるからな」

 ハンドルを握る先生の頼もしい背中を見つめながら、俺と詩乃は顔を見合わせてクスッと笑った。

 やがて、フロントガラスの向こうに、夕日に照らされてオレンジ色に輝く巨大な吊り橋――明石海峡大橋のシルエットが見えてきた。

 あの橋を渡れば、俺たちの住む街だ。

「……楽しかったね」

 ぽつりと、詩乃がこぼす。

 その声は、下灘駅で聞いた時と同じくらい、優しくて穏やかだった。

「うん。……また行こう」

「うんっ」

 詩乃は嬉しそうに頷くと、俺から見えないように少しだけ顔を背け、窓の外の景色を見つめた。

 けれど、夕日に照らされた窓ガラスには、はにかむような彼女の笑顔がうっすらと反射して映っていて。

 俺は、この二日間で何度目かわからないほど、また少しだけ顔を熱くするのだった。

 ただの掃除から巻き込まれた、俺たち旅部の初めてのゲリラ合宿。

 それは間違いなく、これからの高校生活を大きく変える、最高の旅の始まりだった。

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